[JG01] 「いじめ免疫プログラム」の試行と評価方法論の模索
世田谷区での実践と検討
Keywords:いじめ、いじめ予防、評価
企画趣旨
2013年のいじめ防止対策推進法の施行以降,多くの学校は,いじめ認知の敏感さの向上や,いじめ対応最優先の姿勢で,対策の取り組みを強めてきたように思われる。しかし,いまだに小学校の低学年でもいじめの重大事態は起きており,また,家族が深刻な二次被害を受けることもある。
現在,いじめ防止対策推進法の改正が議論されているが,いじめを認知する姿勢ができていない,あるいは,いじめ対応に積極的ではない教員への懲戒も検討された。ノルウェーでは2015年に,ある校長がいじめに対して介入しないことに対して法的責任を負うことになったと報道された。ノルウェーの教育法§9a-7にペナルティが示されており,罰金あるいは3ヵ月までの懲役刑あるいはその両方になるようである。
企画者は,法的な懲戒の前に,いじめへの対応ができない,あるいはしない教師をいかに支援し,効果的ないじめ対応を学校全体でできるようになるのかが課題であると考えている。過去20年ほど,企画者はピア・サポート実践を支援・評価したり,スマートフォン・サミットの実践を支援・評価したりしてきたが,それら,いわば名人芸のような実践は普及に限界があり,より普及する工夫が必要であると考えるようになった。料理にたとえれば「鉄人の美食」から「3分クッキング」への転換である。そのために,同じ問題意識をもつ世田谷区教育委員会と2018年度から共同し,企画者の提案する「いじめ免疫プログラム」を試行的に展開してきた。このプログラムは,その名称,構造,ねらう効果指標に特徴がある。
まず,「免疫」という名称は,どこにでもあるいじめの芽への,子どもたち自身の抵抗力による対処への期待を反映している。ピア・サポートやフィンランドのKiVaプログラムと同様に,傍観ではなく被害側に寄り添い,いじめを仲裁するように変わることを期待するものである。「いじめがいかにひどいことか」を強調するだけの純潔主義の教育では,今までにいじめをしたと自覚のある子は,反省するかもしれないが,逆に,そう説く論理を道徳不活性化で否定し,説く者の見えないところでいじめを行うかもしれない。いじめの痛みや後悔を知る者が,その思いを免疫として,いじめに介入することを願っての命名である。
次に,このプログラムの構造はスケルトンである。すでに文科省,各教育委員会などがネット上にさまざまないじめ対策の教材を公開しており,道徳科の教科書にも,いじめの教材は含まれている。それらの教材の中から,必要最小限なものを自分のクラスの状態を考えて選び,実践するわけだが,その際に,「留意点」があることが特徴である。「見つける」「止める」「フォローする」の3セッションからなっており,それぞれにおいて,いじめの定義があいまいであり,一人で止めるとかえってターゲットになり,いじめの被害側がのちに加害側になるという諸問題に対応するスパイスを効かせることが求められる。
一つめのセッションは「いじめの芽を見つける」ためのものである。いじめの芽といじめの境界線はあいまいであり,だからこそ,ふざけといじめの違い,いじめとけんかの違いなどについて子どもたちと議論することに意味があると思われる。おとなの定義を教え込むのではなく,それらの境界があいまいなゆえに,いつのまにかいじめてしまっている危険性があることに気づく機会を準備したい。「いじめ」ではなく「いじめの芽」としているのは,いじめかどうかわからない段階で対処を始めることを意図しているからである。二つめのセッションは,「いじめをみんなで止める」ためのものである。「みんなで」に意味がある。ひとりで止めようとするのはかなりの勇気が必要で,かつ,次のターゲットになる危険性をはらむ。三つめのセッションは,いじめへの介入後にいかに「フォローするか」である。被害側の仕返し,加害側の陰湿化や被害化を防ぐものである。報復的な正義(「目には目を,歯には歯を」)ではなく,修復的な正義(与えた損失を償う)を考えることが目標であるが,この実践化はなかなか難しく,海外の実践に学びつつ模索中である。
最後に,このプログラムがねらう効果指標に独自性がある。いじめの頻度や程度の指標で実践前と後の比較をした場合,いじめへの気づきの向上から,事後にいじめの報告が増える場合もある。いじめ対策評価研究のメタ分析の結果でも,ある程度のいじめの減少が認められるものの,実践の種類によっては,あまり効果が見られない。そこで,いじめに特化したレジリエンスである,いじめ免疫と言える意識や知識の向上があったのかどうかをモニターする方向で検討している。上記の方針で行った試行実践の成果を,各校配布の冊子体の報告書ではなく,教師全員に届くリーフレットとして作成しているところである。
