[研企シ] 学校教育実践に教育心理学の研究はどのように貢献するのか?
Keywords:学校教育への貢献, 基礎, 応用
企画の意図と目的
豊田弘司
教育心理学の研究者は,教育に貢献するための研究や研修において日々努力している。教育現場の教員を対象とした教員免許更新講習がはじまって,10年になる。受講する教員は,学校教育現場で適応可能な教授スキルや指導方法のヒントを得るために,熱心に受講している。一方,各大学の講習担当教員は,学校教育現場に貢献する内容を提供しようと多くの努力と工夫をかさねてきた。ただし,その工夫は個人の教育実践のとらえ方や研究スタイルによって大きく異なり,それに対応して,学校教育への貢献の意義は異なっている。本シンポジウムでは,学校教育現場との関わりをもつ4人のシンポジストに,学校教育現場においてどのような立場で共同研究をしているのか,どのような研修を行っているのか,どのような提案を行っているのか,及びどのような反響があるのかを紹介してもらう。
このように,本シンポジウムでは,本学会員及び関連する研究者による学校教育現場における研究スタイル及び貢献のモデルを示す。シンポジストのそれぞれの貢献のモデルが示されることによって,学会員の学校教育に関する貢献と研究能力の向上の一助になることを期待する。
話題提供の概要
基礎研究から
メタ認知はアクティブ・ラーニングの有効な理論的枠組みとなるか?
―認知の認知から自己制御の枠組みへ―
中條和光
板書の大事なところに下線を引いたり,チョークの色を変えたりして,教師は子どもたちに何が重要な情報なのかを伝え,学習を促そうとする。子どもたちは,下線の引かれた言葉をノートに書き写したり,マーカーで色を付けたりして能動的に学習を進める。このようなことは,教室では日常的に見られる光景だろう。
しかし,基礎心理学の立場でこの教師と学習者のやり取りを説明するとなると,ちょっと厄介である。なぜなら,典型的な実験室的記憶実験では,実験者が結果に影響する変数をコントロールし,学習者の役割にあたる実験参加者は,実験者の指示に受動的に従う存在であることが良い実験の条件とされるからである。それに対し,上記の例では,学習者は決して受動的な存在とは言えないだろう。一見,伝統的な記憶実験と同様に,学習者は,下線による「これを覚えなさい」という教師の指示に従っているだけの受動的な存在に見えるかもしれない。しかし,下線の項目の価値を自ら判断し,それに基づいてノートにマーカーで色をつけたり,その情報がなぜ大事なのかを考えたりして,自分自身で学び方を工夫している可能性があるからである。
この例のように,課題状況を理解し,自身で課題への取り組み方を考え,それに応じて学び方を工夫すること自体を従属変数とする実験パラダイムが基礎研究で用いられるようになったのはフラベル(Flavell, 1971, 1976)のメタ認知(記憶研究では,メタ記憶)の研究以降であろう。
フラベルによって心理学に導入されたメタ認知は,課題への取り組み方をプランニングし,それを遂行する方略を選択,実行し,その効果を査定して遂行プロセスを制御するという自己制御の理論である。そこで,この話題提供では,上記の板書の例をもとに考案したプランニングに関する実験室的な記憶研究の方法を紹介しながら,主体的で能動的な学習者のモデル,特に今日的な課題であるアクティブ・ラーニングの理論的枠組みとしてのメタ認知の可能性について考えてみたい。
授業研究から
認知心理学を授業に生かす
―教職大学院での取り組みから―
佐藤浩一
本話題提供者は認知心理学を学校現場に伝え授業に生かしてもらう活動に,三つの場で取り組んでいる。
最も主要な場が,教職大学院で実務家教員とのペアで行う指導である。院生は1年次に,認知心理学や教育評価の理論を学ぶ。2年次には勤務校や協力校で,1年次の学びを生かして授業を実践する。筆者ら指導教員は,院生1名あたり20回を超える参観と指導を繰り返す。院生は授業の成果を様々な角度から検証し,報告書にまとめる。第二の場として,院生個人だけでなく学校全体にも関わる。例えば,校内研修で学習指導の諸課題を解説する。児童生徒を対象に,上手な学習方法などの心理学的な話題を解説する授業を行うこともある。第三の場として,院生の研究の中から多くの人に知ってほしい工夫を取り上げ,教員免許状更新講習や学部の教職専門科目などで紹介している。
