日本教育心理学会第61回総会

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自主企画シンポジウム

[JE01] JE01
教育実践に資するバフチン・対話理論

ヤクビンスキー『ダイアローグのことばについて』を視座に

Sun. Sep 15, 2019 1:30 PM - 3:30 PM 3号館 2階 (3203)

企画・司会・話題提供:田島充士(東京外国語大学)
話題提供:桑野隆#(元早稲田大学)
話題提供:朝妻恵里子#(慶應義塾大学)
指定討論:一柳智紀(新潟大学)

[JE01] 教育実践に資するバフチン・対話理論

ヤクビンスキー『ダイアローグのことばについて』を視座に

田島充士1, 桑野隆#2, 朝妻恵里子#3, 一柳智紀4 (1.東京外国語大学, 2.元早稲田大学, 3.慶應義塾大学, 4.新潟大学)

Keywords:対話(ダイアローグ)、独話(モノローグ)、教育方法

企画主旨
 平成29・30年改訂学習指導要領において「対話的な学び」がうたわれるようになったこともあり,昨今,教育心理学界において「ダイアローグ(対話)」概念への注目度が高まっている。本シンポジウムでは,国際的な評価が定着しているダイアローグ論として,1920年代以降に活躍したロシア(旧ソ連)の文芸学者であるM.M.バフチンによる議論に着目する。バフチンのダイアローグ論では,個々の話者が抱える内的な社会(「内的ダイアローグ」)としての意識の独自性を高く評価する。決して一致することのない独自の意識を抱える話者同士の衝突と相互変化のプロセスこそ,バフチンの捉えるダイアローグであり,異質な文化的背景を抱える者同士の接触が増加する現代におけるコミュニケーションのあり方を考える上で,重要な示唆を与え得る思想といえる。
 そしてバフチンがこのダイアローグ論を展開する上で参照したと考えられる重要文献の存在が知られている。それが,本シンポジウムで取り上げるL.P.ヤクビンスキーによる『ダイアローグのことばについて』(1923年)である。本論文においては,バリエーション豊富な言語実践の事例紹介により,ダイアローグ・モノローグ概念の意味が具体的に肉付けされている。そしてバフチンの主要な著作には,本論文を引用して発展的な議論を展開していると思われる箇所が多くみられる。これらの箇所において省略された具体的なコミュニケーション事例を知ることは,バフチンのダイアローグ論を具体的な教育実践の解釈・評価において発展的に活用する上で重要である。ヤクビンスキーのこの論文はこれまで,完全な邦訳・英訳がなされなかったために日本の心理学界ではほとんど知られてこなかったものの,2000年以降,欧米の心理学者・教育学者を中心に取り上げられるようになってきており,バフチンの議論を理解する上での重要な補助線の一つとして,国際的な評価が高まっている。
 本シンポジウムでは『ダイアローグのことばについて』の概要および,言語学者としてのヤクビンスキーの履歴と当時のロシア言語学界の動向について紹介する。そしてこれらの論点からみたバフチン・ダイアローグ論の,教育実践を読み解く上での発展的な解釈可能性についても論じる。
 なお本シンポジウムの発表資料は,話題提供者による本邦初の『ダイアローグのことば』の完全訳を含む著書『ダイアローグのことばとモノローグのことば:ヤクビンスキー論からみたバフチンの対話理論』(福村出版)の成果を元にしている。

ヤクビンスキー著『ダイアローグのことばについて』の特徴
朝妻恵里子
 『ダイアローグのことばについて』は,言語活動の多様性という,1920年代当時のロシア言語学界において重んじられたテーマを分析対象とし,その原因について,具体的なコミュニケーション事例を交えて検討を重ねた希有な論文である。ヤクビンスキーは,話題について互いに情報共有が期待できる話者の間では,わずかな言語表現によっても話し手の意志を聞き手が受け入れることができるため,話し手と聞き手が比較的短い時間で相互に役割を交代しながら交流を行うと指摘し,これをコミュニケーションの「ダイアローグ形式」と呼んだ。一方,情報共有が期待できない話者の間では,自分自身の意志をすべて言語化して表現をしなければならなければ相手に受け入れてもらえないため,話し手は比較的長い時間,話し手としての役割を果たし続けると指摘し,これをコミュニケーションの「モノローグ形式」と呼んだ。そしてダイアローグ形式的コミュニケーションを通し,人々は独自の語彙を備えた「社会的方言」という言語活動の多様性を生み出すのに対し,モノローグ形式的コミュニケーションを通し,異なる社会的方言を背景とする話者同士が,越境的な相互接触を可能にするのだと指摘した。トルストイ,ドストエフスキーなどの文学作品や,彼自身の実体験を含む様々なコミュニケーション事例を駆使したヤクビンスキーのこのダイアローグ・モノローグ論は,バフチンを含む多くの研究者に対して影響を与えた。本発表では,本論文の概要について紹介し,そのねらいと特徴について論じる。

