[SL] 食のアーティスト・宮沢賢治~本当の食べものを求めて~
【略歴】
1972年生。日本女子大学文学部英文学科卒業、日本大学大学院芸術学研究課博士後期課程修了、博士(芸術学)。現在、日本大学芸術学部文芸学科教授。専攻は日本近現代文学。著書に「別冊100分de名著 集中講義宮沢賢治」(NHK出版 2018年)、『共感覚から見えるもの アートと科学を彩る五感の世界』(共著 勉誠出版 2016年)「大人のための宮沢賢治再入門 ほんとうの幸いを探して (NHKカルチャーラジオ 文学の世界)」(2015年)、『女脳文学特講―芙美子・翠・晶子・らいてう・野枝・弥生子・みすゞ』(三省堂 2011年)、『新書で入門 宮沢賢治のちから』(新潮新書 2008年)、『一〇〇年の坊っちゃん』(D文学研究会 2007年)、『検証・宮沢賢治の詩 <2>「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」』・『検証・宮沢賢治の詩 <1>「春と修羅」』(鳥影社 それぞれ2004年、2002年)などがある。
1972年生。日本女子大学文学部英文学科卒業、日本大学大学院芸術学研究課博士後期課程修了、博士(芸術学)。現在、日本大学芸術学部文芸学科教授。専攻は日本近現代文学。著書に「別冊100分de名著 集中講義宮沢賢治」(NHK出版 2018年)、『共感覚から見えるもの アートと科学を彩る五感の世界』(共著 勉誠出版 2016年)「大人のための宮沢賢治再入門 ほんとうの幸いを探して (NHKカルチャーラジオ 文学の世界)」(2015年)、『女脳文学特講―芙美子・翠・晶子・らいてう・野枝・弥生子・みすゞ』(三省堂 2011年)、『新書で入門 宮沢賢治のちから』(新潮新書 2008年)、『一〇〇年の坊っちゃん』(D文学研究会 2007年)、『検証・宮沢賢治の詩 <2>「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」』・『検証・宮沢賢治の詩 <1>「春と修羅」』(鳥影社 それぞれ2004年、2002年)などがある。
宮沢賢治は、大人から子供まで幅広い層に知られている作家です。一方で「なんだかよくわからないのです」と言う声もしばしば耳にします。こんな宮沢賢治の〈食〉に焦点を当てながら、不思議な文学の魅力をご紹介したいと思います。
宮沢賢治は生涯において、〈食〉に対して独自のこだわりを持ち続けました。青年期には生き物の〈いのち〉の問題を真剣に考えるあまり、菜食主義にはまり込みました。〈食べる〉こと、すなわち、他者の〈いのち〉を犠牲にしなければ生きていけない自らの苦悩を記した作品を多く残し、食べられていくもの、〈いのち〉を奪われていくもの、死にゆくものへと深いまなざしをそそぎました。
それにしてもなぜ賢治は〈いのち〉の問題を切実に考えるようになったのでしょうか。まず、賢治の生まれ育った東北の土地、環境からの影響があったと考えられます。また、2つ年下の妹・トシ(享年24)との死別の体験が、賢治の生涯に大きな衝撃と深い傷を与えました。
「永訣の朝」は、トシが亡くなるその日の情景を記した、哀しく、美しい詩作品です。ストレートに綴られる哀しみの言葉は読む者の心を揺さぶります。ここで描かれる食べものが「あめゆじゅ」です。トシは熱にあえぎながら、「あめゆじゅ」を食べたいと賢治に訴えます。二人の兄妹の思い出の「あめゆじゅ」とは一体何だったのでしょうか。文学の解釈は一つではありません。読者の数だけ解釈があり、時代によっても解釈は変わります。ぜひ、みなさん自身もこの食べものについて想像をめぐらしてください。
〈いのち〉の問題を深く考え続けた賢治の集大成が未完の大作「銀河鉄道の夜」です。これは童話のかたちをとっていますが、大変難解です。一つひとつのモチーフが謎に満ちあふれています。多くの評者が謎の解明に取り組み、様々な解釈が生み出されてきました。こんな作品においても賢治は印象的な食べものをいくつか描いています。そのうちの一つに「雁」のお菓子があります。これはいったいどのような食べものなのか、まったく謎に満ちています。
こうして物語は謎に包まれ、未完のまま現在に至ります。登場人物たちは、さかんに「本当」のことを知りたがるのですが、その答えは提示されずに、作者・賢治は37歳で生涯を終えます。つまり、「銀河鉄道の夜」は読者に対して「答え」よりも、「問い」を投げかけ続ける作品であるのです。〈いのち〉とは? 〈食べる〉とは? 死とは? 宗教とは? 真理とは? これらこそは、古今東西の人間たちが探究し続けてきた問いであるのではないでしょうか。
「銀河鉄道の夜」は人間にとって永遠不滅の問題、そして、愛する者との死別という、生きている限りは避けられない哀しみを包括しながら、現在においても読み継がれる名作となり得ているのです。
宮沢賢治は生涯において、〈食〉に対して独自のこだわりを持ち続けました。青年期には生き物の〈いのち〉の問題を真剣に考えるあまり、菜食主義にはまり込みました。〈食べる〉こと、すなわち、他者の〈いのち〉を犠牲にしなければ生きていけない自らの苦悩を記した作品を多く残し、食べられていくもの、〈いのち〉を奪われていくもの、死にゆくものへと深いまなざしをそそぎました。
それにしてもなぜ賢治は〈いのち〉の問題を切実に考えるようになったのでしょうか。まず、賢治の生まれ育った東北の土地、環境からの影響があったと考えられます。また、2つ年下の妹・トシ(享年24)との死別の体験が、賢治の生涯に大きな衝撃と深い傷を与えました。
「永訣の朝」は、トシが亡くなるその日の情景を記した、哀しく、美しい詩作品です。ストレートに綴られる哀しみの言葉は読む者の心を揺さぶります。ここで描かれる食べものが「あめゆじゅ」です。トシは熱にあえぎながら、「あめゆじゅ」を食べたいと賢治に訴えます。二人の兄妹の思い出の「あめゆじゅ」とは一体何だったのでしょうか。文学の解釈は一つではありません。読者の数だけ解釈があり、時代によっても解釈は変わります。ぜひ、みなさん自身もこの食べものについて想像をめぐらしてください。
〈いのち〉の問題を深く考え続けた賢治の集大成が未完の大作「銀河鉄道の夜」です。これは童話のかたちをとっていますが、大変難解です。一つひとつのモチーフが謎に満ちあふれています。多くの評者が謎の解明に取り組み、様々な解釈が生み出されてきました。こんな作品においても賢治は印象的な食べものをいくつか描いています。そのうちの一つに「雁」のお菓子があります。これはいったいどのような食べものなのか、まったく謎に満ちています。
こうして物語は謎に包まれ、未完のまま現在に至ります。登場人物たちは、さかんに「本当」のことを知りたがるのですが、その答えは提示されずに、作者・賢治は37歳で生涯を終えます。つまり、「銀河鉄道の夜」は読者に対して「答え」よりも、「問い」を投げかけ続ける作品であるのです。〈いのち〉とは? 〈食べる〉とは? 死とは? 宗教とは? 真理とは? これらこそは、古今東西の人間たちが探究し続けてきた問いであるのではないでしょうか。
「銀河鉄道の夜」は人間にとって永遠不滅の問題、そして、愛する者との死別という、生きている限りは避けられない哀しみを包括しながら、現在においても読み継がれる名作となり得ているのです。