三つの場が統合的に生かされた事例を紹介する。現職教員院生が「読解方略を取り入れた説明文の読解」をテーマに,勤務校で小学校5年生の国語を指導した。「キーワードの見つけ方」「問いと答えの探し方」などの方略(コツ)をB6判カードに印刷してファイルに収め,児童一人一人に持たせた。児童はカードを参照しながら,説明文を読み,学習課題に取り組むことを繰り返した。児童は読解力が高まるとともに,他教科でも方略を意識するようになった。この過程で筆者は,1)児童に教えるコツを院生と考える,2)校内研修で読解方略について解説する,3)コツを使う練習をするための朝学習プリント教材を院生と作成する,4)朝学習を参観し丸つけをして児童にヒントを与える,といったかたちで関わった。院生の研究を契機に,この学校では全学年でコツカードを工夫し,読解方略を意識した国語の授業を行うようになった。さらに筆者がこの実践を他校に紹介したところ,同様の試みに取り組む学校も出てきた。
このように,認知心理学の発想を複数の経路で現場に届けようとしている。理論を実践に生かす難しさや,成果検証の工夫などについても触れたい。
応用臨床研究から
認知行動療法(CBT)の臨床実践から
神村栄一
本話題提供者は,行動療法・認知行動療法・臨床行動分析(以下ではこれらをひっくるめCBTと表記)を専門として,教育相談領域の心理的困難の理解と対応(基礎研究よりは実践に重きを置いて)を専門としてきた。具体的には,不登校,集団不適応,いじめの加害と被害,児童期思春期の不安症,強迫症,気分や意欲の問題,緘黙やチック,自傷他害の習癖,性衝動関連の問題行為,などである。発達障害その疑いありと見なせる特性やトラウマ体験の影響が背景にある事例は多い。その中で,CBT関連の理論と技術の解説書にありがちな,「上手に考えたら気分は良くなる」的なノリで紹介されるマニュアルやツールが,いかに現場では「つかえねぇ~」ものであるかを,自らの反省も含めて実感している。他方,従来からある「子どもの問題行動は『影の薄い父親』または『病理を隠し持つ母親』による」といった都市伝説から離れられず「純粋な芸術や文学と区別つかないエビデンス薄い手法」「たまたま出版ブームにのっただけのタームとツール」にしがみつくしかない,さらには「理解と対応が困難な子はともかく発達の障害としておく」が定式化しかかっている,昨今の教育現場の残念さは憂慮される。学校現場で,「誰をも悪者にしない」行動論的理解に立つ教育相談支援と伝統的な心理学研究との相性の悪さ,その打開のためのアイディアを提案したい。
授業集団研究から
学級集団のアセスメントの課題と支援
粕谷貴志
近年の学級崩壊や授業不成立は,集団の状態と教師の指導行動の適合の問題であり,学級経営を支援する際には,まず学級集団のアセスメントをおこない,それに基づいて集団の状態に合った指導行動をサポートしている。
学級アセスメントは,担任の先生への聴き取りや学級集団の観察,アンケート尺度の結果を活用しながらおこなっている。また,それらに加えて,可能であれば学級に関わっている先生らと一緒に事例検討をするようにしている。授業や休み時間,生徒指導でのかかわり,保健室での様子など,その学級の児童生徒を知っている先生たちが集まって情報を出し合うことで,学級集団の姿が浮かび上がってくるからである。外部から支援に入る者が,学級集団の状況を本当に理解することはとても困難なことであり,学校外から入った我々がアセスメントするということは,その学級にかかわっている先生たちの見ていることに助けられながら,こちらが見えるようになっていくということではないかと思う。その意味で,先生たちに,いかによく学級がよく見えるようになってもらう支援をできるかが外部の専門家の役割ではないかと考えている。
学級集団の状況が見える先生は,見るための多様な視点をもっている。たとえば,学級のリーダーが他のメンバーから認められているかについて尋ねると,学級経営が上手くいっている先生は豊富な事実をもとに語るが,そうでない先生はそのような内容を語ることができない。聞いてみると,見るための視点をもっていないことがわかる。こういった学級集団を見るための視点はいくつもあり,その視点を意識化してもらう支援が学級のアセスメントの質を高めていくことにつながる。事例検討をすると,このような学級集団を見るための視点が参加している先生から出ることがあり,参加している先生たちが自然にその見方に気づいていくことも多い。その方が,その後の実践の共有につながりやすい。