バフチンとヤクビンスキーのダイアローグ論がもたらす教育実践への新たな視点
田島充士
 バフチンのダイアローグ(対話)論を教育実践研究に応用するトレンドは,教育—発達心理学において,すでに定着している。実際,バフチンは中等学校の教員として教鞭を執っていたこともあり,教育場面においてみられる具体的な諸現象に対する,彼の議論の解釈力・説明力はかなり高い。バフチンのいう「ダイアローグ」とは,話者個々が抱える独自の意識の独自性を強調した相互交流を示すものであり,慣れ親しんだ仲間同士の会話というよりもむしろ,異質な文化的背景を持つ他者同士の相互接触可能性を価値づける概念といえる。このダイアローグ概念の特殊性を理解せずに,具体的なコミュニケーション事象の説明に適用しては,バフチン論が本来持つ,豊かなポテンシャルを活かしきることはできないだろう。
 バフチンのダイアローグ論の特徴は,話者間における情報共有の側面に着目したヤクビンスキーの議論にとどまらず,表現された情報に対する肯定的評価(受容)および,否定的評価(批判・否認)という側面に着目した点にあると考えられる。つまり,話者の間で情報の共有が期待できたとしても,その情報に対して聞き手が批判的な態度を取るのであれば話し手の意志は受け入れられず,話し手はさらなる言語的交渉を行わなければならない。異質な化的背景を持つ者同士のコミュニケーションでは,本来,このような評価的側面における話者らの態度も重要な役割を果たすのだが,バフチンの議論においてはこの契機に対する分析が掘り下げられているのに対し,ヤクビンスキーの議論においては,情報的側面への関心に偏るという傾向の違いが見て取れる。
 本発表では,ヤクビンスキーによるダイアローグ論を参照した上で,バフチン独自の理論展開について概観する。そしてコミュニケーションの特性を話者間の「話題に関する情報共有の有無」および,「相手の言表に対する評価の否定性の程度」の二次元から整理したモデルを提案する。さらに文化間交流の可能性を拓くという視点から,関連する教育実践研究にも触れ,教育実践の豊かさを理解する上での,バフチンによるダイアローグ概念の発展的な解釈可能性について論ずる。

言語学者・L.P.ヤクビンスキー
桑野 隆
 レフ・ペトロヴィチ・ヤクビンスキー(1892-1945)は,のちに「ロシア・フォルマリズム」と呼ばれることになる詩学運動の旗手の一人として知られる。バフチンを中心とした研究会(「バフチン・サークル」とも呼ばれる)の主要メンバーであり,『マルクス主義と言語哲学』などバフチンによって執筆されたものとも目されている複数の著作の著者であるV.N.ヴォロシノフは,ヤクビンスキーが勤める研究所で指導を受ける関係であった。そのためバフチンは,ヴォロシノフを通じてヤクビンスキーの言語論を深く知る関係にあったと考えられる。実際,ヴォロシノフ名義で出版された著作には,『ダイアローグのことばについて』の引用符が示された箇所がわずかにあり,バフチン自身の名義による『ドストエフスキーの詩学』『小説の言葉』などの著作よりもヤクビンスキーからの影響を色濃く感じさせる論展開がなされている。本発表では,ヤクビンスキーおよびその周囲の言語学者らが活躍した当時のロシア(旧ソ連)における言語学界の状況について概観する。また『ダイアローグのことばについて』以降のヤクビンスキーの学術的活動および著書についても言及し,その視点から,バフチンによるダイアローグ論の特徴について論じる。