[準企シ] 学校教育実践研究における心理学者の役割
対象の規模に着目して
Keywords:実践研究、学校教育
企画趣旨
学校教育現場は,複数の学級が1つの学校に,また,複数の学校が1つの自治体にネストされた構造を持っている。近年の教授・学習研究では,階層線形モデルのような分析手法が浸透したこともあり,このようなネスト構造を考慮した研究が多く見られるようになっている。
本シンポジウムでは,こうした近年の動向から着想を得て,学校教育現場での実践研究を,対象の規模の観点から捉えることを試みる。教育心理学研究に「実践研究」が開設されてから20年近くが経過し,実践者自身による研究だけでなく,心理学者が実践者と協同した実践研究も多く発信されてきた。しかし,実践の対象に注目してみると,1人の学習者や1つの学級を対象としたものから,1つの学校を対象としたものなど,その規模は様々である。心理学者が学校教育現場に関わり,実践研究を展開していく際には,対象の規模によって異なる問題が生じることが予想される。本シンポジウムでは,学級,学校,地域といった様々な規模の実践研究を取り上げ,それぞれの規模に特有の問題や対処方法を共有した上で,心理学者と学校教育現場の協同の在り方について,フロアの方々と議論を行いたい。
学級・学年規模での実践研究
小野田亮介
本発表では,協力校における介入研究の事例を紹介しながら,学級・学年規模での教育現場との関わり合い方について考えていく。なお,自身の浅い経験を振り返ると,大学院生の立場から(指導教員を通さずに)教育現場と関わってきたことも実践の規模や協同の在り方と関連していたように思われる。したがって,本発表は主に大学院生として教育現場と関わってきた経験から,実践との関わり方を考える内容となる。
介入の効果検証は,介入の効果が不明瞭だからこそ行うものであり,結果として学習者の不利益となる可能性もある。したがって,効果検証を主たる目的とした研究計画は(たとえ良い効果があると信じていても)本質的に押しつけであり,他学級を含んだ実践は難しい場合が多い。たとえば,筆者が大学院生の頃に行った継続的な作文活動を行うことの効果を検証した研究(小野田,2012)では,興味をもっていただいた先生に3週間の実践を行っていただき,幸い授業者,児童,研究者にとって良い結果を得ることができたものの,他学級の先生方に協力いただくことは難しかった。
一方で,筆者は学年規模での実践研究に携わったこともある(小野田, 2015)。複数の先生方と立場を超えて議論し,協同で実践を進めることができたのは,教育現場から問題を発見・共有し,それを解決するための研究計画を互いに考えていたためであろう。ただし,現場にある問題を問題として認識し,共有することは簡単なことではない。たとえば,意見産出において「自分と異なる立場の意見(反論)を無視する」という現象を問題として提起したとき,「反論を考えるように言えば良いのでは」と応答され,解決すべき問題として共有されなかったことがある(その後,実際に学習者に反論を考えるように求め,それでも反論が無視されることを共有してから,協同的に指導方法を考えることができた)。すなわち,協同的実践を達成するためには,問題の協同的な発見と共有が重要であり,それを基盤として持続可能な教育心理学研究が進められるのだと考えられる。本発表では,これらの実践プロセスについて,いくつかの研究事例の紹介を通して議論していきたい。
「わたしたち」の実践研究へ
鹿毛雅治
「実践研究」の主体が「学者」である場合,実践者サイドの役割は学者サイドへの一方的なデータ提供に限定されがちで,結果的にデータを搾取し,協同の名に値しない研究成果に陥る。しかもその成果は仮に学問に貢献したとしても,その教育実践に寄与したとは必ずしもいえない。実践者が実践の主体であったとしても研究の主体になっていないからであろう。とりわけ,学校を対象とした研究では対組織的な関与にならざるをえないため,実践者と学者間のコミュニケーション過程における対話的,協同的色彩が希薄化しがちでこのような現象が生じやすい。この種の問題を弊害ととらえて提起された代表的アプローチが「アクションリサーチ」であろう。ただ,学問と実践の協同を掲げ,現実の問題解決プロセス自体を研究活動と位置づけるこのアプローチであっても,実際には理論的,方法論的に優位な立場にある学者サイドが結局のところイニシアチブを握ってしまうという問題が長らく指摘され,あえて「協同的アクションリサーチ」と名乗らざるをえなくなるという皮肉な経緯が歴史的に確認できる(鹿毛, 2002)。問題の根は深い。
鹿毛・藤本・大島(2016)は協同的アクションリサーチの事例と呼べるかもしれない。研究プロジェクトとしてスタートしたわけではなく,ある小学校への学者サイドの関わりが独自な手法(「当事者型授業研究」)へと発展し,それを理論化しつつ効果を検証する「実践論文」として結実した。
