[研企シ] ことばが育む思考力
Keywords:語彙力、学力、思考力
企画趣旨
近年の研究で,ことばは様々な形で思考力,ひいては学力に直接的,間接的に影響を与えることが実証されてきている。例えば Daneri et al. (2018) では,経済格差は実行機能の発達に影響を与えるが,強力な媒介変数として語彙力があることを報告している。
本企画では,単なる表層的に知っていることばの数としての語彙力ではなく,他者の意図や感情の理解,新奇あるいは既知のことばの意味を状況に即して推論する能力,数や時間の関係性など抽象的な記号を扱う推論力などを含めた,深いことばの理解と運用能力を「生きたことば力」と捉え,通常発達の幼児・児童,外国籍児童,自閉症児,聴覚障がい児において,そのようなことば力が,言語以外の領域での思考力,就学後の学力にどのように影響を与えていくのかを多面的,多角的に考える。
話題提供1:
聴覚障がい児のことばの発達と思考力
木村淳子・今井むつみ
先天性の聴覚障がいがあると,言語発達に支障をきたしやすい。補聴の進歩が著しい現在でも,言語力や学力につまずきが見られる子どもが多い。こうした問題が顕在化するのは,小学高学年以降のことが多いが,その根は言語獲得の初期にあると考えられる。
この可能性の検討のために,聴覚に障がいがある就学前の幼児および小学部低学年の児童を対象に,新規語の語彙推論の実験を行った今までに見たことのない新規の動物(ぬいぐるみ)と,見たことがあり名前も知っている動物それぞれに新規の名前を示し,その意味をどのように解釈するかを検討した。その結果,健聴児では対象が既知・未知であるかによって,新規語の意味の解釈を柔軟に変更するのに対して,聴覚障がい児では,対象物が既知・未知に関わらず,形バイヤスを適用して新規語の意味推論をすることが明らかになった。また,一般言語能力調査も合わせて行い,聴覚障がい児の新規語推論の特徴と,一般言語能力との関係を検討した。
話題提供2:
自閉症児の言語力と他者の意図・感情理解
松井智子
自閉スペクトラム症児の中には,知的な遅れがなく,定型発達児と同等の言語力を持ち,通常学級に在籍する子どもたちがいる。この子どもたちは,高い言語力を持つ一方で,日常的な会話のやりとりが苦手である。さらにそれが友達関係を作ったり維持したりすることの難しさなど,さまざまな社会生活の困難につながることが多い。
今日,このような困難さは社会的(語用論的)コミュニケーション障害とも呼ばれている。この障害があると,会話の場面で言葉の辞書的な意味はわかっても,その裏にある言葉にならない話し手の意図や感情を推測することができない。たとえば皮肉が伝える言葉と裏腹の気持ちを理解することが非常に難しい。顔の表情や声の調子などは話し手の意図を理解するための手掛かりになるが,そのような手がかりもうまく使えない。子どもたちの高い言語力と日常会話を理解する力のギャップを大人が正確にとらえ,支援に生かしていく必要がある。
話題提供3:
外国籍児童の言語力と抽象的推論能力
中石ゆうこ
本発表では「深いことばの理解」の諸要素のうち,時間の関係性の理解に着目し,広島県の複数の小学校に在籍する外国ルーツの児童,日本語母語児童を対象にしたカレンダー読み取り課題の結果について報告する。
外国ルーツの児童は,日常生活に問題がなくても教科学習でつまずく子どもが一定数いることが報告されている。ある小学校の日本語指導の授業記録を分析したところ,「~日前」,「~日先」などの時を表わす語や「右」,「南」などの方角・方向を表わす語は意味を捉えることが難しい傾向があることが分かった。
そこで,カレンダー読み取り課題を用いた調査を行ったところ,日本語母語児童では学年が上がると正答率が伸びて行く様子が見られたが,外国ルーツの児童は,日常生活に問題がない児童であっても個人差が大きく,3年生の日本語母語児童の平均正答率に外国ルーツの児童が平均して達するのは5年生であることが分かった。「~日前」を未来,「~日後」を過去と捉える誤りは,外国ルーツの児童にも見られたが,一部の日本語母語児童にも見られた。
時間の表現は,国語科だけではなく,算数科,生活科,理科,社会科などの教科においても出現する語彙であり,これらの語の理解の難しさが学力に関わっている可能性がある。
話題提供4:
子どもの非明示的情報への気づきと意図推測
安田哲也・小林春美
他者が発する発話を解釈する場合,その発話自体が持つ含意(推意: implicature)を推し量ることは,コミュニケーションを行う上で重要なことである。含意とは,発話が内包する意図である。含意を推し諮らずにその発話を直接的に解釈した場合,コミュニケーションに誤解が生じる可能性も考えられる(e.g., 間接依頼)。
本発表では,含意,特にスカラー含意(scalar implicature)について取り上げる。スカラー含意とは,数量に関する含意であり,英語ではsomeやonly等が該当する。日本語では,このスカラー含意を直接表現せず「ごみを捨てているお友達がいます」というような発話がなされる場合がある。この表現は単に「いる・いない」ではなく,「何人か(some)」のお友達(全員ではない)という意味が暗に含まれている。本発表では,このような発話の理解を促す語用論的な推論がどのように思考力に関わるかを議論したい。
引用文献
Daneri, M. P., Blair, C., Kuhn, L. J., FLP Key Investigators, Vernon‐Feagans, L., Greenberg, M., & Mills‐Koonce, R. (2018). Maternal Language and Child Vocabulary Mediate Relations Between Socioeconomic Status and Executive Function During Early Childhood. Child development. doi:10.1111/cdev.13065
