[JD04] 授業を意味づける(5)
授業者・実践者・研究者の授業を見る視点と語り
Keywords:授業研究、研究協議会、授業を見る視点
企画趣旨
町 岳
大学における教育心理学の研究と学校現場における授業実践の乖離は,「教育心理学の不毛性」(例えば高橋, 2002)等の言葉で語られることもあったが,そんな中でも研究と学校現場の実践をつなぐ様々な試みがなされてきた。その一つに教育心理学会における自主シンポジウム「授業を意味づける1~4」(2008~2011) がある。当シンポジウムの特徴は,(誌上の報告ではなく)実際の授業映像をもとにした「研究協議会」を教育心理学会の会場の中で行い,①実際の学校現場の授業(の一部)をDVDにより参観者が参観する,②学校現場の授業実践に関わっている実践者と研究者が授業について語る,③フロア全体で,授業だけでなく話題提供者の語り(授業講評)についても意見交換をする,ということにあった。校内研究会で行われる研究協議会は,授業と授業者についての語りが中心になるが,授業についての研究者の語りも含んで協議するという当シンポジウムの構造は,授業者やそれぞれの実践者・研究者の授業に対する語りの背景に,それぞれの独自な意味づけがあることを,示すことにつながった。
今回8年ぶりに「授業を意味づける」の自主シンポジウムを再開する。1つの授業に対して,学校現場の実践者と教育心理学の研究者が,それぞれ独自の視点から切り込み議論を深めることで,新学習指導要領の完全実施(2020年)にむけて,両者をつなぐ示唆を得ることを期待する。
四角形の性質の関連づけによる思考の深まり
町 岳
新学習指導要領では,授業改善のキーワドとして「主体的・対話的で深い学び」が示されている。しかしそれが何を意味するのか,それをどのように具体化するのかなどについての議論は,まだ十分に成熟しているとはいえず,ともすると形式的に小グループの活動を取り入れることをもって,よしとする場合もあるのではないだろうか。これは授業の中で,思考がどのように深まっていくかについての想定と,対話的な学びをどのように指導案に位置づけるかについての計画が,曖昧なことが一因ではないかと考える。
今回の授業は,公立小学校4年生 算数科単元「垂直・平行と四角形」のまとめにあたる授業である。本授業では,上記の課題に応えるために,以下の2点に留意して授業をデザインした。
①単元における思考深化のプロセスを,「A 個々の四角形と性質の関連付け」→「B 四角形の性質の比較(=類似点・相違点の抽出)」→「C(結果として)6種類の四角形の関係を統合的にとらえる」と想定する。
②上記のプロセスに沿って思考深化を促すために,ペアと学級全体による話し合い活動を組み合わせ,ペア(B)→全体(C)→ペア(B’)のように,段階的に思考が深まるようにする。
本授業に対し,それぞれの登壇者の視点から切り込んでいただくことで,「主体的・対話的で深い学び」の授業をどのようにつくり,検討していけばよいかの足場をかけることができるだろう。
授業を創る
盛永裕一
授業を実践する時,もしくは人の授業を参観する時,私は以下の二つの視点を大切にしてきた。
・教材の本質:授業では,教材研究が命である。教材の本質や価値を,指導者がよく理解していなければいけない。算数の授業では「数学的な考え方」に視点を置くことが多い。
・児童の実態:授業では,学習者の実態や発達段階を考慮する。指導案を作成する際,課題提示の工夫,発問の吟味等が大切だからである。これは飛び込みの授業では難しい。
この二つを両輪として,よい授業を創るのである。今回の授業は,第4学年の図形指導に「図形の相互関係」の内容を取り入れたものである。本指導においては,児童に次の二つのことに気づかせたい。一つ目は,「思考の経済性」である。下位概念は上位概念に従属する。例えば,「平行四辺形が二組の辺が平行」であれば,長方形や正方形は必ず「二組の辺が平行」である。この関係性は,物事を調べるときに思考の節約になり,日常生活にも役立つものである。二つ目は,図形を動的に見る経験である。「平行四辺形の4つの角を直角にすると長方形になる」,「長方形の4つの辺を同じ長さにすると正方形になる」等は,図形を動的に見る機会となる。これは,今後の学習に役立つものである。
今回,実際に授業を参観させていただいたが,子供たちの目が輝いていた。まさに,主体的・対話的で深い学びが実現した瞬間である。「授業を創る」ことは,楽しいことである。
授業の何をみて,何を語るのか
鹿毛雅治
教員研修の効果的な形態として「校内授業研究」が着目されて久しい。また,多くの学校で実際に校内授業研究が行われている。その一方で,教師たちにその効果が実感できているかというと必ずしもそうではない。このような状況下において,どのような授業研究のあり方が教師の力量形成につながるのかについて理論的かつ実践的に明らかにすることは重要な研究課題であるに違いない。とりわけ,参観者が授業中に何をみて,事後検討会で何を語るのかという一連のプロセスに関する検討は極めて心理学的なテーマであろう。
