[JB06] 支援教育が教育現場にもたらしたもの
神奈川県で活動する心理士の立場から
Keywords:特別支援教育、学校臨床、支援体制
企画主旨
特別支援教育が始まって10年以上が経過した。この期間,教育現場では教育的ニーズのある子ども一人ひとりに対し,校内支援体制を整備し支援にあたることが求められてきた。
神奈川県では,障害の有無に関わらずすべての子どもを対象とした支援教育を提唱している。さらに現在,神奈川県では支援教育の理念のもと,すべての子どもができるだけ同じ場で共に学び共に育つ「インクルーシブ教育」を推進しているが,特別支援教育の展開,充実がインクルーシブ教育構築のプロセスであると言われている(文部科学省,2012)。インクルーシブ教育の展開の前に,特別支援教育が教育現場にもたらしたもの,その実態を検証することが必要ではないだろうか。具体的には教育現場に持ち込まれた「支援」の視点がどの程度浸透してきているのか,どのように進化してきているのかあるいはいないのかといった現状について,課題は何か,望ましい支援体制のあり方といった展望についての検証である。
話題提供者は,神奈川県の支援教育の開始前後より長年にわたる教育現場での活動経験を持ち,子どもの支援を実際に担ってきた。また単なるケース対応にとどまらず,教育現場,教育行政における支援のあり方についても考えながら活動してきた心理士である。現場を理解しつつも客観的な心理士の視点で「特別支援教育が教育現場にもたらしたもの」を発信し,振り返る機会としたい。
特別支援教育がもたらしたもの
中野早苗
1 小学校の現状
小学校教員の中に,各児童のニーズに合わせた個別の対応をするという感覚は,かなり行き渡っていると感じる。頻繁な声かけが必要な児童を教卓の近くの席にすることや,誰にとっても分かり易いように掲示物,プリント,板書などを工夫することなどは,よく話題になっている。それ以上の支援が必要な児童のために,学年・学校としての取り組みとして,算数や国語などの特定の教科に限って,20人以下のグループに分けて授業を行うことや,学習支援員のような補助スタッフが授業に入り込んで,何人かの児童をサポートすること,児童を授業から取り出して個別指導を行うことなどが,日常的に行われる学校が増えている。こうした取り組みによって,児童が"わかる"ことの喜びを感じることができ,学習に前向きに取り組むようになるといった成果があがっている。しかしながら,まだ道半ばであり,課題も多い。
2 課題
(1)導入時の課題 入り込みにしても取り出しにしても,特定の児童を対象とする場合は,通常は保護者からの申し込みが必要となる。保護者が特別な支援を受けることに偏見を持っていたり,支援の必要性を理解しなかったりして,ニーズはあるのに開始に至らないことがある。また,児童本人が特別な支援を受けることを拒否することもある。
(2)運用の課題 入り込みや取り出しをするには,それを担う人が必要になる。特別支援教育のための人的措置が不十分なために,全てのニーズのある児童に行き渡っていないし,時間・内容共に十分には行えない。
(3)将来の進路・生き方選択から見た課題 手厚い支援を受けることで,児童・保護者共に満足し安心してしまい,進路及び生き方について深く考えたり選択したりするのが遅れてしまうことがある。漠然と,同様の支援が中学校でも受けられるものと思っていたらそうはいかず,中学校で課題が一気に噴出してしまうといった,いわば,課題の先送りになってしまうことがある。
3 論点
上記の現状と課題を踏まえて,小学校での特別支援教育が,児童と保護者にとってより受け入れ易くなり,さらに効果的に行われるための環境条件や方法論,そして特別支援教育を必要とする児童の保護者への情報提供に必要な内容や適切な時期について,具体的に議論したい。
支援教育とSC
有村美和
筆者は特別支援教育が開始された2007年に公立中学校のスクールカウンセラー(以下SC)を開始した。
当時の学校現場では,支援教育は特別な生徒に行うもの,あるいは特別支援級の在籍生徒に行うものという認識が強かった。そこから現在に至る12年間でその認識は変化してきている。
2007年から現在までを3つの時期に分けて振り返ることでその変化を明らかにするとともに,今後の支援教育とSCについて皆様と議論を深めたい。
1.初期(2007年~2010年頃)
公立中学校のスクールカウンセラーを開始した時期は,偶然にも教育相談コーディネーターが公立の学校内に位置づけられた時期でもあった。この頃の生徒支援における課題は大きく2つである。
1つは,校内における教育相談コーディネーターの役割の周知と明確化および校内支援体制の整備である。SCが専門職としてその組織にどう位置付き,関わってくか,暗中模索の時期であった。