近年の研究で,ことばは様々な形で思考力,ひいては学力に直接的,間接的に影響を与えることが実証されてきている。例えば Daneri et al. (2018) では,経済格差は実行機能の発達に影響を与えるが,強力な媒介変数として語彙力があることを報告している。
本企画では,単なる表層的に知っていることばの数としての語彙力ではなく,他者の意図や感情の理解,新奇あるいは既知のことばの意味を状況に即して推論する能力,数や時間の関係性など抽象的な記号を扱う推論力などを含めた,深いことばの理解と運用能力を「生きたことば力」と捉え,通常発達の幼児・児童,外国籍児童,自閉症児,聴覚障がい児において,そのようなことば力が,言語以外の領域での思考力,就学後の学力にどのように影響を与えていくのかを多面的,多角的に考える。
話題提供1:
聴覚障がい児のことばの発達と思考力
木村淳子・今井むつみ
先天性の聴覚障がいがあると,言語発達に支障をきたしやすい。補聴の進歩が著しい現在でも,言語力や学力につまずきが見られる子どもが多い。こうした問題が顕在化するのは,小学高学年以降のことが多いが,その根は言語獲得の初期にあると考えられる。
この可能性の検討のために,聴覚に障がいがある就学前の幼児および小学部低学年の児童を対象に,新規語の語彙推論の実験を行った今までに見たことのない新規の動物(ぬいぐるみ)と,見たことがあり名前も知っている動物それぞれに新規の名前を示し,その意味をどのように解釈するかを検討した。その結果,健聴児では対象が既知・未知であるかによって,新規語の意味の解釈を柔軟に変更するのに対して,聴覚障がい児では,対象物が既知・未知に関わらず,形バイヤスを適用して新規語の意味推論をすることが明らかになった。また,一般言語能力調査も合わせて行い,聴覚障がい児の新規語推論の特徴と,一般言語能力との関係を検討した。
話題提供2:
自閉症児の言語力と他者の意図・感情理解
松井智子
自閉スペクトラム症児の中には,知的な遅れがなく,定型発達児と同等の言語力を持ち,通常学級に在籍する子どもたちがいる。この子どもたちは,高い言語力を持つ一方で,日常的な会話のやりとりが苦手である。さらにそれが友達関係を作ったり維持したりすることの難しさなど,さまざまな社会生活の困難につながることが多い。
今日,このような困難さは社会的(語用論的)コミュニケーション障害とも呼ばれている。この障害があると,会話の場面で言葉の辞書的な意味はわかっても,その裏にある言葉にならない話し手の意図や感情を推測することができない。たとえば皮肉が伝える言葉と裏腹の気持ちを理解することが非常に難しい。顔の表情や声の調子などは話し手の意図を理解するための手掛かりになるが,そのような手がかりもうまく使えない。子どもたちの高い言語力と日常会話を理解する力のギャップを大人が正確にとらえ,支援に生かしていく必要がある。
話題提供3:
外国籍児童の言語力と抽象的推論能力
中石ゆうこ
本発表では「深いことばの理解」の諸要素のうち,時間の関係性の理解に着目し,広島県の複数の小学校に在籍する外国ルーツの児童,日本語母語児童を対象にしたカレンダー読み取り課題の結果について報告する。
外国ルーツの児童は,日常生活に問題がなくても教科学習でつまずく子どもが一定数いることが報告されている。ある小学校の日本語指導の授業記録を分析したところ,「~日前」,「~日先」などの時を表わす語や「右」,「南」などの方角・方向を表わす語は意味を捉えることが難しい傾向があることが分かった。
そこで,カレンダー読み取り課題を用いた調査を行ったところ,日本語母語児童では学年が上がると正答率が伸びて行く様子が見られたが,外国ルーツの児童は,日常生活に問題がない児童であっても個人差が大きく,3年生の日本語母語児童の平均正答率に外国ルーツの児童が平均して達するのは5年生であることが分かった。「~日前」を未来,「~日後」を過去と捉える誤りは,外国ルーツの児童にも見られたが,一部の日本語母語児童にも見られた。
時間の表現は,国語科だけではなく,算数科,生活科,理科,社会科などの教科においても出現する語彙であり,これらの語の理解の難しさが学力に関わっている可能性がある。
話題提供4:
子どもの非明示的情報への気づきと意図推測
安田哲也・小林春美
他者が発する発話を解釈する場合,その発話自体が持つ含意(推意: implicature)を推し量ることは,コミュニケーションを行う上で重要なことである。含意とは,発話が内包する意図である。含意を推し諮らずにその発話を直接的に解釈した場合,コミュニケーションに誤解が生じる可能性も考えられる(e.g., 間接依頼)。
本発表では,含意,特にスカラー含意(scalar implicature)について取り上げる。スカラー含意とは,数量に関する含意であり,英語ではsomeやonly等が該当する。日本語では,このスカラー含意を直接表現せず「ごみを捨てているお友達がいます」というような発話がなされる場合がある。この表現は単に「いる・いない」ではなく,「何人か(some)」のお友達(全員ではない)という意味が暗に含まれている。本発表では,このような発話の理解を促す語用論的な推論がどのように思考力に関わるかを議論したい。
引用文献
Daneri, M. P., Blair, C., Kuhn, L. J., FLP Key Investigators, Vernon‐Feagans, L., Greenberg, M., & Mills‐Koonce, R. (2018). Maternal Language and Child Vocabulary Mediate Relations Between Socioeconomic Status and Executive Function During Early Childhood. Child development. doi:10.1111/cdev.13065