豊田弘司
教育心理学の研究者は,教育に貢献するための研究や研修において日々努力している。教育現場の教員を対象とした教員免許更新講習がはじまって,10年になる。受講する教員は,学校教育現場で適応可能な教授スキルや指導方法のヒントを得るために,熱心に受講している。一方,各大学の講習担当教員は,学校教育現場に貢献する内容を提供しようと多くの努力と工夫をかさねてきた。ただし,その工夫は個人の教育実践のとらえ方や研究スタイルによって大きく異なり,それに対応して,学校教育への貢献の意義は異なっている。本シンポジウムでは,学校教育現場との関わりをもつ4人のシンポジストに,学校教育現場においてどのような立場で共同研究をしているのか,どのような研修を行っているのか,どのような提案を行っているのか,及びどのような反響があるのかを紹介してもらう。
このように,本シンポジウムでは,本学会員及び関連する研究者による学校教育現場における研究スタイル及び貢献のモデルを示す。シンポジストのそれぞれの貢献のモデルが示されることによって,学会員の学校教育に関する貢献と研究能力の向上の一助になることを期待する。
話題提供の概要
基礎研究から
メタ認知はアクティブ・ラーニングの有効な理論的枠組みとなるか?
―認知の認知から自己制御の枠組みへ―
中條和光
板書の大事なところに下線を引いたり,チョークの色を変えたりして,教師は子どもたちに何が重要な情報なのかを伝え,学習を促そうとする。子どもたちは,下線の引かれた言葉をノートに書き写したり,マーカーで色を付けたりして能動的に学習を進める。このようなことは,教室では日常的に見られる光景だろう。
しかし,基礎心理学の立場でこの教師と学習者のやり取りを説明するとなると,ちょっと厄介である。なぜなら,典型的な実験室的記憶実験では,実験者が結果に影響する変数をコントロールし,学習者の役割にあたる実験参加者は,実験者の指示に受動的に従う存在であることが良い実験の条件とされるからである。それに対し,上記の例では,学習者は決して受動的な存在とは言えないだろう。一見,伝統的な記憶実験と同様に,学習者は,下線による「これを覚えなさい」という教師の指示に従っているだけの受動的な存在に見えるかもしれない。しかし,下線の項目の価値を自ら判断し,それに基づいてノートにマーカーで色をつけたり,その情報がなぜ大事なのかを考えたりして,自分自身で学び方を工夫している可能性があるからである。
この例のように,課題状況を理解し,自身で課題への取り組み方を考え,それに応じて学び方を工夫すること自体を従属変数とする実験パラダイムが基礎研究で用いられるようになったのはフラベル(Flavell, 1971, 1976)のメタ認知(記憶研究では,メタ記憶)の研究以降であろう。
フラベルによって心理学に導入されたメタ認知は,課題への取り組み方をプランニングし,それを遂行する方略を選択,実行し,その効果を査定して遂行プロセスを制御するという自己制御の理論である。そこで,この話題提供では,上記の板書の例をもとに考案したプランニングに関する実験室的な記憶研究の方法を紹介しながら,主体的で能動的な学習者のモデル,特に今日的な課題であるアクティブ・ラーニングの理論的枠組みとしてのメタ認知の可能性について考えてみたい。
授業研究から
認知心理学を授業に生かす
―教職大学院での取り組みから―
佐藤浩一
本話題提供者は認知心理学を学校現場に伝え授業に生かしてもらう活動に,三つの場で取り組んでいる。
最も主要な場が,教職大学院で実務家教員とのペアで行う指導である。院生は1年次に,認知心理学や教育評価の理論を学ぶ。2年次には勤務校や協力校で,1年次の学びを生かして授業を実践する。筆者ら指導教員は,院生1名あたり20回を超える参観と指導を繰り返す。院生は授業の成果を様々な角度から検証し,報告書にまとめる。第二の場として,院生個人だけでなく学校全体にも関わる。例えば,校内研修で学習指導の諸課題を解説する。児童生徒を対象に,上手な学習方法などの心理学的な話題を解説する授業を行うこともある。第三の場として,院生の研究の中から多くの人に知ってほしい工夫を取り上げ,教員免許状更新講習や学部の教職専門科目などで紹介している。
