[T10-P-1] Building stone made from Quaternary sedimentary rocks in the Chiba Prefecture, Japan
Keywords:building stone, Quaternary, sedimentary rock, Chiba Prefecture
千葉県は表層のほとんどが新第三紀以降の堆積層から成り,硬質岩石の産出に乏しく,石材として使用される岩石は限られている.その中では,房総半島南部の鋸山で採掘されていた「房州石」(上総層群竹岡層)を代表とする新第三紀ないし第四紀初頭の凝灰質岩が,石垣や石塀,石蔵など主として建築材料として細々と使用されている.これらは,石仏や墓石などの石造文化財として使用されるケースは極めて少ない.それらの用途に使用される石材の多くは県外からの搬入であり,県内産では,房総半島南部の嶺岡山系に産出する蛇紋岩など限られた地域に存在する程度である.
房総半島北部に広く分布する第四系は,海成層から成るもののほとんどが未固結であり,石材として利用されることは基本的に考えにくいが,この第四系の堆積岩からなる石材がいくつか存在する.それらは,いずれも石灰質成分によって硬く固結したもの(いわゆるノジュール,コンクリーション)である.それらの石材の分布や使用状況を詳しく調査したので,報告する.
1つは,房総半島東北部に分布する「飯岡石」(犬吠層群春日層:第四紀前期更新世)で,古くは巨智部(1887−1888)によって報告され,その後,鎌田(1988)によって詳しい研究がなされている.ある特定の単層が層状にノジュール化したもので,薄い板状の石材として産出し,その形状を活かして,石造文化財の板碑,建築材料として石垣や土台石として使用されている.多量の有孔虫化石が含まれ,ノジュール化の要因と推測される.産地は千葉県銚子市から旭市にかけて伸びる海食崖「屏風ヶ浦」で,波蝕によって削り出された岩塊が海流や波浪によって旭市飯岡の海岸に多量に打ち上げられたもので,使用範囲は飯岡地域を中心に千葉県北東部の割合に広い範囲に及んでいる(九十九里平野北部に加えて,利根川流域にも分布が見られる).
次に,同様に巨智部(1887-1888)によって報告されたが,その後,ほとんど調査・研究がなされていなかった石材に,「成東石」が存在する.下総台地東縁部(九十九里平野と下総台地との境界部)に産出する岩石で,上総層群最上部の金剛地層(第四紀中期更新世)の砂層の一部が,石灰質成分で固結したものである.砂粒子間を石灰質物質が埋めている.貝類化石や生痕化石を含む場合がある.山武市成東の浪切不動院の土台を形成しているほか,平野の中に孤立した大型の岩塊として存在し,市の天然記念物となっている例もあるが(山武市柴原地区岩塊),そのほかにも,石碑の土台石として広く使用されている.ただし,近代に産業として採掘された記録は見られない(地質調査所編, 1956に記載なし).これらは,下総台地が海洋に面していた時代に波浪によって削剥され後退していく過程で,硬質な部分が侵食から免れて残留したものと推測される.大型の岩塊はその場に残され,小型の岩塊は石材として使用されたと考えられる.このように固結した部位は,金剛地層の分布域の中でも,山武市成東町から同松尾町にかけての地域に限られる.同じ露頭でも単層によって固結した層と未固結の層が存在することから,地層形成時の作用が起因していると推測される.石材としての使用例は,山武市成東町・松尾町地区を中心に九十九里平野西縁部に沿って北部は旭市まで,南部は東金市まで分布が見られる.
さらに,房総半島北部に広がる下総層群木下層(第四紀後期更新世)は多量の貝化石を産出することで有名だが,これらの貝化石密集層の中に堅く固結した部分が存在し,古墳の石室や石灯籠などの石材として使用されている(印西町町史編さん室, 1988).
以上のように,時代の新しい第四紀の堆積層であっても,ノジュール化によって地層が硬く固結し,石材として使用されるケースが意外に多いことが明らかとなってきた.