2つ目の課題は,支援が必要な児童・生徒についての理解を教職員に広めることであった。発達障害に関する知識と対応の研修が数多く行われることで,たとえば,授業の流れに乗れないことが授業の妨げと捉えられてしまうような生徒について,その行動の背景を探る視点が教職員にも広がっていった。その後,徐々に生徒の支援を組み立てる為のアセスメントを行う流れが目立つようになり,学校と教育相談機関が連携してWISC等が実施されることが増えていった。支援教育を具体的に推し進める中で,WISC検査が浸透していった。
そうした中で,SCには,相談室で個別相談対応するだけでなく,授業観察から困難を抱えている生徒を見つけたり・見立てたりすることや,集団の見立てをすることが求められるようになった。また,生徒支援の為の連携業務が増えていった。生徒支援メンバーの一人という位置づけが求められるようになったからである。支援教育の流れの中で,カウンセラーとスクールカウンセラーの違いが,明確になった面もあるように思われる。
2.中期(2011年~2014年頃)
教育相談コーディネーターは当たり前の存在となり,支援教育や生徒支援,アセスメントといった用語は日常の言葉になった。(ちょうどこの頃,乳幼児健診の場で,相談に訪れる保護者の口から「発達障害」という言葉が良く出るようになり,驚いた記憶がある。)支援を必要としている生徒に必要な支援を行うことも,当たり前となった。ただし,教育相談コーディネーターが機能していなかったり,SCが組織の中に位置づけされていなかったりなど,実態が伴わない学校も多かった。現在も,地域差や学校による差,教員による差は存在する。
SCの果たす役割のひとつに教育相談体制構築への支援というものがあるが,そのことを強く意識し,個別対応から組織への働きかけが増えた。学校による支援の格差が存在したからである。
3.現在(2015年~現在)
近年,学校が生徒にあった支援や対応を柔軟に行えるようになっている。たとえば,支援級に在籍しながらもほぼ通常級で過ごすケースや,通常級に在籍しながら取り出しなど個別支援を受けるケース,定期試験時の個別の配慮(時間を長めにとる,解答用紙を大きくする)を行うなど,多種多様なケースがある。「合理的配慮」が,徐々に浸透してきているようである。その一方で,個々の教員の力量や考え方によって左右されたり,あるいは教育相談体制・支援体制の整備され具合によって左右されたりするという実態もまだまだある。
このように12年の間で,支援教育はSCの役割や仕事内容に大きな影響を与えてきた。さらに現在,支援教育からインクルーシブ教育への流れも活発であり,それはまた,SCに大きな影響を与える可能性がある。この先の変化を迎えるにあたり,現在確認したいのは,SCとして支援に関わった生徒たちが,どのような大人になっているか?当時の支援はどのような影響を与えたか?ということである。その上で,生徒の先の人生を見通した支援とは何かを考え見極めていくことがSCの次の役割なのだと考えている。
高校における「支援教育」の課題を3つの要因から考える
井島素子
①学校教育法の定める高校の目標は「高度な普通教育と専門教育を施す」となっている。単位習得や高校卒業資格と「支援」との間で,現場では優先される事柄や方向性に迷うことが少なくない。例えば不登校生徒への支援について,登校できるようにする方向から,退学,転学,休学という方法を納得できるような支援にするのか幅が大きい。そして,生徒自身が心を整理,決断できるタイミングと,単位の未履修という時間的制約との間で葛藤することがある。
②教員の知識や経験値に個人差が大きい。小,中学校の教員と異なり,特別支援教育を身近に感じてきた経験を持たない教員が多い。この10年,現場で「支援」という言葉をよく聞くようになった。しかしその理解や実践はバラバラで,学校の支援体制の整備が進んだとは言い難い。
③年齢的にも,発達的にも高校教育の大きな目標は,社会参加,社会自立できる人材に近づけることだと考える。そしてその具体化のプロセスはバラエティに富んでいて,本人の意志や個性を反映するウエイトは高い。絶対的な唯一の正解があるとは限らない。大人に近づいていく中,その弾力性や自由度は重要だが,一方で現実社会との接続を意識する必要がある。見通しを持って適切,公正な支援策を計画することは難しくなってくる。
県の掲げる理念と現場には,乖離状態が続いている。現状の教育サービスを例えると,個々のパーツは色,形,質感を持っているが,下絵の描かれていない紙に切りばりしているようである。デザインやまとまりは乏しく,構図(支援策)の共有は難しい。パーツを紡ぎ,支援者が完成イメージを持つために,先を急がず「広める」「深める」という当たり前のことができるシステム構築を望む。また,それについて心理士の果たす役割について検討したいと考えている。