特筆すべきは,あくまでも研究の主体は実践者サイドであり,学者サイドの営為はコンサルテーション活動に限定されるという「役割分担」であろう。すなわち,主要な意思決定は実践者サイドが行い,学者サイドはその助言等のサポートを行うというのが原則だった。その結果,実践者と学者の双方が「わたしたちの実践研究」として成果を受容できたように思われる。この経験を踏まえるなら,「協同」を実現する上で学者サイドに求められるポイントとして,実践サイドの自律性を最大限に尊重すること,すなわち,実践をその「内側」から理解しようとする意志を基盤としつつ,実践者自身の学習と思考を促す「触媒」のような存在として「実践サポート」の役割に徹する態度の重要性が指摘できるのではないか(cf., 鹿毛, 2017)。
地域規模での実践研究の展開と課題
瀬尾美紀子
筆者らの研究チームでは,山形県の地方都市の教育委員会と連携し,市内の小・中学校と学力・学習力向上のための共同研究に取り組み始めている。各校の主体性によって研究を推進したいという市教委側の意向を受け,「市内教員対象の教育講演会」と「共同研究説明会」により我々研究チームのめざす学習者像(自立的な学習者)とプラン(授業,家庭学習,評価の連動)を伝えるとともに,各校のニーズを研究チームが把握する「学校ヒアリング(授業参観含む)」を行いながら,各校の挙手方式により共同研究への参加を募ってきた。
共同研究への参加希望が教育委員会によって集約され,調整の結果,小学校2校,中学校1校と2018年度に実践研究を開始した。例えば,A小学校では「深い理解をめざした授業と宿題」を研究テーマに,個々の知識の根拠を説明する復習指導と,深い理解を重視した「教えて考えさせる授業」によって,意味理解を志向する子どもの姿が宿題や授業で見られるようになってきている。ワークショップ型研修や,研究授業の事前・事後検討を対話的に重ね,教師と研究者の「深い理解」のイメージが共有できた成果と考えられる。
一方,研究の途中段階ではあるが,1) 授業改善にまで踏み込んだ取り組みには至ってないケース,2) 学校と研究チームの研究方針の調整に時間がかかっているケースもある。1) については授業改善へのコスト感を低減するために具体的な授業例を提示し,2) については研究チームのアプローチを変更しながら,引き続き関わっていく予定である。また,参加希望は示されたが,校内での意思統一が進まず,共同研究に至らなかった学校もあった。背景に,研究者との共同研究に対するネガティブなイメージがあると推察されたため,直近の「市内教員対象の教育講演会」では,A小学校をはじめとする各校との共同研究の展開と成果について紹介した。講演会後の感想では,「他校の取り組みを知ったことで共同研究に対するネガティブな印象が薄まった」「自校でもやってみたい」など,前向きな記述が見られた。学校間の横のつながりを意識した働きかけを行うことも,地域レベルでの実践研究における心理学者の役割の1つといえるかもしれない。
学校教育現場は,複数の学級が1つの学校に,また,複数の学校が1つの自治体にネストされた構造を持っている。近年の教授・学習研究では,階層線形モデルのような分析手法が浸透したこともあり,このようなネスト構造を考慮した研究が多く見られるようになっている。
本シンポジウムでは,こうした近年の動向から着想を得て,学校教育現場での実践研究を,対象の規模の観点から捉えることを試みる。教育心理学研究に「実践研究」が開設されてから20年近くが経過し,実践者自身による研究だけでなく,心理学者が実践者と協同した実践研究も多く発信されてきた。しかし,実践の対象に注目してみると,1人の学習者や1つの学級を対象としたものから,1つの学校を対象としたものなど,その規模は様々である。心理学者が学校教育現場に関わり,実践研究を展開していく際には,対象の規模によって異なる問題が生じることが予想される。本シンポジウムでは,学級,学校,地域といった様々な規模の実践研究を取り上げ,それぞれの規模に特有の問題や対処方法を共有した上で,心理学者と学校教育現場の協同の在り方について,フロアの方々と議論を行いたい。
学級・学年規模での実践研究
小野田亮介
本発表では,協力校における介入研究の事例を紹介しながら,学級・学年規模での教育現場との関わり合い方について考えていく。なお,自身の浅い経験を振り返ると,大学院生の立場から(指導教員を通さずに)教育現場と関わってきたことも実践の規模や協同の在り方と関連していたように思われる。したがって,本発表は主に大学院生として教育現場と関わってきた経験から,実践との関わり方を考える内容となる。
介入の効果検証は,介入の効果が不明瞭だからこそ行うものであり,結果として学習者の不利益となる可能性もある。したがって,効果検証を主たる目的とした研究計画は(たとえ良い効果があると信じていても)本質的に押しつけであり,他学級を含んだ実践は難しい場合が多い。たとえば,筆者が大学院生の頃に行った継続的な作文活動を行うことの効果を検証した研究(小野田,2012)では,興味をもっていただいた先生に3週間の実践を行っていただき,幸い授業者,児童,研究者にとって良い結果を得ることができたものの,他学級の先生方に協力いただくことは難しかった。
