11:30 AM - 11:45 AM
[T2-O-6] Small magnitude of extensional strain in the eastern San’in region, SW Japan
※著者都合により「みなし発表」となります.講演要旨は公開されますが,当日本人による口頭発表(登壇)はありません.
Keywords:Graben, Japan Sea opening, Hokutan Group, Paleostress, Rifting
日本海で起こったリフティングの影響で,中新世前半の東北・西南日本弧の両島弧は強い伸張テクトニクス場にあったと考えられてきた.東北日本には,厚さ数kmの下部中新統に埋積されたテクトニックなグラーベン群が現存し(Yamaji, 1990),また断層を境界として残留磁化方位が異なる地域がある(Mino et al., 2001).以上の事実から,東北日本は前期中新世に強い伸張場にあり,伸長ひずみによって断層による差別的沈降とブロック回転が起こったと判断される.他方で,西南日本も東北日本と同様の強い伸長変形を被ったと考えられていたものの,その明確な証拠はなかった.
そこで以前に発表者は,山陰東部の北但層群の地質構造を例として,西南日本も伸長変形を被ってはいたものの,そのひずみ量は小さかったと指摘した(Haji and Yamaji, 2020).北但層群は京都府北部から兵庫県北部にかけて広く分布する中新統である.Haji and Yamaji (2020) は,北但層群の分布域南縁(但馬妙見山地域)において地質調査を行い,2つの堆積同時性の正断層を見出した.しかし,それは鉛直方向の変位量が高々200 m程度の小規模なものであった.また西南日本の他地域にみられるグラーベンも埋積層の厚さが数百mと東北日本と比較して薄い.さらに,西南日本では東北日本のような断層によるブロック回転も認定されていない(星,2018).これらのことから,西南日本も前期中新世に伸張場ではあったものの,そのひずみ量は東北日本と比較して1桁程度小さかったと主張した.
しかしながら最近,伊勢湾周辺で埋積層の厚さが2 km程度の比較的沈降量の大きいグラーベン群が推定された(Miyakawa et al., 2020; Kinoshita and Yamaji, 2021).そして,Kinoshita and Yamaji (2021)は山陰東部との比較に基づいて前期中新世の西南日本の変形量には弧内差が存在したと主張した.
このような状況の下,本発表では北但層群の分布域北西縁(浜坂地域)の地質構造を紹介し,同地域にも北但層群堆積時に大規模な伸長変形の証拠がないことを報告する.浜坂地域は兵庫県の北西端に位置し,白亜系および古第三系の花崗岩類や火砕岩類を覆って北但層群が広く分布する.北但層群は下位から順に八鹿層・豊岡層・七釜層に区分される(羽地ほか,本大会ポスター).このうち,本研究では下部中新統八鹿層と基盤の境界の構造に着目して調査を行った.公表された既存の地質図では両者の境界に推定断層が描かれており,それらは日本海拡大頃のテクトニックなグラーベンの境界断層と解釈されていた(山内・吉谷,1992).地質調査の結果,両者の境界に堆積同時性の断層は認められず,八鹿層は地形的起伏のある基盤岩類をアバット不整合で覆って堆積したものと判断された.またその他にテクトニックな変形を示す地質図規模の構造は見いだされなかった.テクトニックなグラーベンが想定されていた地域でも,それを支持する地質情報は得られなかったわけである.他方で,北但層群と同時期の岩脈群の方位を利用した古応力解析の結果は,但馬妙見山地域と浜坂地域の両地域で酷似した引張応力状態を示した(Haji and Yamaji, 2021; 羽地ほか,投稿中).すなわち,変形は微小だったものの,盆地内は広域的に引張応力場であった.
以上の調査結果から,やはり山陰東部は弱い引張場であり,伊勢湾周辺に見られる大規模な伸長変形の証拠はないと結論する.従来,前期中新世の変形様式の議論は「西南日本弧」の単位で行われていた.しかし,おそらく変形の規模には明確な弧内差があり,Kinoshita and Yamaji (2021)が主張するように中国地方と近畿トライアングルでは異なる変形史を辿ったのであろう.中新世の西南日本変動史を理解するためには,各地の中新統堆積盆地で構造発達史の精査が必要であるといえる.
