The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Presentation information

自主企画シンポジウム

[JG04] 自主企画シンポジウム 4
幼児教育における「発表会」の意義とその在り方を考える

ー幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を視点としてー

Mon. Sep 17, 2018 10:00 AM - 12:00 PM D308 (独立館 3階)

企画・司会:吉永早苗(東京家政学院大学)
指定討論:無藤隆(白梅学園大学)
話題提供:虫明淑子(白梅学園大学大学院)
話題提供:下郡啓夫(函館工業高等専門学校)
話題提供:伊藤理絵#(岡崎女子短期大学)

[JG04] 幼児教育における「発表会」の意義とその在り方を考える

ー幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を視点としてー

吉永早苗1, 無藤隆2, 虫明淑子3, 下郡啓夫4, 伊藤理絵#5 (1.東京家政学院大学, 2.白梅学園大学, 3.白梅学園大学大学院, 4.函館工業高等専門学校, 5.岡崎女子短期大学)

Keywords:幼児期の終わりまでに育ってほしい姿, 発表会, 保育者養成

企画趣旨
 幼児期の教育では,「環境を通しての教育」「遊びを通しての教育」のなかで,主体的・対話的で深い学びの実現が目指される。それは,表現の活動においても同様である。しかしながら発表会に関しては,保育者の合図のもとに楽器を鳴らしたり,指示された言葉を発したりするなど保育者主導による指導が行われ,大道具や衣装などを保育者が多大な時間をかけて製作している現状がある。生活や遊びとかけ離れたこのような「発表会」は,幼児教育が本来目指す姿ではない。
 本シンポジウムでは,まず,保育者主導の「発表会」を改革した幼稚園での取り組みを話題提供していただく。そのうえで,「発表会」が育む,子どもの協同性と論理的思考力や保育者の専門性,さらには養成校における表現教育の在り方といった幅広い観点からの話題提供により,「発表会」の意義とそのあり方について議論を深めたい。

「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」から発表会をみる目            
虫明淑子
 幼児期の教育は生涯の人格形成の基礎を培う重要なものである。新しい小学校学習指導要領では「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を踏まえた指導を工夫することにより,幼稚園教育要領に基づく幼児期の教育を通して育まれた資質・能力を踏まえて教育活動を実施」と示している。幼児教育の基本は環境を通して行う教育であり,遊びを通した総合的な指導である。しかし,これらの幼児教育の基本を理解していても,発表会という行事に関しては,小学校教育先取りの知識技能面を「見せる」発表をする傾向がある。普段,楽器遊びをしていないのに発表会で合奏を取り入れようとすると,子どもの興味・関心とは無関係に楽器を演奏する練習を強いることになる。そのことは幼児期にふさわしい生活と言えず,生活を発表するという本来の目的をますます遠ざけることになる。教育課程に基づく保育である以上,発表会も環境を通して行う教育である。日々の生活が遊びを中心に展開することを考慮すれば,発表会もまた日々の遊びの延長線上にあり,小学校以降の生活や学習の基盤となる「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」につながる実践とすべきである。
 本発表では,合奏発表から子ども主体の生活発表会への方向転換を果たし,子ども,保護者,保育者がともに手ごたえとして認めた5歳児の生活発表会について,幼児期の終わりまでに育ってほしい姿の視点から考えてみる。生活発表会は子どもがこれから出会う環境であり,これまでに子どもが出会った経験を統合した環境でもある。生活発表会という行事の特性上,保護者の目を意識することもやむを得ないが,幼児期にふさわしい生活発表会を実現するためには,入念な構想に基づく保育者の専門性を必要とする。具体的な取り組みとしては,⑴意図的計画的な環境を構成する⑵一人一人の子どもが出会う環境との相互作用を見取る⑶子どもとともに直感的即興的に再構成して創る⑷組織的に連携して生活発表会にまとめる,などである。これらの実践プロセスにおける子どもの学びに向かう姿について,保護者と共有しながら進めることも重要である。5歳児の生活発表会を振り返ることから,幼児教育の基本としての環境を通して行う教育や,幼児教育が小学校以降の学びに向かう姿の基盤となる資質,能力の基礎となることについて考えたい。