本シンポジウムでは,その試行実践の一端を紹介するとともに,その実践の「見取り」を報告し,研究者の指定討論をお願いする。「見取り」には前記の「いじめ免疫尺度」のみではなく「子どもの名言」「保護者のアンケート」も用いる。
話題提供1
いじめ免疫プログラムの試行実践
羽鳥 晋・三浦公平
第6学年の「特別活動」のなかで,いじめを傍観しない基盤づくりの授業を行った。いじめをしない,させない,見過ごさない,見て見ぬふりをしないための実践力の基礎を培うことをねらいとし,「集団の力」について考える授業を企画して実践した。具体的には,スウェーデンのNPO法人であるFriendsが制作した1分ほどの動画を視聴し,気づいたことを班で話し合い,内容を確認した。そのうえで,「その動画にふさわしいキャッチフレーズ」を考えるという課題に対して,児童はワークシートに記入して発表した。最後に学習をふり返り,考えたことをまとめるというものであった。「いろんな人の視界が集まれば強くなる」などのフレーズが児童から出された。
いじめをしないということを子どもに教え込むのではなく,子どもが発信側にたつ実践であった。この実践によって,現実にどのような影響があったのかを判定するのは難しいが,言葉のみではなく,「視線での抑止」ということへの気づきが生まれていたように思われる。
また,2年生,4年生,6年生における,セッションのいずれかの試行をもとに,リーフレットを作成した。それは,研究の知を実践の知へと翻訳する作業であり,関わった実践者,指導主事,研究者の協働による度重なる改訂を経て,ようやくかたちになった。しかし,それでも,仕上がったというよりも,たたき台が提案できたというものであり,今後,さらに修正をしていく。
話題提供2
いじめ免疫尺度の原案と検討
戸田有一・金綱知征・西野泰代
いじめの自己報告や教師による認知などの,いじめの生起に関する指標ではなく,また,幅広い自尊感情やレジリエンスの指標でもなく,いじめに焦点化したレジリエンスの指標として,いじめ免疫尺度を考案した。2018年夏の研修で,小学校の教員や副校長による検討を経て,さらに研究者のなかで項目の検討を行っている。
2019年度に試行調査及び本調査を行う予定で,大阪教育大学倫理委員会での承認もいただいた。
話題提供3
試行実践のなかでの「子どもの名言」と保護者アンケートによる実践評価
藤谷弥生・板澤健一
〈子どもの名言〉
いじめ対策の実践では,小学校4年生の児童が自らの言葉を紡ぎだしていた。まず,最初の授業で,いじめの定義のあいまいさについて議論がなされ,いじめかいじめではないかの境界が「もやもや」していると児童が発言していた。その定義のあいまいさをふまえ,いじめの場面を見たときにどうするのかについて意見を出し合う2回目の授業で,ある児童が授業の振り返りのワークシートに書いている不等式のようなものの意味を尋ねると,「いじめられっ子の味方になることは,いじめっ子のテキになることではない」と。いじめている人を皆で責めることが,新たないじめになる可能性があるからだと言う。
このような意見が,授業のなかで4年生の児童から出てくるということに,意義があると思われる。教師から言葉を伝えて復唱させるのではなく,一緒に考える授業のなかで,児童が言葉を紡いだのである。なんらかの尺度による数値を比較する調査研究ではおそらく出てこない,子ども自身が紡ぎ出す,いわば「名言」である。数値の結果を学校間や子どもと共有することにも,意義がないわけではないが,このような「名言」は,そこに,大事な考え方が凝縮されており,その言葉を共有することで,何かが伝わっていくと思われる。従来,このような実践は,「標語」「ポスター」の制作,そのコンクールや街中での掲示によって行われていたが,それを,実践の交流として行うことも,今後,考えられる。
〈試行実践に関する保護者アンケート〉
「いじめの予防にむけた授業づくり」に関して,実践後1週間ほどたってから,保護者に簡単なアンケートを実施した。それは,いじめに関する授業の内容を,帰宅後に児童が自発的に話したかどうか(保護者には,授業があったということを,アンケート配布の時点まで知らせてはいない),話した場合には,その内容は,どのようなものであったか,そして,自由意見を求めるものである。下記は小学校2年生の保護者の回答である。
先生がされた話を夜家族の前で話し,『パパはどう思う?ママは?ねえねは?』と,1人ずつ意見を聞き,自分の意見を話していました。そのことについて,こうしたら良かったとか,しっかり自分の意見を持っていて,すごく良い授業を受けてきたんだなと,思っていました。夜泣いていた犬を抱っこして『まわりの人にめいわくになるよ』と真顔で,その夜話していたので,どうしたのと聞くと,『まわりの人が,いやな気持になるから』とかえってきました。