<引用文献>
Haji and Yamaji, 2020, Isl. Arc, 29, e12366.; Haji and Yamaji, 2021, Isl. Arc, 30, e12412; 羽地ほか,投稿中,地質雑; 星,2018, 地質雑,124, 675‒691; Kinoshita and Yamaji, 2021, Isl. Arc, 30, e12418; Mino et al., 2001, Earth Planets Space, 53, 805‒815; Miyakawa et al., 2020, Prog. Earth Planet. Sci., 7, 63; Yamaji, 1990, Tectonics, 9, 365‒378; 山内・吉谷, 1992.地質論集,37,311‒326.
そこで以前に発表者は,山陰東部の北但層群の地質構造を例として,西南日本も伸長変形を被ってはいたものの,そのひずみ量は小さかったと指摘した(Haji and Yamaji, 2020).北但層群は京都府北部から兵庫県北部にかけて広く分布する中新統である.Haji and Yamaji (2020) は,北但層群の分布域南縁(但馬妙見山地域)において地質調査を行い,2つの堆積同時性の正断層を見出した.しかし,それは鉛直方向の変位量が高々200 m程度の小規模なものであった.また西南日本の他地域にみられるグラーベンも埋積層の厚さが数百mと東北日本と比較して薄い.さらに,西南日本では東北日本のような断層によるブロック回転も認定されていない(星,2018).これらのことから,西南日本も前期中新世に伸張場ではあったものの,そのひずみ量は東北日本と比較して1桁程度小さかったと主張した.
しかしながら最近,伊勢湾周辺で埋積層の厚さが2 km程度の比較的沈降量の大きいグラーベン群が推定された(Miyakawa et al., 2020; Kinoshita and Yamaji, 2021).そして,Kinoshita and Yamaji (2021)は山陰東部との比較に基づいて前期中新世の西南日本の変形量には弧内差が存在したと主張した.
このような状況の下,本発表では北但層群の分布域北西縁(浜坂地域)の地質構造を紹介し,同地域にも北但層群堆積時に大規模な伸長変形の証拠がないことを報告する.浜坂地域は兵庫県の北西端に位置し,白亜系および古第三系の花崗岩類や火砕岩類を覆って北但層群が広く分布する.北但層群は下位から順に八鹿層・豊岡層・七釜層に区分される(羽地ほか,本大会ポスター).このうち,本研究では下部中新統八鹿層と基盤の境界の構造に着目して調査を行った.公表された既存の地質図では両者の境界に推定断層が描かれており,それらは日本海拡大頃のテクトニックなグラーベンの境界断層と解釈されていた(山内・吉谷,1992).地質調査の結果,両者の境界に堆積同時性の断層は認められず,八鹿層は地形的起伏のある基盤岩類をアバット不整合で覆って堆積したものと判断された.またその他にテクトニックな変形を示す地質図規模の構造は見いだされなかった.テクトニックなグラーベンが想定されていた地域でも,それを支持する地質情報は得られなかったわけである.他方で,北但層群と同時期の岩脈群の方位を利用した古応力解析の結果は,但馬妙見山地域と浜坂地域の両地域で酷似した引張応力状態を示した(Haji and Yamaji, 2021; 羽地ほか,投稿中).すなわち,変形は微小だったものの,盆地内は広域的に引張応力場であった.
以上の調査結果から,やはり山陰東部は弱い引張場であり,伊勢湾周辺に見られる大規模な伸長変形の証拠はないと結論する.従来,前期中新世の変形様式の議論は「西南日本弧」の単位で行われていた.しかし,おそらく変形の規模には明確な弧内差があり,Kinoshita and Yamaji (2021)が主張するように中国地方と近畿トライアングルでは異なる変形史を辿ったのであろう.中新世の西南日本変動史を理解するためには,各地の中新統堆積盆地で構造発達史の精査が必要であるといえる.
<引用文献>
Haji and Yamaji, 2020, Isl. Arc, 29, e12366.; Haji and Yamaji, 2021, Isl. Arc, 30, e12412; 羽地ほか,投稿中,地質雑; 星,2018, 地質雑,124, 675‒691; Kinoshita and Yamaji, 2021, Isl. Arc, 30, e12418; Mino et al., 2001, Earth Planets Space, 53, 805‒815; Miyakawa et al., 2020, Prog. Earth Planet. Sci., 7, 63; Yamaji, 1990, Tectonics, 9, 365‒378; 山内・吉谷, 1992.地質論集,37,311‒326.