日本教育心理学会第61回総会

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準備委員会企画 シンポジウム

[準企シ] 準備委員会企画 シンポジウム 3
早期教育の光と影

Sun. Sep 15, 2019 9:30 AM - 12:00 PM 3号館 2階 (3205)

企画・司会:繁桝算男(慶應義塾大学)
話題提供:内田伸子(IPU・環太平洋大学)
話題提供:酒井邦嘉#(東京大学)
話題提供:中室牧子#(慶應義塾大学)
話題提供:繁桝算男(慶應義塾大学)

[準企シ] 早期教育の光と影

繁桝算男1, 内田伸子2, 酒井邦嘉#3, 中室牧子#4 (1.慶應義塾大学, 2.IPU・環太平洋大学, 3.東京大学, 4.慶應義塾大学)

Keywords:早期教育、ATI、言語生得説

企画趣旨
繁桝算男
 ヴィクトリア朝時代の英国を代表する作家,George Elliott (筆名は男だが,女性)の言葉に, It is never too late to be what you might have been.という言がある。心理学的に自己実現ともつながるし,やる気を高める良い言葉である。
 本シンポの企画者(繁桝)が,一般教養の心理学を教えるとき,好んで引用したのが,「早教育と天才(木村久一,1977,初版は大正6年)」という古い本である。この本のかなりの部分が,カール・ヴィッテの教育の紹介に割かれている。カール・ヴィッテは著名な国際法学者のようであるが,私を含めて,彼の業績を知らない心理学研究者が多いであろうと思う。しかし,早期教育で彼が取り上げられるのは,彼の父がカール・ヴィッテの教育について長い著作を残したからである。この父親の書はかなりの影響力を持ったらしく,たとえば,ノバート・ウィーナーの父は,彼の本を読んで,子供を教育したことなどで世間にも知られるようになった。カール・ヴィッテの教育論は,彼自身の言葉でいえば,「十人並みの子供なら,適当にさえ教育すれば必ず非凡な人になる」ということで要約できる。先述の木村久一氏の書からの孫引きではあるが,より具体的にその教育の段取りのいくつかを紹介する。1.順序を追う。順序を間違えてはならない。例えば,最初に教えるべきは言葉である,2.子供が興味を示せば,その時教え始める,3.まやかしの説明を避け合理的に説明する,4.自然に親しめさせるなどである。このようなことを実際に実行するのは大変な苦労がいるように思う。カール・ヴィッテの父親自身は,教会の牧師の仕事で忙しく,一日に1,2時間しか子供のために時間を使わなかったという記述があるが,いずれにしても,自由放任主義では務まらない。この点について,子供自身が野心を持つ必要はないが,親は野心を持つ必要があるという記述もあり,興味深い。
 カール・ヴィッテの教育論は,最初に挙げたGeorge Elliottの言ほどではないとしてもやはり理想論的に聞こえるかもしれない。批判の代表的な根拠の一つが行動遺伝学である。たとえば,1卵性双生児と2卵性双生児のペア間の相関係数の差は,身長と同じくらいに,認知能力の検査でも大きい。しかし,これは,子供を取り巻く環境が種々さまざまな状況でばらついている中での相関係数である。カール・ヴィッテの父が推奨するような環境で育てれば,身長に関する相関係数は変わらないであろうが,認知能力の測度の間では異なる相関係数が得られるであろう。しかも,早期教育の達成の指標として,現行の知能テストだけではかるのはいかにも狭い。認知能力だけ取り上げてももっと多彩である。
 ということで,企画者としては,早期教育について期待するところが大きい。本シンポジウムでは,早期教育に関連し重要で先端的な研究をしている3人の研究者に話題提供をお願いした。上記のような楽観的な見方に対し,現代の心理学研究はどのような答えを用意しているのかについて,それぞれの研究の成果を発表していただく。それにプラスして,実証的にデータを取って証拠とする方法と実データ分析について,繁桝が話題提供をする。

話題提供1
早期教育の効果と弊害―ATIと子ども中心主義教育
内田伸子
 早期教育の効果と弊害について2つの視点から提案する。1.早期教育の効果と弊害;日韓中越蒙各国の3,4,5歳児3000名を対象にして,幼児期のリテラシーの習得度は小学校でのPISA型学力にどのように影響するかを追跡した。(1)読み書きの得点は家庭の経済と関連はなかった。(2)語彙得点は所得との関連があるが,芸術系,運動系,ピアノやスイミング,体操教室に行っている子どもと,受験塾や英語塾に行っている子どもの間には語彙得点の差はない。(3)3・4・5歳児全国9,000名の運動能力調査の結果,体操教室やバレエ教室に通っている子,体操の時間を設けている一斉保育の幼稚園・保育所に通園している子どもの運動能力が有意に低く,運動嫌いの子どもも多い(杉原他,2012)。(4)乳児期(生後6か月~18か月)に,フラッシュカードやドットパターン,DVDによる早期教育は言語野(ウェルニッケ野)を委縮させ,言語や知能の発達遅滞を引き起こす(Zimmerman,Christakis,& Meltzoff,2007)。(5)英語早期教育は将来の英語学力とは無関係である。(6)ウラルアルタイ語系の母語話者は第二言語としての英語の習得が遅れる。2. 早期教育の成否;早期教育の導入時期(子どもの適性)と教育の方法の間には交互作用が見られる。(1)子どもの発達過程や状況,子どもの興味関心に寄り添う子ども中心主義保育を受けている子どもは,スタートカリキュラで文字や計算を早期から指導された子どもよりも,文字の読み書きやPPVTの語彙得点が高い。児童期のPISA型学力(活用力)が高い。成人期の難関試験を突破する割合が高い。(2)母語で考える力が育った段階で英語圏で暮らす・語学留学をすると第二言語としての英語で考える力(読書力偏差値)の習得が容易で学業成績も高い(Cumins,1984;中島,1988)。(3)早期音楽教育についても適性処遇交互作用があることが明らかにされている(Miyazaki,2018;宮崎,2019;大浦,1980;内田,2004)。