特別支援教育が始まって10年以上が経過した。この期間,教育現場では教育的ニーズのある子ども一人ひとりに対し,校内支援体制を整備し支援にあたることが求められてきた。
神奈川県では,障害の有無に関わらずすべての子どもを対象とした支援教育を提唱している。さらに現在,神奈川県では支援教育の理念のもと,すべての子どもができるだけ同じ場で共に学び共に育つ「インクルーシブ教育」を推進しているが,特別支援教育の展開,充実がインクルーシブ教育構築のプロセスであると言われている(文部科学省,2012)。インクルーシブ教育の展開の前に,特別支援教育が教育現場にもたらしたもの,その実態を検証することが必要ではないだろうか。具体的には教育現場に持ち込まれた「支援」の視点がどの程度浸透してきているのか,どのように進化してきているのかあるいはいないのかといった現状について,課題は何か,望ましい支援体制のあり方といった展望についての検証である。
話題提供者は,神奈川県の支援教育の開始前後より長年にわたる教育現場での活動経験を持ち,子どもの支援を実際に担ってきた。また単なるケース対応にとどまらず,教育現場,教育行政における支援のあり方についても考えながら活動してきた心理士である。現場を理解しつつも客観的な心理士の視点で「特別支援教育が教育現場にもたらしたもの」を発信し,振り返る機会としたい。
特別支援教育がもたらしたもの
中野早苗
1 小学校の現状
小学校教員の中に,各児童のニーズに合わせた個別の対応をするという感覚は,かなり行き渡っていると感じる。頻繁な声かけが必要な児童を教卓の近くの席にすることや,誰にとっても分かり易いように掲示物,プリント,板書などを工夫することなどは,よく話題になっている。それ以上の支援が必要な児童のために,学年・学校としての取り組みとして,算数や国語などの特定の教科に限って,20人以下のグループに分けて授業を行うことや,学習支援員のような補助スタッフが授業に入り込んで,何人かの児童をサポートすること,児童を授業から取り出して個別指導を行うことなどが,日常的に行われる学校が増えている。こうした取り組みによって,児童が"わかる"ことの喜びを感じることができ,学習に前向きに取り組むようになるといった成果があがっている。しかしながら,まだ道半ばであり,課題も多い。
2 課題
(1)導入時の課題 入り込みにしても取り出しにしても,特定の児童を対象とする場合は,通常は保護者からの申し込みが必要となる。保護者が特別な支援を受けることに偏見を持っていたり,支援の必要性を理解しなかったりして,ニーズはあるのに開始に至らないことがある。また,児童本人が特別な支援を受けることを拒否することもある。
(2)運用の課題 入り込みや取り出しをするには,それを担う人が必要になる。特別支援教育のための人的措置が不十分なために,全てのニーズのある児童に行き渡っていないし,時間・内容共に十分には行えない。
(3)将来の進路・生き方選択から見た課題 手厚い支援を受けることで,児童・保護者共に満足し安心してしまい,進路及び生き方について深く考えたり選択したりするのが遅れてしまうことがある。漠然と,同様の支援が中学校でも受けられるものと思っていたらそうはいかず,中学校で課題が一気に噴出してしまうといった,いわば,課題の先送りになってしまうことがある。
3 論点
上記の現状と課題を踏まえて,小学校での特別支援教育が,児童と保護者にとってより受け入れ易くなり,さらに効果的に行われるための環境条件や方法論,そして特別支援教育を必要とする児童の保護者への情報提供に必要な内容や適切な時期について,具体的に議論したい。
支援教育とSC
有村美和
筆者は特別支援教育が開始された2007年に公立中学校のスクールカウンセラー(以下SC)を開始した。
当時の学校現場では,支援教育は特別な生徒に行うもの,あるいは特別支援級の在籍生徒に行うものという認識が強かった。そこから現在に至る12年間でその認識は変化してきている。
2007年から現在までを3つの時期に分けて振り返ることでその変化を明らかにするとともに,今後の支援教育とSCについて皆様と議論を深めたい。
1.初期(2007年~2010年頃)
公立中学校のスクールカウンセラーを開始した時期は,偶然にも教育相談コーディネーターが公立の学校内に位置づけられた時期でもあった。この頃の生徒支援における課題は大きく2つである。
1つは,校内における教育相談コーディネーターの役割の周知と明確化および校内支援体制の整備である。SCが専門職としてその組織にどう位置付き,関わってくか,暗中模索の時期であった。