[引用文献]
地質調査所編, 1956, 日本鉱産誌 Ⅶ 土木建築材料.東京地学協会, 293p.
印西町町史編さん室, 1988, 木下貝層—印西の貝化石図集—.印西町町史編さん室, 102p.
鎌田忠治, 1988, 郷土誌再考 飯岡石.崙書房, 183p.
巨智部忠承, 1887-1888, 20万分の1地質図幅「千葉」および同説明書.農商務省地質局, 65p.
房総半島北部に広く分布する第四系は,海成層から成るもののほとんどが未固結であり,石材として利用されることは基本的に考えにくいが,この第四系の堆積岩からなる石材がいくつか存在する.それらは,いずれも石灰質成分によって硬く固結したもの(いわゆるノジュール,コンクリーション)である.それらの石材の分布や使用状況を詳しく調査したので,報告する.
1つは,房総半島東北部に分布する「飯岡石」(犬吠層群春日層:第四紀前期更新世)で,古くは巨智部(1887−1888)によって報告され,その後,鎌田(1988)によって詳しい研究がなされている.ある特定の単層が層状にノジュール化したもので,薄い板状の石材として産出し,その形状を活かして,石造文化財の板碑,建築材料として石垣や土台石として使用されている.多量の有孔虫化石が含まれ,ノジュール化の要因と推測される.産地は千葉県銚子市から旭市にかけて伸びる海食崖「屏風ヶ浦」で,波蝕によって削り出された岩塊が海流や波浪によって旭市飯岡の海岸に多量に打ち上げられたもので,使用範囲は飯岡地域を中心に千葉県北東部の割合に広い範囲に及んでいる(九十九里平野北部に加えて,利根川流域にも分布が見られる).
次に,同様に巨智部(1887-1888)によって報告されたが,その後,ほとんど調査・研究がなされていなかった石材に,「成東石」が存在する.下総台地東縁部(九十九里平野と下総台地との境界部)に産出する岩石で,上総層群最上部の金剛地層(第四紀中期更新世)の砂層の一部が,石灰質成分で固結したものである.砂粒子間を石灰質物質が埋めている.貝類化石や生痕化石を含む場合がある.山武市成東の浪切不動院の土台を形成しているほか,平野の中に孤立した大型の岩塊として存在し,市の天然記念物となっている例もあるが(山武市柴原地区岩塊),そのほかにも,石碑の土台石として広く使用されている.ただし,近代に産業として採掘された記録は見られない(地質調査所編, 1956に記載なし).これらは,下総台地が海洋に面していた時代に波浪によって削剥され後退していく過程で,硬質な部分が侵食から免れて残留したものと推測される.大型の岩塊はその場に残され,小型の岩塊は石材として使用されたと考えられる.このように固結した部位は,金剛地層の分布域の中でも,山武市成東町から同松尾町にかけての地域に限られる.同じ露頭でも単層によって固結した層と未固結の層が存在することから,地層形成時の作用が起因していると推測される.石材としての使用例は,山武市成東町・松尾町地区を中心に九十九里平野西縁部に沿って北部は旭市まで,南部は東金市まで分布が見られる.
さらに,房総半島北部に広がる下総層群木下層(第四紀後期更新世)は多量の貝化石を産出することで有名だが,これらの貝化石密集層の中に堅く固結した部分が存在し,古墳の石室や石灯籠などの石材として使用されている(印西町町史編さん室, 1988).
以上のように,時代の新しい第四紀の堆積層であっても,ノジュール化によって地層が硬く固結し,石材として使用されるケースが意外に多いことが明らかとなってきた.
[引用文献]
地質調査所編, 1956, 日本鉱産誌 Ⅶ 土木建築材料.東京地学協会, 293p.
印西町町史編さん室, 1988, 木下貝層—印西の貝化石図集—.印西町町史編さん室, 102p.
鎌田忠治, 1988, 郷土誌再考 飯岡石.崙書房, 183p.
巨智部忠承, 1887-1888, 20万分の1地質図幅「千葉」および同説明書.農商務省地質局, 65p.