幼児期の論理的思考力と協同性の発達 
下郡啓夫 
 近年幼児教育では,他者との協同的活動が重視されている。実際,「幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方に関する調査研究協力者会議」(2010)では,幼児の興味・関心や生活,協同性の育ち等の状況を踏まえて,相談したり互いの考えに折り合いをつけたりしながら,クラスやグループみんなで達成感をもってやり遂げる活動を計画的に進めることが必要と指摘する。それは,主体的・対話的で深い学びの実現の必要性にも通ずる。
 一方,内田・津金(2014)は,幼児の論理的な思考力を捉える分類規準を①規則性・法則性,②比較・分類,③全体と部分,④時系列因果・因果関係(可逆的因果),⑤仮説・確認,⑥人との関係性の6つに分類した。さらに幼児期の特質として,「人との関係性」は5歳での出現率が高くなることを指摘する。つまり,ある程度の論理的思考の上に協同性が育まれる可能性を述べている。さらに,協同性の深まりや友達同士の刺激のしあいなどが,論理的な思考力の芽生えに大きく影響すると指摘するなど,相補的であることも述べている。
 上述のことから分かるとおり,協同性の発達と論理的な思考力の育成は不可分である。実際,藤谷(2014) は「友だちと関わっている姿の視点」を仮説的に取りだした後,幼児のエピソード記録の分析を行った。その中で協同性の発達について検討,3歳児でも徐々に友だちと関わるエピソードの出現が多くなること,教師や友だちと過ごす心地よさや繰り返し同じ遊びをして遊び込む経験が友だちへの関心と一緒に遊びたいという思いにつながると指摘する。さらに5歳児後半になると,思いや考えを伝え合いながら遊び,共通の目標を持つと相談しながら遊びを進め,達成感や満足感を味わえるようになるとする。すなわち,遊びや人,モノといった環境との相互作用の中でセキュアベースが広がり,それが自己から他者への繋がりといった社会性の基盤獲得へとつながるのであろう。
 今回は,特に論理的思考の観点を踏まえて,自己の成長と協同性を育む「発表会」がどのように構成できるのかを一緒に考えてみたい。

保育者養成校における専門分野の“垣根”を超えた表現教育の実際          
伊藤理絵
 保育者養成校の特徴に,様々な背景をもった教員集団であることが挙げられる。養成校170校を対象に教員が所属する学会を調べた結果(保育士養成協議会,2017),日本保育学会の所属率は16.6%であり,「保育」と名のつく学会を含めても20.7%であった。加えて,保育者養成課程の科目に近接する領域の学会が散見されたことから,養成校には幅広い専門領域をもつ教員が所属していること,保育者としての専門性を積み上げるための必要な知識・技能は多様な領域にまたがっていること,それを支える教員もまた多様性に富んでいると考察されている。このことは,保育者が実践と研修等を重ねて専門職として成長し続けることだけでなく,保育者を育てる立場にある養成校教員自身もまた,それぞれの専門分野の垣根を超えて,養成校教員として成長していくことの重要性を示唆していると思われる。
 領域「表現」とは,「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して,豊かな感性や表現する力を養い,創造性を豊かにする」という感性と表現に関する領域であり(cf.幼稚園教育要領<平成29年告示>),音楽表現,造形表現,身体表現,言語表現等が含まれる。それぞれを担当する教員の専門を教科で言えば,音楽,図画工作(美術),体育,国語等との関連性が思い浮かぶが,大学の授業は,良くも悪くも教員自身の背景に大きく左右される。表現に関する授業を実践する場合,教員自身の専門性を保育者であればどう実践に生かせるか,領域「表現」の観点から学んできた者のみが教員になっているとは必ずしも言えない。そのため,「表現」の授業が保育内容から離れ,教員自身が受けてきた教育内容をそのまま教授するような,「学生の表現技術」を伸ばすことに特化した授業が無意識に行われることもある。
 保育者養成課程の用語には幼児教育・保育に独特なものがあり,普段我々が用いている意味とは異なることがある。例えば,領域「人間関係」の授業では,子どもの人と関わる力を育む指導法を教授するのであり,学生自身の人間関係の築き方を中心にした授業を展開するわけではない。しかし,養成校内であっても人間関係を円滑にするテクニックを教えている授業だと思われることがある。本シンポジウムでは,保育者主導の発表会に対して問題提起を行っているが,話題提供として,そのような保育者を育ててしまっている保育者養成になっていないか,保育者養成校に勤務して“不思議”に感じた自身の経験を省察することを通して,保育者養成校教員に対する研修の必要性も含めて考えてみたい。