3:08 PM - 3:15 PM
[P1-5] P1-5
Keywords:代理意思決定支援、若年患者、意識障害
【目的】
突如脳症により意識障害を来した若年患者の両親が代理意思決定を行う過程での看護実践や多職種との関わりを振り返り、患者や家族の思いを尊重した看護とは何かを明らかにする。
【方法】
対象:神戸市内の救急救命センターに入院したA氏(20歳代女性)とその家族
方法:診療録からA氏とその家族との関わりを抽出し、A氏について代理意思決定のプロセスについてまとめた。
【倫理的配慮】
対象の家族に対し研究の目的を説明し、本人が特定されないよう配慮すること、いつでも辞退できることを説明し、口頭と文書にて同意を得た。
【結果】
A氏は、自己免疫性脳炎の疑いで緊急入院となり、様々な治療が施されたが意識状態の改善は見られなかった。その後小康状態を保っていたが腸炎による敗血性ショックで心肺停止状態となり、非閉塞性腸管虚血に対しては手術が必要な状態であったが、現状を考えると術中死のリスクが高い上に術後合併症の発症も免れない状況となった。
医師より家族に対して上記の内容を含め、全身状態は非常に厳しく、意識の回復も望めない状態であることの説明がされた。しかし、家族より現状の説明だけでは「見通しが分からない。今後どうしたらいいのか分からない。」という発言が聞かれたため、説明の内容や家族の思いを共有する場として医療者間で多職種カンファレンスの場を設けた。その後、家族に対し今後の状況を含めた説明を行い、手術は行わず内科的治療のみ行い急変時は蘇生措置を行わないこととなった。しかし、翌日に父より「やはり手術をして欲しい。」という申し出があり、再度話し合いの場を設け両親の思いを確認した。両親は「親としてできることはしたい」という思いと、「でも、A氏は痛いことは嫌だろう」という思いの間で揺れ動いていたが、最終的にA氏の思いを代弁し手術など侵襲的な処置は行わない方針となった。経過の中で方針が決定していても、現状に対し両親から「もうできることは何も無いということですか。」という発言が聞かれるようになった。そのため、A氏の尊厳を護り最期までA氏らしく生を全うできるようできることはないかと家族とともに考え、今までの関わりからA氏が大事にしている整容のケアを中心に行った。また、A氏の様子や面会者のメッセージなどなんでも記載できる日記帳を作成し、看護師、家族や面会者へ記載を依頼すると、A氏の今までの人生やA氏へのたくさんの愛情が刻まれていった。
これらの関わりの結果、両親は最終的にはA氏の思いを尊重した代理意思決定を下すことができ、A氏との最期の時間を穏やかに過ごすことができた。
【考察】
A氏の厳しい状況を見守る中、両親からは混乱や迷い絶望が感じられたが、言葉の端々から意識改善へのわずかな希望を持っているものと考えられた。そこで、多職種カンファレンスを開催し、家族へ一貫した説明を行う目的で、治療や目標の共有を行い、家族の声を看護師が代弁したことで、家族の求めていた内容の説明となり納得した上で治療方針の合意ができたと考える。
また、医師が父の「やはり手術をしてほしい」という思いを受け止めた上でA氏の思いを尊重した助言を行った。さらに、看護師が両親の思いを支持し、A氏のこれまでの人生を振り返ったことで、A氏らしい人生を最期まで全うすることが出来ていると感じられたのではないかと考える。両親の「もうできることは何もないのですか」といった発言に対して、整容へのケアを継続し行ったことや、日記帳の作成がA氏の人生観を理解し、尊厳を守ることにつながったと言える。そしてそれらのことが、揺れ動く両親の代理意思決定を支援したのではないかと考える。
突如脳症により意識障害を来した若年患者の両親が代理意思決定を行う過程での看護実践や多職種との関わりを振り返り、患者や家族の思いを尊重した看護とは何かを明らかにする。
【方法】
対象:神戸市内の救急救命センターに入院したA氏(20歳代女性)とその家族
方法:診療録からA氏とその家族との関わりを抽出し、A氏について代理意思決定のプロセスについてまとめた。
【倫理的配慮】
対象の家族に対し研究の目的を説明し、本人が特定されないよう配慮すること、いつでも辞退できることを説明し、口頭と文書にて同意を得た。
【結果】
A氏は、自己免疫性脳炎の疑いで緊急入院となり、様々な治療が施されたが意識状態の改善は見られなかった。その後小康状態を保っていたが腸炎による敗血性ショックで心肺停止状態となり、非閉塞性腸管虚血に対しては手術が必要な状態であったが、現状を考えると術中死のリスクが高い上に術後合併症の発症も免れない状況となった。
医師より家族に対して上記の内容を含め、全身状態は非常に厳しく、意識の回復も望めない状態であることの説明がされた。しかし、家族より現状の説明だけでは「見通しが分からない。今後どうしたらいいのか分からない。」という発言が聞かれたため、説明の内容や家族の思いを共有する場として医療者間で多職種カンファレンスの場を設けた。その後、家族に対し今後の状況を含めた説明を行い、手術は行わず内科的治療のみ行い急変時は蘇生措置を行わないこととなった。しかし、翌日に父より「やはり手術をして欲しい。」という申し出があり、再度話し合いの場を設け両親の思いを確認した。両親は「親としてできることはしたい」という思いと、「でも、A氏は痛いことは嫌だろう」という思いの間で揺れ動いていたが、最終的にA氏の思いを代弁し手術など侵襲的な処置は行わない方針となった。経過の中で方針が決定していても、現状に対し両親から「もうできることは何も無いということですか。」という発言が聞かれるようになった。そのため、A氏の尊厳を護り最期までA氏らしく生を全うできるようできることはないかと家族とともに考え、今までの関わりからA氏が大事にしている整容のケアを中心に行った。また、A氏の様子や面会者のメッセージなどなんでも記載できる日記帳を作成し、看護師、家族や面会者へ記載を依頼すると、A氏の今までの人生やA氏へのたくさんの愛情が刻まれていった。
これらの関わりの結果、両親は最終的にはA氏の思いを尊重した代理意思決定を下すことができ、A氏との最期の時間を穏やかに過ごすことができた。
【考察】
A氏の厳しい状況を見守る中、両親からは混乱や迷い絶望が感じられたが、言葉の端々から意識改善へのわずかな希望を持っているものと考えられた。そこで、多職種カンファレンスを開催し、家族へ一貫した説明を行う目的で、治療や目標の共有を行い、家族の声を看護師が代弁したことで、家族の求めていた内容の説明となり納得した上で治療方針の合意ができたと考える。
また、医師が父の「やはり手術をしてほしい」という思いを受け止めた上でA氏の思いを尊重した助言を行った。さらに、看護師が両親の思いを支持し、A氏のこれまでの人生を振り返ったことで、A氏らしい人生を最期まで全うすることが出来ていると感じられたのではないかと考える。両親の「もうできることは何もないのですか」といった発言に対して、整容へのケアを継続し行ったことや、日記帳の作成がA氏の人生観を理解し、尊厳を守ることにつながったと言える。そしてそれらのことが、揺れ動く両親の代理意思決定を支援したのではないかと考える。