一方で,筆者は学年規模での実践研究に携わったこともある(小野田, 2015)。複数の先生方と立場を超えて議論し,協同で実践を進めることができたのは,教育現場から問題を発見・共有し,それを解決するための研究計画を互いに考えていたためであろう。ただし,現場にある問題を問題として認識し,共有することは簡単なことではない。たとえば,意見産出において「自分と異なる立場の意見(反論)を無視する」という現象を問題として提起したとき,「反論を考えるように言えば良いのでは」と応答され,解決すべき問題として共有されなかったことがある(その後,実際に学習者に反論を考えるように求め,それでも反論が無視されることを共有してから,協同的に指導方法を考えることができた)。すなわち,協同的実践を達成するためには,問題の協同的な発見と共有が重要であり,それを基盤として持続可能な教育心理学研究が進められるのだと考えられる。本発表では,これらの実践プロセスについて,いくつかの研究事例の紹介を通して議論していきたい。
「わたしたち」の実践研究へ
鹿毛雅治
「実践研究」の主体が「学者」である場合,実践者サイドの役割は学者サイドへの一方的なデータ提供に限定されがちで,結果的にデータを搾取し,協同の名に値しない研究成果に陥る。しかもその成果は仮に学問に貢献したとしても,その教育実践に寄与したとは必ずしもいえない。実践者が実践の主体であったとしても研究の主体になっていないからであろう。とりわけ,学校を対象とした研究では対組織的な関与にならざるをえないため,実践者と学者間のコミュニケーション過程における対話的,協同的色彩が希薄化しがちでこのような現象が生じやすい。この種の問題を弊害ととらえて提起された代表的アプローチが「アクションリサーチ」であろう。ただ,学問と実践の協同を掲げ,現実の問題解決プロセス自体を研究活動と位置づけるこのアプローチであっても,実際には理論的,方法論的に優位な立場にある学者サイドが結局のところイニシアチブを握ってしまうという問題が長らく指摘され,あえて「協同的アクションリサーチ」と名乗らざるをえなくなるという皮肉な経緯が歴史的に確認できる(鹿毛, 2002)。問題の根は深い。
鹿毛・藤本・大島(2016)は協同的アクションリサーチの事例と呼べるかもしれない。研究プロジェクトとしてスタートしたわけではなく,ある小学校への学者サイドの関わりが独自な手法(「当事者型授業研究」)へと発展し,それを理論化しつつ効果を検証する「実践論文」として結実した。
特筆すべきは,あくまでも研究の主体は実践者サイドであり,学者サイドの営為はコンサルテーション活動に限定されるという「役割分担」であろう。すなわち,主要な意思決定は実践者サイドが行い,学者サイドはその助言等のサポートを行うというのが原則だった。その結果,実践者と学者の双方が「わたしたちの実践研究」として成果を受容できたように思われる。この経験を踏まえるなら,「協同」を実現する上で学者サイドに求められるポイントとして,実践サイドの自律性を最大限に尊重すること,すなわち,実践をその「内側」から理解しようとする意志を基盤としつつ,実践者自身の学習と思考を促す「触媒」のような存在として「実践サポート」の役割に徹する態度の重要性が指摘できるのではないか(cf., 鹿毛, 2017)。
地域規模での実践研究の展開と課題
瀬尾美紀子
筆者らの研究チームでは,山形県の地方都市の教育委員会と連携し,市内の小・中学校と学力・学習力向上のための共同研究に取り組み始めている。各校の主体性によって研究を推進したいという市教委側の意向を受け,「市内教員対象の教育講演会」と「共同研究説明会」により我々研究チームのめざす学習者像(自立的な学習者)とプラン(授業,家庭学習,評価の連動)を伝えるとともに,各校のニーズを研究チームが把握する「学校ヒアリング(授業参観含む)」を行いながら,各校の挙手方式により共同研究への参加を募ってきた。
共同研究への参加希望が教育委員会によって集約され,調整の結果,小学校2校,中学校1校と2018年度に実践研究を開始した。例えば,A小学校では「深い理解をめざした授業と宿題」を研究テーマに,個々の知識の根拠を説明する復習指導と,深い理解を重視した「教えて考えさせる授業」によって,意味理解を志向する子どもの姿が宿題や授業で見られるようになってきている。ワークショップ型研修や,研究授業の事前・事後検討を対話的に重ね,教師と研究者の「深い理解」のイメージが共有できた成果と考えられる。
一方,研究の途中段階ではあるが,1) 授業改善にまで踏み込んだ取り組みには至ってないケース,2) 学校と研究チームの研究方針の調整に時間がかかっているケースもある。1) については授業改善へのコスト感を低減するために具体的な授業例を提示し,2) については研究チームのアプローチを変更しながら,引き続き関わっていく予定である。また,参加希望は示されたが,校内での意思統一が進まず,共同研究に至らなかった学校もあった。背景に,研究者との共同研究に対するネガティブなイメージがあると推察されたため,直近の「市内教員対象の教育講演会」では,A小学校をはじめとする各校との共同研究の展開と成果について紹介した。講演会後の感想では,「他校の取り組みを知ったことで共同研究に対するネガティブな印象が薄まった」「自校でもやってみたい」など,前向きな記述が見られた。学校間の横のつながりを意識した働きかけを行うことも,地域レベルでの実践研究における心理学者の役割の1つといえるかもしれない。