[G-P-9] Tectonic evolution of the Ebi Tectonic Zone, western Tottori area, Southwest Japan
Keywords:Ebi Tectonic Zone, Cretaceous, Zircon U–Pb age
鳥取県西部に分布する江尾構造帯[1]は最大で東西約5 km、南北約1.5 kmの楕円形分布域を有し、堆積岩を主体とし一部に安山岩–デイサイト質の火山角礫岩、貫入岩が認められる。江尾構造帯はその北縁部でマイロナイト化とカタクラサイト化を被った花崗閃緑岩と接し、それらはジュラ紀を主体とする江尾花崗岩[2][3]と考えられている。江尾構造帯の南縁部はジュラ紀の高P/T型智頭変成岩と走向N82°W傾斜82°Nの断層で接する。また江尾構造帯はその北西–西側において白亜紀–古第三紀花崗岩に貫入され、北東側では第四紀の火山噴出物に被覆される。江尾花崗岩とそれに随伴する片麻岩類は飛騨帯の西方延長部と考えられており[3][4]、その南縁に位置する江尾構造帯は、その岩相や飛騨地域における飛騨帯と飛騨外縁帯との構造的関係に類似することから、古生代の飛騨外縁帯や長門構造帯との関連が指摘されてきた[1]。
江尾構造帯の堆積岩は礫岩と砂岩を主体とし泥岩を含む。これらには共通して黒雲母が定向配列せずに成長しており、一部にはざくろ石を伴うことから、接触変成作用の影響が強く認められる。礫岩には極めて淘汰不良な石英砂岩角礫が卓越する。石英砂岩はその強固な物理的性質から風化を免れ礫として残存しやすいため、後背地地殻物質にあって選択的に濃集している可能性が高い。5 mm以上の石英砂岩のクラストを含まない石英質ワッケ2試料の砕屑性ジルコンのうち、コンコーダントなポイント(n = 93+82)はそれぞれ72、62 %の先カンブリア時代のジルコンを含み、2000–1800 Ma (48–50 %)に最大のピークを持つ。中–新原生代のジルコンは5 %以下しか含まない。副次的なピークは共通して〜270–230 Ma (3–12 %)、〜200–175 Ma (15–19 %)、〜110–100 Ma (3–6 %)で、最若ジルコン年代はそれぞれ99.6 ± 4.0 Ma、98.8 ± 2.4 Maを示す。原日本列島を含む東アジア東縁部において、火山岩の形成を含む火成活動が約110 Ma以降に活発化したことを考慮すると、堆積年代はおよそ100 Ma頃と推定できる。一方、石英質アレナイトの砕屑性ジルコン(n = 108)は先カンブリア時代のジルコンに極めて乏しく(2.8 %)、最若ジルコン年代は160.5 ± 3.8 Maを示すことから、ジュラ紀後期、もしくは白亜紀前期に堆積したと推察できる。
江尾構造帯南部では安山岩–デイサイト質の火山砕屑岩が卓越し、その一部は石英砂岩–石英質砂岩と礫岩の角礫-亜円礫を多量に含む。デイサイト質火山砕屑岩の基質部分に含まれるジルコンは90.9 ± 1.0 Ma (MSWD = 2.2, n = 13)の重み付き平均年代を示す。江尾構造帯の堆積岩類に貫入する堆積岩角礫–亜円礫を含まない安山岩質貫入岩のジルコンは77–69 Maを示す。
江尾構造帯北縁部では、江尾構造帯の礫岩が江尾花崗岩の花崗閃緑岩と走向N58°W傾斜88°Nの断層で接し、両者は共通してカタクラシスを被っている。花崗閃緑岩2試料のジルコンの重み付き平均年代は68.1 ± 0.8 Ma (MSWD = 1.3, n = 20)、68.6 ± 0.8 Ma (MSWD = 1.9, n = 23)を示す。また江尾構造帯北西部における非変形花崗岩のそれもほぼ同時代の68–64 Maを示す。
以上の結果をまとめると、①江尾構造帯の主体をなす砂岩はジュラ紀後期から白亜紀中頃の約100 Maに堆積したこと、②白亜紀中頃の砂岩には約60%を超える割合で先カンブリア時代の年代を持つ砕屑性ジルコンが含まれること、③江尾構造帯南部では約91 Maに安山岩–デイサイト質の火山砕屑岩の形成を主体とする火成活動が生じたこと、④白亜紀末期にかけて安山岩質から花崗岩質マグマが貫入したことが判明した。これらのことから、江尾構造帯がこれまでに考えられてきたような飛騨外縁帯や長門構造帯に対比可能な古生代の構造帯ではなく、むしろ白亜紀の関門層群に年代、岩相ともに類似することが明らかとなった。また従来ジュラ紀に貫入したと考えられてきた江尾花崗岩のうち、江尾構造帯の北縁部で接するものは白亜紀末期の68 Maに貫入したことが明らかとなった。これは白亜紀の江尾構造帯の礫岩と断層で接しており、両者ともにカタクラサイト化を被っている。このことは、両者が接触する断層運動が少なくとも68 Ma以降に生じたことを示している。
引用文献: [1] 石賀ほか (1991) 島根大学地質学研究報告, 10, 53–56. [2] 石原ほか (2012). 地質調査研究報告, 63, 227–231. [3] Kawaguchi et al. (2023) Gondwana Research, 117, 56–85. [4] 石賀ほか (1989) 地質学雑誌, 95, 129–132.
