第21回日本救急看護学会学術集会

講演情報

シンポジウム

[SY4] ALL JAPAN!2020年東京オリンピック・パラリンピックコンソーシアムによる医療活動計画と危機管理

2019年10月5日(土) 10:10 〜 12:00 第1会場 (2F コンベンションホールA)

座長:森村 尚登(東京大学大学院医学系研究科救急科学), 佐藤 憲明(日本医科大学付属病院)

[SY4-1] アトランタ夏季オリンピック(1996)および長野冬季オリンピック(1998)における組織委員会による医療救護活動の経験より

奥寺 敬1,2 (1.富山大学大学院 危機管理医学, 2.長野オリンピック冬季競技大会組織委員会医療救護ディレクター(1995-1998))

オリンピックのような大規模イベントにおける医療体制は、救急医学の大分類では、病院前救急医療の一分野として定義される。これは、病院前救急医療体制の特殊形としてして、医療供給体制を超えた群衆が存在しており、そのための医療体制を構築する必要がある、という考え方による。紛争や災害による群衆と決定的に異なることは、開催期間があらかじめ設定されており準備期間が十分にあること、周辺地域のインフラは通常通り機能していることである。従来より、オリンピックの医療はボランティアベースであったが、オリンピックの国際化に伴う社会現象化により、徐々に内在するリスクが高まってきたため、医療体制の構築も高度化しつつある。
 長野冬季オリンピックの救護を担当するため、現地調査を行なった1996年アトランタ大会は、大会規模の増大により、大規模かつ現在に通じる本格的な医療体制が構築された大会であった。訪問調査を行なった全ての運営・競技エリアにおいて、救護の主たるスタッフは看護師であり、参加するための資格要件が活動を保障するために厳格に定められていた。医師は、各セクションのディレクターであり、事務担当の専任者が取りまとめを行なっていた。長野においても同様なシステムの構築を目指したが、アメリカと日本の医療状況が大きく異なり、国際オリンピック委員会(IOC)との調整は、大会直前まで続いた。例えば、アトランタでは、医療スタッフはカテゴリーによってBLS(Basic Life Support)またはALS(Adbanced Life Support)のライセンスが必須であったが、1996年の日本ではどちらも普及の緒に就いた段階であった。そのような環境において、長野オリンピックの救護の主力は、アトランタ同様に看護師であったことは確かである。オリンピック医療の範囲は来場者の軽症の外傷や凍傷、体調不良であり、選手レベルの高度な外傷は極めて稀である。ましてテロは医療のみならず警察力など大きなシステムで対応する。多くの来場者、選手、関係者などをケアするために看護師が主力であることを共有したい。
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