2つ目の課題は,支援が必要な児童・生徒についての理解を教職員に広めることであった。発達障害に関する知識と対応の研修が数多く行われることで,たとえば,授業の流れに乗れないことが授業の妨げと捉えられてしまうような生徒について,その行動の背景を探る視点が教職員にも広がっていった。その後,徐々に生徒の支援を組み立てる為のアセスメントを行う流れが目立つようになり,学校と教育相談機関が連携してWISC等が実施されることが増えていった。支援教育を具体的に推し進める中で,WISC検査が浸透していった。
そうした中で,SCには,相談室で個別相談対応するだけでなく,授業観察から困難を抱えている生徒を見つけたり・見立てたりすることや,集団の見立てをすることが求められるようになった。また,生徒支援の為の連携業務が増えていった。生徒支援メンバーの一人という位置づけが求められるようになったからである。支援教育の流れの中で,カウンセラーとスクールカウンセラーの違いが,明確になった面もあるように思われる。
2.中期(2011年~2014年頃)
教育相談コーディネーターは当たり前の存在となり,支援教育や生徒支援,アセスメントといった用語は日常の言葉になった。(ちょうどこの頃,乳幼児健診の場で,相談に訪れる保護者の口から「発達障害」という言葉が良く出るようになり,驚いた記憶がある。)支援を必要としている生徒に必要な支援を行うことも,当たり前となった。ただし,教育相談コーディネーターが機能していなかったり,SCが組織の中に位置づけされていなかったりなど,実態が伴わない学校も多かった。現在も,地域差や学校による差,教員による差は存在する。
SCの果たす役割のひとつに教育相談体制構築への支援というものがあるが,そのことを強く意識し,個別対応から組織への働きかけが増えた。学校による支援の格差が存在したからである。
3.現在(2015年~現在)
近年,学校が生徒にあった支援や対応を柔軟に行えるようになっている。たとえば,支援級に在籍しながらもほぼ通常級で過ごすケースや,通常級に在籍しながら取り出しなど個別支援を受けるケース,定期試験時の個別の配慮(時間を長めにとる,解答用紙を大きくする)を行うなど,多種多様なケースがある。「合理的配慮」が,徐々に浸透してきているようである。その一方で,個々の教員の力量や考え方によって左右されたり,あるいは教育相談体制・支援体制の整備され具合によって左右されたりするという実態もまだまだある。
このように12年の間で,支援教育はSCの役割や仕事内容に大きな影響を与えてきた。さらに現在,支援教育からインクルーシブ教育への流れも活発であり,それはまた,SCに大きな影響を与える可能性がある。この先の変化を迎えるにあたり,現在確認したいのは,SCとして支援に関わった生徒たちが,どのような大人になっているか?当時の支援はどのような影響を与えたか?ということである。その上で,生徒の先の人生を見通した支援とは何かを考え見極めていくことがSCの次の役割なのだと考えている。
高校における「支援教育」の課題を3つの要因から考える
井島素子
①学校教育法の定める高校の目標は「高度な普通教育と専門教育を施す」となっている。単位習得や高校卒業資格と「支援」との間で,現場では優先される事柄や方向性に迷うことが少なくない。例えば不登校生徒への支援について,登校できるようにする方向から,退学,転学,休学という方法を納得できるような支援にするのか幅が大きい。そして,生徒自身が心を整理,決断できるタイミングと,単位の未履修という時間的制約との間で葛藤することがある。
②教員の知識や経験値に個人差が大きい。小,中学校の教員と異なり,特別支援教育を身近に感じてきた経験を持たない教員が多い。この10年,現場で「支援」という言葉をよく聞くようになった。しかしその理解や実践はバラバラで,学校の支援体制の整備が進んだとは言い難い。
③年齢的にも,発達的にも高校教育の大きな目標は,社会参加,社会自立できる人材に近づけることだと考える。そしてその具体化のプロセスはバラエティに富んでいて,本人の意志や個性を反映するウエイトは高い。絶対的な唯一の正解があるとは限らない。大人に近づいていく中,その弾力性や自由度は重要だが,一方で現実社会との接続を意識する必要がある。見通しを持って適切,公正な支援策を計画することは難しくなってくる。
県の掲げる理念と現場には,乖離状態が続いている。現状の教育サービスを例えると,個々のパーツは色,形,質感を持っているが,下絵の描かれていない紙に切りばりしているようである。デザインやまとまりは乏しく,構図(支援策)の共有は難しい。パーツを紡ぎ,支援者が完成イメージを持つために,先を急がず「広める」「深める」という当たり前のことができるシステム構築を望む。また,それについて心理士の果たす役割について検討したいと考えている。