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[G8-O-5] 地盤情報データベースを用いた徳島平野・鳴門市周辺の地下地質
キーワード:徳島平野、地盤情報データベース、第四系
徳島平野の一部を構成する徳島県鳴門市周辺は,四国最大の河川である吉野川河口域と,紀伊水道と播磨灘の間を流れる強い潮流で知られる鳴門海峡に隣接し,中央構造線活断層帯が通過する位置にある.この地域の沖積低地における地下地質の解明は,紀伊水道から播磨灘沿岸を含めた第四紀における地形・地質発達史の検討や,中央構造線活断層帯の活動履歴の検討に資するところが大きい.今回,四国地盤情報データベースを用いて,鳴門市周辺地域の地下地質を検討した.
四国地盤情報データベースは,四国地盤情報活用協議会が収集・作成したものであり,徳島県内ではおよそ5,000本のボーリングデータが電子化されて収録されている.今回はこのデータベースを用いるとともに,電子化されていない複数のボーリング資料も収集し,解析に用いた.
中央構造線活断層帯の鳴門南断層を境とし,南側と北側で地下地質が大きく異なる.鳴門南断層より南では,基盤岩の三波川変成岩まで到達したボーリングはなく,最大で厚さ150mに達する厚い沖積層~更新統が平野地下に伏在している.また,鳴門市板東では岩盤上面深度が-500mより深い(佃・佐藤,1996).これらのことから,鳴門南断層は右横ずれ成分が卓越する活断層として認識されているが,鉛直変位量も極めて大きいことが示唆される.一方,鳴門南断層より北では,沖積面下の-10~-20m程度と比較的浅い深さで基盤の白亜系和泉層群に達する場所と,-40mより深い開析谷が形成された場所とがある.特に,紀伊水道と播磨灘をつなぐ小鳴門海峡地下では,和泉層群の岩盤上面深度が-60m程度と深い開析谷をなし,その上位を更新統と沖積層が埋積している.鳴門断層と鳴門南断層に挟まれた鳴門市街地の沖積低地地下には,深度-10~-20mと浅い深度で和泉層群に達し,かつ,その上面形状がほぼ平坦で,側部に急崖を有することから,埋没波食棚の存在が推定された.この埋没波食棚は上下2面に区分でき,いずれも縄文海進の進行に伴って,和泉層群が侵食を受けて形成されたと推定される.
徳島平野の沖積層は,基底礫層・下部砂層・中部シルト層・上部砂層に大きく分けられ,最大で厚さが40mに達する.中部シルト層中にはK-Ahテフラ(約7.300年前)が挟在する.一方,小鳴門海峡周辺では沖積層基底礫層を欠き,更新統の上位に中部シルト層が直接累積している.基底礫層を欠く理由は,約1万年前に連結したと推定される明石海峡・鳴門海峡の開通後に生じ始めた渦潮を伴う強い潮流が,最終氷期末期に堆積した基底礫層を侵食したことが考えうる(西山ほか,2017a).
深度-40m以深には,砂・礫・シルトなどからなる更新統(北島層,川村・西山,2019)が厚く分布しており,最大層厚は少なくとも100m以上に達し,基盤に到達していない.北島層は,少なくとも数枚の海成シルト層を挟在している.北島層から得られたテフラはまだ少ないが,小鳴門海峡地下ではAT(姶良Tn,約3万年前)が,鳴門市の西隣に位置する徳島県板野町では,北島層最上部からSuk(三瓶浮布,約1.9万年)が,それぞれ見出されている(西山ほか,2017a, b).
引用文献 佃・佐藤,1996,第11回地質調査所研究講演会資料,90-93.西山ほか,2017a,阿波学会紀要,61,1-10.西山ほか,2017b,日本地質学会四国支部第17回講演要旨,5.川村・西山(2019)地質学雑誌,125,87-105.
四国地盤情報データベースは,四国地盤情報活用協議会が収集・作成したものであり,徳島県内ではおよそ5,000本のボーリングデータが電子化されて収録されている.今回はこのデータベースを用いるとともに,電子化されていない複数のボーリング資料も収集し,解析に用いた.
中央構造線活断層帯の鳴門南断層を境とし,南側と北側で地下地質が大きく異なる.鳴門南断層より南では,基盤岩の三波川変成岩まで到達したボーリングはなく,最大で厚さ150mに達する厚い沖積層~更新統が平野地下に伏在している.また,鳴門市板東では岩盤上面深度が-500mより深い(佃・佐藤,1996).これらのことから,鳴門南断層は右横ずれ成分が卓越する活断層として認識されているが,鉛直変位量も極めて大きいことが示唆される.一方,鳴門南断層より北では,沖積面下の-10~-20m程度と比較的浅い深さで基盤の白亜系和泉層群に達する場所と,-40mより深い開析谷が形成された場所とがある.特に,紀伊水道と播磨灘をつなぐ小鳴門海峡地下では,和泉層群の岩盤上面深度が-60m程度と深い開析谷をなし,その上位を更新統と沖積層が埋積している.鳴門断層と鳴門南断層に挟まれた鳴門市街地の沖積低地地下には,深度-10~-20mと浅い深度で和泉層群に達し,かつ,その上面形状がほぼ平坦で,側部に急崖を有することから,埋没波食棚の存在が推定された.この埋没波食棚は上下2面に区分でき,いずれも縄文海進の進行に伴って,和泉層群が侵食を受けて形成されたと推定される.
徳島平野の沖積層は,基底礫層・下部砂層・中部シルト層・上部砂層に大きく分けられ,最大で厚さが40mに達する.中部シルト層中にはK-Ahテフラ(約7.300年前)が挟在する.一方,小鳴門海峡周辺では沖積層基底礫層を欠き,更新統の上位に中部シルト層が直接累積している.基底礫層を欠く理由は,約1万年前に連結したと推定される明石海峡・鳴門海峡の開通後に生じ始めた渦潮を伴う強い潮流が,最終氷期末期に堆積した基底礫層を侵食したことが考えうる(西山ほか,2017a).
深度-40m以深には,砂・礫・シルトなどからなる更新統(北島層,川村・西山,2019)が厚く分布しており,最大層厚は少なくとも100m以上に達し,基盤に到達していない.北島層は,少なくとも数枚の海成シルト層を挟在している.北島層から得られたテフラはまだ少ないが,小鳴門海峡地下ではAT(姶良Tn,約3万年前)が,鳴門市の西隣に位置する徳島県板野町では,北島層最上部からSuk(三瓶浮布,約1.9万年)が,それぞれ見出されている(西山ほか,2017a, b).
引用文献 佃・佐藤,1996,第11回地質調査所研究講演会資料,90-93.西山ほか,2017a,阿波学会紀要,61,1-10.西山ほか,2017b,日本地質学会四国支部第17回講演要旨,5.川村・西山(2019)地質学雑誌,125,87-105.