129th Annual Meeting of the Geological Society of Japan

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symposium

S1. [Symposium] Geology of the Kanto Plain ーFrom outcrops to deep underground

[1oral307-07] S1. [Symposium] Geology of the Kanto Plain ーFrom outcrops to deep underground

Sun. Sep 4, 2022 1:30 PM - 2:15 PM oral room 3 (Build. 14, 102)

Chiar:Tomohiro KASAMA, Sakae Mukoyama(Kokusai Kogyo Co., Ltd.)

1:30 PM - 2:00 PM

[S1-O-7] Grand condition and Applied geology of Tokyo

*Toshio NAKAYAMA1 (1. Tokyo civil engineering suport and training center )

Keywords:grand condition map, applied geology

「かだいおうち」(鹿児島大理学部地球科学HP)に、応用地質と純粋地質学の関係を樹木に例え、応用地質学は根・幹であり、純粋地質学は葉である、「幹なくして葉無く、葉茂らずして幹成長することなし」とある。 東京での応用地質の課題は、都市の発展とともに大きく変化してきた。このうち応用地質の課題として①地盤地質、②資源地質、③防災地質を歴史的背景を踏まえ取り上げ、純粋地質学、地質学との関わりを考える。 1)地盤地質:明治21年に農商務省地質局技官鈴木敏により「東京地質図説明書」が作 成された。ここでは「都下の地質を査定し、もって、地下に包蔵せられる応用物料の適否を弁じ、その地質と水脈、衛生、地震等との関係を説くにあり」とあり、その応用地質課題を取り上げている。一方、明治政府にとって帝都にふさわしい皇居(明治宮殿)造営計画があり、ジョサイヤ ゴルドンに地盤調査(地耐力試験)を依頼しいる。その後、鹿鳴館(明治16 :1883)、三菱1号館(明治27:1894)、東京駅舎(大正4:1914)などが次々と建設されるなか、地盤(特に軟弱地盤)への関心が、建築家(造家)の中に高まり、関東大震災後の昭和4年の「東京及び横濱の地質」(復興局建築部)の刊行に繫がる。この報告書で、初めて沖積低地の地下地質が取り上げられた。この地盤調査の流れは更に「東京地盤図」(1959:東京地盤調査研究会)に引き継がれ、地質調査資料、3421本のボーリング柱状図をもとに、区部の地質図・地盤断面図・礫層分布図などとともに地盤の地質・土質力学特性質・構造物の基礎など、地層と土質の関係がまとめられた。 1959年新潟地震を契機に、地震被害想定のための地盤図が求められ、東京都土木技術研究所は、地盤を1㎞メッシュで示した区部地盤地質図(1969)を作成している。ここでは沖積層細分化が行われている。この沖積層の細分化は、その後の堆積学の進展とともに、新たな沖積層問題の進展を促した。また、上記、地盤地質図を契機に、地盤盤調査のデータベース化が進み、地盤図の精度向上や地震被害想定のための地震動予測図、液状化予測図などの課題図の作成や3次元都市地盤図(産総研)へと発展している 2)資源地質:関東構造盆地には良好な地下水帯水層があり、また天然ガスを賦存するこ が知られている。明治末から始まる都市部での工業生産の高まりとともに、工業用水として地下水の大量くみ上げが始まり、終戦時の一時を除き、戦前・戦後に大量の地下水揚水が行われ、地盤沈下が進行した。また、戦後のエネルギー事情を反映し、水溶性天然ガスの採取も始まり、地盤沈下の一層の加速を促した。東京都は地盤沈下の機構解明と地下水位の監視のために、都内42地点で深度100から1000mの深層ボーリングを行い、地盤沈下観測所を設置した。この調査をもとに、地下水揚水規制、水溶性天然ガス採取の禁止をおこない、地盤沈下を止めることに成功した。一方、これら調査により、都内の深部の地質構造を明らかにした。これら調査ボーリング資料は、その後の火山灰層序学の進展を背景に、都立大グループにより調査研究がすすめられ、より精緻な地質構造が再現されつつある。 防災地質:1995年兵庫県南部地震を契機に、防災科技研では高感度地震観測整備のための深層位観測井の設置が進められ。都内にも府中と江東区に基盤(先第三系)に達する深層ボーリングが行われた。また、東京都も地震研究推進本部からの委託研究として、東西・南北測線で反射法地震探査を実施、合わせて微動アレー探査も行っている。これら資料をもとに、都内の地震基盤までの地下構造だけでなく、関東平野地下の全体の地質構造解明が進みつつある。  応用地質の課題を進める中で、東京(関東)の地下地質構造が明らかにされてきた。 「応用地質と純粋地質学との関係」、振り返ると共に順調に成長した木のように思えるが、それとも筆者の気のせいか? これまでの応用地質の課題が、災害を契機に押し進めれらえてきたことも気になる点である。先を読む課題の提起が必要である。来年は関東地震から100年を迎える。応用地質、特に防災地質への取り組みへの強化が課題である。その一つは、成果の普及活動である。住民の各種ハザードパップへの理解への支援である。3次元地盤図1)はその取り組みの一つになるのではと期待している。  参考文献  1 産業技術研究所 地質調査総合センター(1921):都市域の地質地盤図「東京都区部」