129th Annual Meeting of the Geological Society of Japan

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Session Oral

T8. [Topic Session] Culture geology

[1oral512-18] T8. [Topic Session] Culture geology

Sun. Sep 4, 2022 1:30 PM - 3:30 PM oral room 5 (Build. 14, 402)

Chiar:Ohtomo Yukiko, Hiroaki Ishibashi

2:30 PM - 2:45 PM

[T8-O-4] Rokko granites and their utilization in Sumiyoshi-Mikage and Ashiya-Nishinomiya area, southeastern Rokko mountains, Hyogo prefecture, Japan

*Tohru Sakiyama1 (1. Institute of Geo-history, Japan Geochronology Network )

Keywords:granite, stone material, magnetic susceptibility, Rokko mountains

はじめに 
 六甲山地の花崗岩は古くから石材として利用されてきた.特に現在の神戸市御影の浜から各地に多くの石材が搬出されたため「御影石」と呼ばれるようになった.その始まりは中世(13世紀)のころからと考えられ,その石造物は各地に残されている.ここでの採石の様子は江戸時代の名所図会などにも残され,近代まで活発に続けられていた.その主体は現在の神戸市東灘区に位置する住吉川および石屋川流域である.ここではこれらをまとめて住吉-御影地域と呼ぶ. 一方,1620年から9年間にわたり徳川家による大坂城再建で瀬戸内地域各地の花崗岩が石材として使用されたが,六甲山地からも多量の花崗岩が採石され,矢跡や刻印のある岩石が残されている.それらの分布は六甲山地南東麓の芦屋市~西宮市域に集中し,中でも芦屋市内には多くの採石遺跡が残されている.ここではこれらの地域を芦屋-西宮地域とする.このような採石遺跡は「御影石」の産地であった御影地域では確認されていない.また逆に芦屋地域で御影地域ほど採石業が発展した明瞭な記録はない.このことは両地域での採石の在り方が違った可能性を示唆する.
六甲花崗岩の地質と帯磁率 
 六甲山地の白亜紀深成岩類は大きく領家帯に属する布引花崗閃緑岩と山陽帯に属する六甲花崗岩に区分され,そのうち「御影石」として石材に利用されたのは六甲花崗岩である.六甲花崗岩は少量の角閃石を含む黒雲母花崗岩で淡桃色のカリ長石を特徴とする.住吉-御影地域の花崗岩も芦屋-西宮地域の花崗岩も似た岩相であり,六甲花崗岩として同一の岩石と考えられている.しかしながら六甲山地の地質を見た場合,六甲花崗岩は北東-南西方向に存在する断層とそれに沿って分布する中古生界によって北西部と南東部に分けられ,完全な単一の岩体ではない.両者の違いは必ずしも明確ではないが,断層を挟んで北西部に対して南東部の岩石の方が粗粒で低い帯磁率を有している.
阪神大水害の石碑と徳川大坂城残石
 1938年,六甲山麓では阪神大水害と呼ばれる記録的な水害が発生し,その時の記録写真が多く残され,公開されている.それを見ると,住吉-御影地域には土石流が発生し,多くの場所で上流から巨大な岩塊が運ばれてきたことがわかる.一方,芦屋-西宮地域ではこのような土石流は扇状地上部の谷出口に限られ,市街地は土砂・氾濫による被害が大きい.このことは地形にも表れており,住吉地域では扇状地地形が海岸線にまで及んでいることと調和的である.六甲山麓ではこれ以外も多くの水害記録があり頻繁に土石流が発生していたことから,住吉-御影地域には海岸近くに岩塊が多く存在していたと考えられる. 住吉-御影地域には阪神大水害時に流されてきた岩塊が石碑や石垣として残されているが,これらは上流の六甲花崗岩(北西部)から運ばれてきたものと考えられる.それらのうち90試料について帯磁率を測定したところ,0.7~5.5×10-3SI(平均2.5×10-3SI,σ=1.0)であった.一方,芦屋-西宮地域には大坂城築城時の採石遺跡が多く残されているが,それらは上述の断層より南東のものである.そのうち73試料について帯磁率を測定したところ0.07~1.8×10-3SI(平均0.6×10-3SI,σ=0.4)であり,両地域は異なる.肉眼的には両地域ともカリ長石が淡紅色の黒雲母花崗岩であるが,中粒でカリ長石が粒状の住吉地域のものに対して芦屋地域のものがより粗粒の傾向がある.この両者の違いは帯磁率-色指数図で明瞭である(第1図).
各地に流通した六甲花崗岩
 中世(鎌倉時代頃)に六甲山地の花崗岩が多量に流通したとされる地域に,島根県益田市と高知県土佐清水市がある.また江戸時代から明治時代にかけての北前船で瀬戸内海から日本海沿岸に流通した石材の中にも六甲花崗岩の可能性がある岩石が多い.そこでそれらの花崗岩のうちカリ長石が桃色を呈するもののみについて帯磁率と色指数を六甲山地のものと比較すると,いずれも住吉-御影地域の花崗岩と同様の範囲に入り,芦屋-西宮地域の花崗岩に見られる帯磁率の低いものは存在しなかった(第1図). これらのことは,民間による業としての「御影石」採取は中世から近世を通して御影地域で連綿と行われたのに対して,大名による大坂城の石材採取はそれらを避けるようにして行われたこと,そして大坂城石垣の残石をその後石材として利用することが無かったことを示している.