三つの場が統合的に生かされた事例を紹介する。現職教員院生が「読解方略を取り入れた説明文の読解」をテーマに,勤務校で小学校5年生の国語を指導した。「キーワードの見つけ方」「問いと答えの探し方」などの方略(コツ)をB6判カードに印刷してファイルに収め,児童一人一人に持たせた。児童はカードを参照しながら,説明文を読み,学習課題に取り組むことを繰り返した。児童は読解力が高まるとともに,他教科でも方略を意識するようになった。この過程で筆者は,1)児童に教えるコツを院生と考える,2)校内研修で読解方略について解説する,3)コツを使う練習をするための朝学習プリント教材を院生と作成する,4)朝学習を参観し丸つけをして児童にヒントを与える,といったかたちで関わった。院生の研究を契機に,この学校では全学年でコツカードを工夫し,読解方略を意識した国語の授業を行うようになった。さらに筆者がこの実践を他校に紹介したところ,同様の試みに取り組む学校も出てきた。
このように,認知心理学の発想を複数の経路で現場に届けようとしている。理論を実践に生かす難しさや,成果検証の工夫などについても触れたい。
応用臨床研究から
認知行動療法(CBT)の臨床実践から
神村栄一
本話題提供者は,行動療法・認知行動療法・臨床行動分析(以下ではこれらをひっくるめCBTと表記)を専門として,教育相談領域の心理的困難の理解と対応(基礎研究よりは実践に重きを置いて)を専門としてきた。具体的には,不登校,集団不適応,いじめの加害と被害,児童期思春期の不安症,強迫症,気分や意欲の問題,緘黙やチック,自傷他害の習癖,性衝動関連の問題行為,などである。発達障害その疑いありと見なせる特性やトラウマ体験の影響が背景にある事例は多い。その中で,CBT関連の理論と技術の解説書にありがちな,「上手に考えたら気分は良くなる」的なノリで紹介されるマニュアルやツールが,いかに現場では「つかえねぇ~」ものであるかを,自らの反省も含めて実感している。他方,従来からある「子どもの問題行動は『影の薄い父親』または『病理を隠し持つ母親』による」といった都市伝説から離れられず「純粋な芸術や文学と区別つかないエビデンス薄い手法」「たまたま出版ブームにのっただけのタームとツール」にしがみつくしかない,さらには「理解と対応が困難な子はともかく発達の障害としておく」が定式化しかかっている,昨今の教育現場の残念さは憂慮される。学校現場で,「誰をも悪者にしない」行動論的理解に立つ教育相談支援と伝統的な心理学研究との相性の悪さ,その打開のためのアイディアを提案したい。
授業集団研究から
学級集団のアセスメントの課題と支援
粕谷貴志
近年の学級崩壊や授業不成立は,集団の状態と教師の指導行動の適合の問題であり,学級経営を支援する際には,まず学級集団のアセスメントをおこない,それに基づいて集団の状態に合った指導行動をサポートしている。
学級アセスメントは,担任の先生への聴き取りや学級集団の観察,アンケート尺度の結果を活用しながらおこなっている。また,それらに加えて,可能であれば学級に関わっている先生らと一緒に事例検討をするようにしている。授業や休み時間,生徒指導でのかかわり,保健室での様子など,その学級の児童生徒を知っている先生たちが集まって情報を出し合うことで,学級集団の姿が浮かび上がってくるからである。外部から支援に入る者が,学級集団の状況を本当に理解することはとても困難なことであり,学校外から入った我々がアセスメントするということは,その学級にかかわっている先生たちの見ていることに助けられながら,こちらが見えるようになっていくということではないかと思う。その意味で,先生たちに,いかによく学級がよく見えるようになってもらう支援をできるかが外部の専門家の役割ではないかと考えている。
学級集団の状況が見える先生は,見るための多様な視点をもっている。たとえば,学級のリーダーが他のメンバーから認められているかについて尋ねると,学級経営が上手くいっている先生は豊富な事実をもとに語るが,そうでない先生はそのような内容を語ることができない。聞いてみると,見るための視点をもっていないことがわかる。こういった学級集団を見るための視点はいくつもあり,その視点を意識化してもらう支援が学級のアセスメントの質を高めていくことにつながる。事例検討をすると,このような学級集団を見るための視点が参加している先生から出ることがあり,参加している先生たちが自然にその見方に気づいていくことも多い。その方が,その後の実践の共有につながりやすい。