2013年のいじめ防止対策推進法の施行以降,多くの学校は,いじめ認知の敏感さの向上や,いじめ対応最優先の姿勢で,対策の取り組みを強めてきたように思われる。しかし,いまだに小学校の低学年でもいじめの重大事態は起きており,また,家族が深刻な二次被害を受けることもある。
現在,いじめ防止対策推進法の改正が議論されているが,いじめを認知する姿勢ができていない,あるいは,いじめ対応に積極的ではない教員への懲戒も検討された。ノルウェーでは2015年に,ある校長がいじめに対して介入しないことに対して法的責任を負うことになったと報道された。ノルウェーの教育法§9a-7にペナルティが示されており,罰金あるいは3ヵ月までの懲役刑あるいはその両方になるようである。
企画者は,法的な懲戒の前に,いじめへの対応ができない,あるいはしない教師をいかに支援し,効果的ないじめ対応を学校全体でできるようになるのかが課題であると考えている。過去20年ほど,企画者はピア・サポート実践を支援・評価したり,スマートフォン・サミットの実践を支援・評価したりしてきたが,それら,いわば名人芸のような実践は普及に限界があり,より普及する工夫が必要であると考えるようになった。料理にたとえれば「鉄人の美食」から「3分クッキング」への転換である。そのために,同じ問題意識をもつ世田谷区教育委員会と2018年度から共同し,企画者の提案する「いじめ免疫プログラム」を試行的に展開してきた。このプログラムは,その名称,構造,ねらう効果指標に特徴がある。
まず,「免疫」という名称は,どこにでもあるいじめの芽への,子どもたち自身の抵抗力による対処への期待を反映している。ピア・サポートやフィンランドのKiVaプログラムと同様に,傍観ではなく被害側に寄り添い,いじめを仲裁するように変わることを期待するものである。「いじめがいかにひどいことか」を強調するだけの純潔主義の教育では,今までにいじめをしたと自覚のある子は,反省するかもしれないが,逆に,そう説く論理を道徳不活性化で否定し,説く者の見えないところでいじめを行うかもしれない。いじめの痛みや後悔を知る者が,その思いを免疫として,いじめに介入することを願っての命名である。
次に,このプログラムの構造はスケルトンである。すでに文科省,各教育委員会などがネット上にさまざまないじめ対策の教材を公開しており,道徳科の教科書にも,いじめの教材は含まれている。それらの教材の中から,必要最小限なものを自分のクラスの状態を考えて選び,実践するわけだが,その際に,「留意点」があることが特徴である。「見つける」「止める」「フォローする」の3セッションからなっており,それぞれにおいて,いじめの定義があいまいであり,一人で止めるとかえってターゲットになり,いじめの被害側がのちに加害側になるという諸問題に対応するスパイスを効かせることが求められる。
一つめのセッションは「いじめの芽を見つける」ためのものである。いじめの芽といじめの境界線はあいまいであり,だからこそ,ふざけといじめの違い,いじめとけんかの違いなどについて子どもたちと議論することに意味があると思われる。おとなの定義を教え込むのではなく,それらの境界があいまいなゆえに,いつのまにかいじめてしまっている危険性があることに気づく機会を準備したい。「いじめ」ではなく「いじめの芽」としているのは,いじめかどうかわからない段階で対処を始めることを意図しているからである。二つめのセッションは,「いじめをみんなで止める」ためのものである。「みんなで」に意味がある。ひとりで止めようとするのはかなりの勇気が必要で,かつ,次のターゲットになる危険性をはらむ。三つめのセッションは,いじめへの介入後にいかに「フォローするか」である。被害側の仕返し,加害側の陰湿化や被害化を防ぐものである。報復的な正義(「目には目を,歯には歯を」)ではなく,修復的な正義(与えた損失を償う)を考えることが目標であるが,この実践化はなかなか難しく,海外の実践に学びつつ模索中である。
最後に,このプログラムがねらう効果指標に独自性がある。いじめの頻度や程度の指標で実践前と後の比較をした場合,いじめへの気づきの向上から,事後にいじめの報告が増える場合もある。いじめ対策評価研究のメタ分析の結果でも,ある程度のいじめの減少が認められるものの,実践の種類によっては,あまり効果が見られない。そこで,いじめに特化したレジリエンスである,いじめ免疫と言える意識や知識の向上があったのかどうかをモニターする方向で検討している。上記の方針で行った試行実践の成果を,各校配布の冊子体の報告書ではなく,教師全員に届くリーフレットとして作成しているところである。
