1:30 PM - 1:45 PM
[G4-O-1] Tetsugoro Wakimoto (1867-1942), Life and Work
Keywords:Tesugoro Wakimizu, jiotetsu, Natural world seen from the train window
脇水は慶応3(1867)年、維新の前年に大垣藩士の家に生まれた。大垣は各界に名だたる学者を輩出、「博士の町」と呼ばれたようだが、彼もその一人に数えられよう。美濃地方は松井直吉はじめ、関谷清景、安藤伊三次郎等、多くの地球科学者を輩出している。明治26(1893)年帝国大学理科大学地質学科を卒業。卒論は東北地方の岩石の研究"On the Geology of Oshima, Rikuzen, with Special Reference to its Eruptives"。新設の帝国大学農科大学に土壌学教官として就職した。2年間の海外留学で、オーストリアとイタリアを択び、森林土壌学と砂防治水を学んで帰国した。大正8年(1919)年に理学博士の学位を得ている 昭和3(1928)年東京大学退官後は駒澤大学の地理学教室の教授となり、文部省の史跡名勝天然記念物の調査にかかわり、国立公園の審議にも携わった。 日本の地質学界は2008年ころから、地質の日制定、日本にジオパークをつくるという動きがあり、この動きの中から深田研ジオ鉄普及委員会という活動も生まれてきた。脇水の『車窓から観た自然界』がジオ鉄の元祖ではないかと思える。なぜ『車窓から観た自然界』という考えが生まれたのだろうか。脇水は「旅行の時、車窓から見る自然界をとてもおもしろく思い、見飽きない」と自序に書いている。この発言はどこから生まれたのだろうか。 『車窓から観た自然界』は、特に『山陽道』のほうは死後出版だが、若いころ学んだ地質学の上に、土壌学が載り、そして諸外国の地形を視察後に天然記念物、国立公園制定にかかわったことが大きく関係していると思われる。地質学出身で地形学、地理学に興味が動いていくのはそんなに珍しいことではない。しかし、脇水のそれは大衆的である。 脇水の集めた土壌標本は現在でも東京大学農学部に保存されている。そして、脇水の集めた地質標本も埼玉県立自然史博物館に所蔵されている。
(文献)
脇水鐵五郎『車窓から観た自然界』誠文堂新光社 1942年
(文献)
脇水鐵五郎『車窓から観た自然界』誠文堂新光社 1942年