日本地質学会第129年学術大会

講演情報

セッション口頭発表

G1-4.ジェネラル サブセッション地学教育

[1oral601-08] G1-4.ジェネラル サブセッション地学教育

2022年9月4日(日) 13:30 〜 15:30 口頭第6会場 (14号館403教室)

座長:浅野 俊雄(なし)、矢島 道子(東京都立大学)

13:45 〜 14:00

[G4-O-2] 忘れられた地学教育 - 福田連の実験鉱物地質学

*宮下 敦1 (1. 成蹊大理工)

キーワード:地学教育、実験鉱物地質学、福田 連、神津淑祐、旧制成蹊高等学校

戦前の鉱物・岩石・地質学に関する教育は,講義形式で暗記を主体とした博物学であった.しかし,東北帝国大学理科大学地質学教室において神津淑祐(1880-1955)の薫陶を受けた福田 連(むらじ, 1885-1969)は,1925年設立の旧制成蹊高等学校において,独自に鉱物・岩石・地質学の教材を開発し,実験観察を中心とした地学教育を実践していた.
 成蹊学園は,日本が西欧と肩を並べて発展するため,優秀な科学技術者養成の必要性を認め,理化館と呼ばれる理数系専用講義棟を建築し,ドイツ製偏光顕微鏡やクランツ標本など旧帝国大学教室に匹敵する機材を整備して,福田を支援した.また,福田の助手であった地理学者で地形模型製作者の西村健二(1906-1959)は,精密な教育用立体地形模型を数多く制作し,これも地形学・地質学の授業に組み込まれた.この授業を受けた旧制高校生からは,鉱床学の立見辰雄(1916-1997)など,多くの地質学者や地質技術者が輩出した.
 福田は,これらの教材を「実験鉱物地質学Ⅰ(福田,1932)と実験鉱物地質学Ⅱ(福田,1940)という書籍にまとめて公表したが,当時の地学教育関係者には受け入れられなかったと見られ,現在の地学教育史においても,ほとんど取り上げられることがない.これは,神津の実験的な岩石学・鉱物学が,当時は理解されにくかったこと共通性があると考えられる.
 福田は,第二次世界大戦前に満州帝国国務院大陸科学院地質調査所所長に転じ,戦後は民間企業でエンジニアとしてショットピーニング技術の研究と普及に努め,教育界に戻ることはなかった.新制となった成蹊中学高等学校では,内田信夫(1920-2015)らにより,実物を用いたり,手を動かして地形を解析したりすることを通じて,生徒たちが主体的に学ぶ教材として福田らの遺産が受け継がれ,現在に至っている.

福田 連, (1932), 実験鉱物地質学Ⅰ, 昭晃堂,362頁.
福田 連,(1940), 実験鉱物地質学Ⅱ, 昭晃堂,212頁