筆者は,そもそも授業の目的は学習の成立であるという大前提を踏まえ,授業中のある学習者(たち)の学習プロセスを把握しようという意図を持ち,彼らがその場で何を体験しているかに関心を向け,彼らの行為に関する事実を情報化することを心がけてきた。また,それらの情報を根拠としつつ授業の文脈を踏まえて情報群を統合することを通して,当該学習者(たち)の学習活動を解釈し,それを事後検討会で具体的なエピソードとして語ることを通して,「授業で起こっていたこと」を丁寧に理解することを目指してきた。教師教育という観点に立てば,このようなアプローチを繰り返すことによって,一人ひとりの学習者の学習プロセスに対する鋭敏な感覚が身につき,それがひいては学習者に応じた即興的な授業展開のできる教師の力量の基礎になると考えるからである。その意味で「授業研究」は「学習研究」が土台になるべきなのである。当日は,上記のスタンスに立脚し,当該授業のビデオをみて,語ってみたい。
授業を見る視点と語り
秋田喜代美
教師が同僚から学び合う学習過程深化のためには,他教師の授業を共に見る,記録する,語ることを通して,授業者や参観教師の視点と自己視点との共通性や差異を自覚化し振り返ることが重要である。海外のLesson Studiesにおいても,当初はどのように授業研究を行うのかと言うシステムやサイクル局面への関心が中心であった。しかし現在は,教師は何を観ていかに記録し語るかがホットな話題となっている。授業者の視線計測研究からは,新任教師が限定的部分を長く注視するのに対して,熟練教師は広範囲部分を注視する等が明らかにされている(Won Jong et al., 2012)。おそらく同様のことは,授業を参観する時にも立場や専門性の相違によりどの範囲に特に焦点をあて何をいかに見ているかに違いがあると想定される。また筆者が先輩研究者や指導主事から学んだことは,各々が独自の視座やスタイルを形成している点である。秋田(2018)は,学校により何を観るかのスタイルに相違があり,それが校内研修の語りの積み重ねが生む学校文化となっていることを指摘してきた。また見えたことをすべて語るわけではなく,その場においてどこに焦点を当て語るかは文脈や状況に応じて,即興的に宛て先を選び変えている。この意味では,おそらく学会と言う場で特定の授業ビデオを見て語りあうことと,授業者に対して当該教師や学級を知っていて語ること,特定教科内容や教材との関係で語ること,学校において授業者のみならず,参観者を含めた人たちに宛てて語ることで,おそらく見えたことと宛先を考えての再構成過程が生じるのではないかと考えられる。本シンポジウムではこの点を具体的にビデオ記録と対話を通して考えてみたい。
町 岳
大学における教育心理学の研究と学校現場における授業実践の乖離は,「教育心理学の不毛性」(例えば高橋, 2002)等の言葉で語られることもあったが,そんな中でも研究と学校現場の実践をつなぐ様々な試みがなされてきた。その一つに教育心理学会における自主シンポジウム「授業を意味づける1~4」(2008~2011) がある。当シンポジウムの特徴は,(誌上の報告ではなく)実際の授業映像をもとにした「研究協議会」を教育心理学会の会場の中で行い,①実際の学校現場の授業(の一部)をDVDにより参観者が参観する,②学校現場の授業実践に関わっている実践者と研究者が授業について語る,③フロア全体で,授業だけでなく話題提供者の語り(授業講評)についても意見交換をする,ということにあった。校内研究会で行われる研究協議会は,授業と授業者についての語りが中心になるが,授業についての研究者の語りも含んで協議するという当シンポジウムの構造は,授業者やそれぞれの実践者・研究者の授業に対する語りの背景に,それぞれの独自な意味づけがあることを,示すことにつながった。
今回8年ぶりに「授業を意味づける」の自主シンポジウムを再開する。1つの授業に対して,学校現場の実践者と教育心理学の研究者が,それぞれ独自の視点から切り込み議論を深めることで,新学習指導要領の完全実施(2020年)にむけて,両者をつなぐ示唆を得ることを期待する。
四角形の性質の関連づけによる思考の深まり
町 岳
新学習指導要領では,授業改善のキーワドとして「主体的・対話的で深い学び」が示されている。しかしそれが何を意味するのか,それをどのように具体化するのかなどについての議論は,まだ十分に成熟しているとはいえず,ともすると形式的に小グループの活動を取り入れることをもって,よしとする場合もあるのではないだろうか。これは授業の中で,思考がどのように深まっていくかについての想定と,対話的な学びをどのように指導案に位置づけるかについての計画が,曖昧なことが一因ではないかと考える。
今回の授業は,公立小学校4年生 算数科単元「垂直・平行と四角形」のまとめにあたる授業である。本授業では,上記の課題に応えるために,以下の2点に留意して授業をデザインした。
①単元における思考深化のプロセスを,「A 個々の四角形と性質の関連付け」→「B 四角形の性質の比較(=類似点・相違点の抽出)」→「C(結果として)6種類の四角形の関係を統合的にとらえる」と想定する。