話題提供2
言語生得説に基づく理想の早期教育とは
酒井邦嘉
 言語機能(language faculty)は,人間の脳の生得的な性質に由来する(詳しくは拙著『チョムスキーと言語脳科学』インターナショナル新書,2019年)。一方,音楽や将棋などの芸術的な能力は,言語機能を基礎としながらも,後天的な学習環境などに大きく左右される。例えば,才能教育で有名な「スズキ・メソード」は,「母語教育法」を理想の教育として掲げながら,ヴァイオリンなどの器楽演奏の早期教育を実践してきた。本講演は「言語生得説に基づく理想の早期教育」と題して,言語獲得と音楽教育を対比させた論点とともに,才能教育研究会との共同研究から得られた最新の知見(論文準備中)を交えて議論したい。特に,人間の脳の一部が言語機能にどのように特化しているかを明らかにして,そのような脳領域が音楽においても必要とされるという証拠を提示する。また,「2より3」という哲学が,母語の獲得のみならず,多言語や音楽の早期教育にもヒントを与えることを論じたい。

話題提供3
保育の”質”は児童の発達や,就学後の成果に響を与えるか?
中室牧子
 本シンポジウムでは,自治体と共同で行っている研究の成果を中心に,保育の「質」が子どもの発達や就学後の問題行動に与える影響について議論する。報告者らが行っている研究では,海外で用いられることの多い「保育環境評価スケール」で認可保育所の保育環境の質を計測することを試みている。これに加え,「乳幼児発達スケール」(大村他, 1989)を用い,担任保育士が調査対象の児童(1学年,約600名)の発達状況を評価するのに加え,対象となる児童の保護者とその担当保育士(1学年,約120名)に対する質問紙調査も実施している。また,この自治体では,保育所事業を担当する部局だけでなく教育委員会とも連携し,本研究で調査対象となった児童を,就学後の学力や非認知能力の長期追跡調査と照合することを計画している。本報告では2017-18年に収集したデータの中で明らかになっている事を紹介する。特に,保育環境の「質」と児童の発達の関係について報告する。
 本研究の着想は,2015年に経済産業研究所の支援を受けて実施した,藤澤・中室(2017)「保育の「質」は子どもの発達に影響するのか―小規模保育園と中規模保育園の比較から―」から得た。この研究では,本研究で提案している「保育環境スケール」や「乳幼児発達スケール」を用いて,都内35箇所の認可保育所での調査を実施し,子どもの発育には,(1)「保育環境スケール」で計測された保育の質,(2)保育士の経験年数の長さ,(3)出生時体重の3つが相関していることを明らかにした。しかし,この調査では,あくまで保育の質と発育の一時点の相関を示すことができたに過ぎず,就学後にもその効果が持続することが認められるのかということを明らかにすることができなかった。藤澤・中室(2017)では,複数の自治体にまたがって,任意で参加した保育所を対象に調査を実施したため,追跡調査を行うことができなかったからである。この反省から,自治体と協力して同一個人の追跡調査を行う体制を整えた。今後はこのように行政と研究者が協力し,長期追跡調査を行うことが増加すると考えられるため,ここではそうした長期追跡調査を行う利点や課題についても整理する。

話題提供4
早期の親の働きかけとその後の認知的発達との因果を見出す方法論
繁桝算男
 早期教育の効果について,データに基づいて議論をしたい。早期教育としての介入(独立変数)とその効果(従属変数)との関連を,早期教育の因果関係としてとらえるためには,厳密に言えば無作為割り当てが必要である。実際には,無作為割り当ては不可能なので,人為的に引き起こされた条件の差を表す構造パラメータを因果に結びつけるために,共変数を利用して現実を模写する統計モデルを用いる。ここでは,ベイズ的に母集団を再現する階層モデルを用い,帰無仮説検定だけに頼ることなく,介入効果の差を示すパラメータの,信頼できる事後分布を得る方法を展開する。共変数の数が大きい時には,潜在クラスに情報を集約し,その影響を取り除く方法を提案する。なお,イギリスの大規模なコホート研究(Millennium Cohort Study, MCS)によるデータを用いて,親の介入の効果を分析した結果の一部は本大会のポスター発表で報告する。