[PD2-03] いのちを守る新しい絆ー限界集落で生きる高齢者の健康を脅かす問題と対策-
Keywords:コミュニティの再構築、幸福感
【調査の内容と集落の概要】
和歌山県の山間の集落へ訪問するようになって8年がたった。この集落は最初の訪問時すでに住民数は13名で、全員が高齢者という高齢化率100%のまさしく限界集落であった。しかしその暗いイメージとは裏腹に、そこに住む高齢者の方々の表情は明るく、過酷な環境下での生活にもかかわらず、幸福感を持って暮らしていた。
そこでエスノグラフィーを用い、毎月現地に訪問し、住民の生活を住民の目線で追っていき、住民の持つ問題、集落が抱える問題を明確にし、可能な支援を行うことを目的として今日に至った。
集落には住居以外何もなく、医療機関は麓の集落に週3回午前中だけ診療をしてくれる医院があり、そこの医師が全員の主治医でもある。公立病院は市街地にあり集落からは22㎞も離れた場所である。
公共交通機関はなく、独居の女性は週2回、麓のJR駅まで行く乗り合いタクシーで医院に通っていたが、市街地までJRで行くと帰りのタクシーがなく、家族などが来てくれる時以外買い物にも行けない状況である。男性は全員車を運転しているが最高齢は94歳である。広大な集落に現在はたった8名の住民しかおらず、隣が2.5㎞も離れている住民もいる。
このような環境であるが、道路は整備され、標高109mに位置する集落の各戸の玄関先まで車で行くことができる。しかし、通信手段は電話しかない。
【住民の健康問題と集落が抱える問題】
住民は年々歳を重ねていき、身体機能は少しずつ低下してきている。しだいに歩行距離が短くなり、他の住民とも容易に行き来はできなくなってきている。特に独居の方にとっては他者との交流の場が減ることは、認知機能の低下にもつながる。しかし、認知症の症状がある住民はひとりもいない。
8年の間には、転倒している住民を発見し救急車を呼んだことや、家から出ない住民の自宅へ訪問し、話し相手になり、他者と触れ合う機会を作る支援なども行った。
住民は今では全員が80歳以上で、夜間頻尿は著しい。また、トイレが家の外にある家も多く、水分を控えることがあり、脱水で救急搬送された人もいる。
最高齢94歳で住民は年々生活することが大変になってきている。転倒もしているようであるが、「自力での生活ができなくなったときは集落を離れるとき」ということを住民たちは覚悟している。
【いのちを守る新しい絆】
月1回の我々の訪問がいつからか、住民にとって何よりの楽しみになり、そこで他者とのふれあい、健康体操や頭の体操、季節のイベント、時には学生を連れていき、世代を超えた交流を続けた。
住民はみな疾病を持ちながらもADLは自立し、何よりこの土地が大好きで生活を継続している。行政の手厚い支援はなく、住民はお互いに助け合って生活を継続している。まさしく互助である。中でも、電話をかけあうことで互いに安否確認をし、交流を保っている。
もともとは男性中心で、区長の絶対的な権限と信頼の元、住民が生活をしていたが、昭和の終わりごろになると、仕事を求め集落から若い住民は次々と離れていき、高齢者だけが残ってしまった。彼らがこの生活を今継続できている原動力は、何よりこの土地が好きで、長年の関係の中で互いが認め合い、助け合い、みんなが平等に接することができているためと考える。つまり、限界集落となってから、彼らが考え方を変容し、皆が平等に助け合うことができたため、今があるのである。
住民がこれからも幸せに、最後までこの集落で生活を継続できるために必要なことは、まさしくケガをしない、お互いに助け合うことしかない。
また、この地以外の限界集落においても調査訪問を行ったので、その結果も併せて報告する。
和歌山県の山間の集落へ訪問するようになって8年がたった。この集落は最初の訪問時すでに住民数は13名で、全員が高齢者という高齢化率100%のまさしく限界集落であった。しかしその暗いイメージとは裏腹に、そこに住む高齢者の方々の表情は明るく、過酷な環境下での生活にもかかわらず、幸福感を持って暮らしていた。
そこでエスノグラフィーを用い、毎月現地に訪問し、住民の生活を住民の目線で追っていき、住民の持つ問題、集落が抱える問題を明確にし、可能な支援を行うことを目的として今日に至った。
集落には住居以外何もなく、医療機関は麓の集落に週3回午前中だけ診療をしてくれる医院があり、そこの医師が全員の主治医でもある。公立病院は市街地にあり集落からは22㎞も離れた場所である。
公共交通機関はなく、独居の女性は週2回、麓のJR駅まで行く乗り合いタクシーで医院に通っていたが、市街地までJRで行くと帰りのタクシーがなく、家族などが来てくれる時以外買い物にも行けない状況である。男性は全員車を運転しているが最高齢は94歳である。広大な集落に現在はたった8名の住民しかおらず、隣が2.5㎞も離れている住民もいる。
このような環境であるが、道路は整備され、標高109mに位置する集落の各戸の玄関先まで車で行くことができる。しかし、通信手段は電話しかない。
【住民の健康問題と集落が抱える問題】
住民は年々歳を重ねていき、身体機能は少しずつ低下してきている。しだいに歩行距離が短くなり、他の住民とも容易に行き来はできなくなってきている。特に独居の方にとっては他者との交流の場が減ることは、認知機能の低下にもつながる。しかし、認知症の症状がある住民はひとりもいない。
8年の間には、転倒している住民を発見し救急車を呼んだことや、家から出ない住民の自宅へ訪問し、話し相手になり、他者と触れ合う機会を作る支援なども行った。
住民は今では全員が80歳以上で、夜間頻尿は著しい。また、トイレが家の外にある家も多く、水分を控えることがあり、脱水で救急搬送された人もいる。
最高齢94歳で住民は年々生活することが大変になってきている。転倒もしているようであるが、「自力での生活ができなくなったときは集落を離れるとき」ということを住民たちは覚悟している。
【いのちを守る新しい絆】
月1回の我々の訪問がいつからか、住民にとって何よりの楽しみになり、そこで他者とのふれあい、健康体操や頭の体操、季節のイベント、時には学生を連れていき、世代を超えた交流を続けた。
住民はみな疾病を持ちながらもADLは自立し、何よりこの土地が大好きで生活を継続している。行政の手厚い支援はなく、住民はお互いに助け合って生活を継続している。まさしく互助である。中でも、電話をかけあうことで互いに安否確認をし、交流を保っている。
もともとは男性中心で、区長の絶対的な権限と信頼の元、住民が生活をしていたが、昭和の終わりごろになると、仕事を求め集落から若い住民は次々と離れていき、高齢者だけが残ってしまった。彼らがこの生活を今継続できている原動力は、何よりこの土地が好きで、長年の関係の中で互いが認め合い、助け合い、みんなが平等に接することができているためと考える。つまり、限界集落となってから、彼らが考え方を変容し、皆が平等に助け合うことができたため、今があるのである。
住民がこれからも幸せに、最後までこの集落で生活を継続できるために必要なことは、まさしくケガをしない、お互いに助け合うことしかない。
また、この地以外の限界集落においても調査訪問を行ったので、その結果も併せて報告する。