本シンポジウムでは,その試行実践の一端を紹介するとともに,その実践の「見取り」を報告し,研究者の指定討論をお願いする。「見取り」には前記の「いじめ免疫尺度」のみではなく「子どもの名言」「保護者のアンケート」も用いる。
話題提供1
いじめ免疫プログラムの試行実践
羽鳥 晋・三浦公平
第6学年の「特別活動」のなかで,いじめを傍観しない基盤づくりの授業を行った。いじめをしない,させない,見過ごさない,見て見ぬふりをしないための実践力の基礎を培うことをねらいとし,「集団の力」について考える授業を企画して実践した。具体的には,スウェーデンのNPO法人であるFriendsが制作した1分ほどの動画を視聴し,気づいたことを班で話し合い,内容を確認した。そのうえで,「その動画にふさわしいキャッチフレーズ」を考えるという課題に対して,児童はワークシートに記入して発表した。最後に学習をふり返り,考えたことをまとめるというものであった。「いろんな人の視界が集まれば強くなる」などのフレーズが児童から出された。
いじめをしないということを子どもに教え込むのではなく,子どもが発信側にたつ実践であった。この実践によって,現実にどのような影響があったのかを判定するのは難しいが,言葉のみではなく,「視線での抑止」ということへの気づきが生まれていたように思われる。
また,2年生,4年生,6年生における,セッションのいずれかの試行をもとに,リーフレットを作成した。それは,研究の知を実践の知へと翻訳する作業であり,関わった実践者,指導主事,研究者の協働による度重なる改訂を経て,ようやくかたちになった。しかし,それでも,仕上がったというよりも,たたき台が提案できたというものであり,今後,さらに修正をしていく。
話題提供2
いじめ免疫尺度の原案と検討
戸田有一・金綱知征・西野泰代
いじめの自己報告や教師による認知などの,いじめの生起に関する指標ではなく,また,幅広い自尊感情やレジリエンスの指標でもなく,いじめに焦点化したレジリエンスの指標として,いじめ免疫尺度を考案した。2018年夏の研修で,小学校の教員や副校長による検討を経て,さらに研究者のなかで項目の検討を行っている。
2019年度に試行調査及び本調査を行う予定で,大阪教育大学倫理委員会での承認もいただいた。
話題提供3
試行実践のなかでの「子どもの名言」と保護者アンケートによる実践評価
藤谷弥生・板澤健一
〈子どもの名言〉
いじめ対策の実践では,小学校4年生の児童が自らの言葉を紡ぎだしていた。まず,最初の授業で,いじめの定義のあいまいさについて議論がなされ,いじめかいじめではないかの境界が「もやもや」していると児童が発言していた。その定義のあいまいさをふまえ,いじめの場面を見たときにどうするのかについて意見を出し合う2回目の授業で,ある児童が授業の振り返りのワークシートに書いている不等式のようなものの意味を尋ねると,「いじめられっ子の味方になることは,いじめっ子のテキになることではない」と。いじめている人を皆で責めることが,新たないじめになる可能性があるからだと言う。
このような意見が,授業のなかで4年生の児童から出てくるということに,意義があると思われる。教師から言葉を伝えて復唱させるのではなく,一緒に考える授業のなかで,児童が言葉を紡いだのである。なんらかの尺度による数値を比較する調査研究ではおそらく出てこない,子ども自身が紡ぎ出す,いわば「名言」である。数値の結果を学校間や子どもと共有することにも,意義がないわけではないが,このような「名言」は,そこに,大事な考え方が凝縮されており,その言葉を共有することで,何かが伝わっていくと思われる。従来,このような実践は,「標語」「ポスター」の制作,そのコンクールや街中での掲示によって行われていたが,それを,実践の交流として行うことも,今後,考えられる。
〈試行実践に関する保護者アンケート〉
「いじめの予防にむけた授業づくり」に関して,実践後1週間ほどたってから,保護者に簡単なアンケートを実施した。それは,いじめに関する授業の内容を,帰宅後に児童が自発的に話したかどうか(保護者には,授業があったということを,アンケート配布の時点まで知らせてはいない),話した場合には,その内容は,どのようなものであったか,そして,自由意見を求めるものである。下記は小学校2年生の保護者の回答である。
先生がされた話を夜家族の前で話し,『パパはどう思う?ママは?ねえねは?』と,1人ずつ意見を聞き,自分の意見を話していました。そのことについて,こうしたら良かったとか,しっかり自分の意見を持っていて,すごく良い授業を受けてきたんだなと,思っていました。夜泣いていた犬を抱っこして『まわりの人にめいわくになるよ』と真顔で,その夜話していたので,どうしたのと聞くと,『まわりの人が,いやな気持になるから』とかえってきました。