江尾構造帯の堆積岩は礫岩と砂岩を主体とし泥岩を含む。これらには共通して黒雲母が定向配列せずに成長しており、一部にはざくろ石を伴うことから、接触変成作用の影響が強く認められる。礫岩には極めて淘汰不良な石英砂岩角礫が卓越する。石英砂岩はその強固な物理的性質から風化を免れ礫として残存しやすいため、後背地地殻物質にあって選択的に濃集している可能性が高い。5 mm以上の石英砂岩のクラストを含まない石英質ワッケ2試料の砕屑性ジルコンのうち、コンコーダントなポイント(n = 93+82)はそれぞれ72、62 %の先カンブリア時代のジルコンを含み、2000–1800 Ma (48–50 %)に最大のピークを持つ。中–新原生代のジルコンは5 %以下しか含まない。副次的なピークは共通して〜270–230 Ma (3–12 %)、〜200–175 Ma (15–19 %)、〜110–100 Ma (3–6 %)で、最若ジルコン年代はそれぞれ99.6 ± 4.0 Ma、98.8 ± 2.4 Maを示す。原日本列島を含む東アジア東縁部において、火山岩の形成を含む火成活動が約110 Ma以降に活発化したことを考慮すると、堆積年代はおよそ100 Ma頃と推定できる。一方、石英質アレナイトの砕屑性ジルコン(n = 108)は先カンブリア時代のジルコンに極めて乏しく(2.8 %)、最若ジルコン年代は160.5 ± 3.8 Maを示すことから、ジュラ紀後期、もしくは白亜紀前期に堆積したと推察できる。
江尾構造帯南部では安山岩–デイサイト質の火山砕屑岩が卓越し、その一部は石英砂岩–石英質砂岩と礫岩の角礫-亜円礫を多量に含む。デイサイト質火山砕屑岩の基質部分に含まれるジルコンは90.9 ± 1.0 Ma (MSWD = 2.2, n = 13)の重み付き平均年代を示す。江尾構造帯の堆積岩類に貫入する堆積岩角礫–亜円礫を含まない安山岩質貫入岩のジルコンは77–69 Maを示す。
江尾構造帯北縁部では、江尾構造帯の礫岩が江尾花崗岩の花崗閃緑岩と走向N58°W傾斜88°Nの断層で接し、両者は共通してカタクラシスを被っている。花崗閃緑岩2試料のジルコンの重み付き平均年代は68.1 ± 0.8 Ma (MSWD = 1.3, n = 20)、68.6 ± 0.8 Ma (MSWD = 1.9, n = 23)を示す。また江尾構造帯北西部における非変形花崗岩のそれもほぼ同時代の68–64 Maを示す。
以上の結果をまとめると、①江尾構造帯の主体をなす砂岩はジュラ紀後期から白亜紀中頃の約100 Maに堆積したこと、②白亜紀中頃の砂岩には約60%を超える割合で先カンブリア時代の年代を持つ砕屑性ジルコンが含まれること、③江尾構造帯南部では約91 Maに安山岩–デイサイト質の火山砕屑岩の形成を主体とする火成活動が生じたこと、④白亜紀末期にかけて安山岩質から花崗岩質マグマが貫入したことが判明した。これらのことから、江尾構造帯がこれまでに考えられてきたような飛騨外縁帯や長門構造帯に対比可能な古生代の構造帯ではなく、むしろ白亜紀の関門層群に年代、岩相ともに類似することが明らかとなった。また従来ジュラ紀に貫入したと考えられてきた江尾花崗岩のうち、江尾構造帯の北縁部で接するものは白亜紀末期の68 Maに貫入したことが明らかとなった。これは白亜紀の江尾構造帯の礫岩と断層で接しており、両者ともにカタクラサイト化を被っている。このことは、両者が接触する断層運動が少なくとも68 Ma以降に生じたことを示している。
引用文献: [1] 石賀ほか (1991) 島根大学地質学研究報告, 10, 53–56. [2] 石原ほか (2012). 地質調査研究報告, 63, 227–231. [3] Kawaguchi et al. (2023) Gondwana Research, 117, 56–85. [4] 石賀ほか (1989) 地質学雑誌, 95, 129–132.