②上記のプロセスに沿って思考深化を促すために,ペアと学級全体による話し合い活動を組み合わせ,ペア(B)→全体(C)→ペア(B’)のように,段階的に思考が深まるようにする。
本授業に対し,それぞれの登壇者の視点から切り込んでいただくことで,「主体的・対話的で深い学び」の授業をどのようにつくり,検討していけばよいかの足場をかけることができるだろう。
授業を創る
盛永裕一
授業を実践する時,もしくは人の授業を参観する時,私は以下の二つの視点を大切にしてきた。
・教材の本質:授業では,教材研究が命である。教材の本質や価値を,指導者がよく理解していなければいけない。算数の授業では「数学的な考え方」に視点を置くことが多い。
・児童の実態:授業では,学習者の実態や発達段階を考慮する。指導案を作成する際,課題提示の工夫,発問の吟味等が大切だからである。これは飛び込みの授業では難しい。
この二つを両輪として,よい授業を創るのである。今回の授業は,第4学年の図形指導に「図形の相互関係」の内容を取り入れたものである。本指導においては,児童に次の二つのことに気づかせたい。一つ目は,「思考の経済性」である。下位概念は上位概念に従属する。例えば,「平行四辺形が二組の辺が平行」であれば,長方形や正方形は必ず「二組の辺が平行」である。この関係性は,物事を調べるときに思考の節約になり,日常生活にも役立つものである。二つ目は,図形を動的に見る経験である。「平行四辺形の4つの角を直角にすると長方形になる」,「長方形の4つの辺を同じ長さにすると正方形になる」等は,図形を動的に見る機会となる。これは,今後の学習に役立つものである。
今回,実際に授業を参観させていただいたが,子供たちの目が輝いていた。まさに,主体的・対話的で深い学びが実現した瞬間である。「授業を創る」ことは,楽しいことである。
授業の何をみて,何を語るのか
鹿毛雅治
教員研修の効果的な形態として「校内授業研究」が着目されて久しい。また,多くの学校で実際に校内授業研究が行われている。その一方で,教師たちにその効果が実感できているかというと必ずしもそうではない。このような状況下において,どのような授業研究のあり方が教師の力量形成につながるのかについて理論的かつ実践的に明らかにすることは重要な研究課題であるに違いない。とりわけ,参観者が授業中に何をみて,事後検討会で何を語るのかという一連のプロセスに関する検討は極めて心理学的なテーマであろう。
筆者は,そもそも授業の目的は学習の成立であるという大前提を踏まえ,授業中のある学習者(たち)の学習プロセスを把握しようという意図を持ち,彼らがその場で何を体験しているかに関心を向け,彼らの行為に関する事実を情報化することを心がけてきた。また,それらの情報を根拠としつつ授業の文脈を踏まえて情報群を統合することを通して,当該学習者(たち)の学習活動を解釈し,それを事後検討会で具体的なエピソードとして語ることを通して,「授業で起こっていたこと」を丁寧に理解することを目指してきた。教師教育という観点に立てば,このようなアプローチを繰り返すことによって,一人ひとりの学習者の学習プロセスに対する鋭敏な感覚が身につき,それがひいては学習者に応じた即興的な授業展開のできる教師の力量の基礎になると考えるからである。その意味で「授業研究」は「学習研究」が土台になるべきなのである。当日は,上記のスタンスに立脚し,当該授業のビデオをみて,語ってみたい。
授業を見る視点と語り
秋田喜代美
教師が同僚から学び合う学習過程深化のためには,他教師の授業を共に見る,記録する,語ることを通して,授業者や参観教師の視点と自己視点との共通性や差異を自覚化し振り返ることが重要である。海外のLesson Studiesにおいても,当初はどのように授業研究を行うのかと言うシステムやサイクル局面への関心が中心であった。しかし現在は,教師は何を観ていかに記録し語るかがホットな話題となっている。授業者の視線計測研究からは,新任教師が限定的部分を長く注視するのに対して,熟練教師は広範囲部分を注視する等が明らかにされている(Won Jong et al., 2012)。おそらく同様のことは,授業を参観する時にも立場や専門性の相違によりどの範囲に特に焦点をあて何をいかに見ているかに違いがあると想定される。また筆者が先輩研究者や指導主事から学んだことは,各々が独自の視座やスタイルを形成している点である。秋田(2018)は,学校により何を観るかのスタイルに相違があり,それが校内研修の語りの積み重ねが生む学校文化となっていることを指摘してきた。また見えたことをすべて語るわけではなく,その場においてどこに焦点を当て語るかは文脈や状況に応じて,即興的に宛て先を選び変えている。この意味では,おそらく学会と言う場で特定の授業ビデオを見て語りあうことと,授業者に対して当該教師や学級を知っていて語ること,特定教科内容や教材との関係で語ること,学校において授業者のみならず,参観者を含めた人たちに宛てて語ることで,おそらく見えたことと宛先を考えての再構成過程が生じるのではないかと考えられる。本シンポジウムではこの点を具体的にビデオ記録と対話を通して考えてみたい。