第22回日本救急看護学会学術集会

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パネルディスカッション

[PD4] パネルディスカッション4

『救命のその後』

座長 松月 みどり(東京医療保健大学 和歌山看護学部 教授)
   杉元 佐知子(奈良県総合医療センター 看護部 副院長・看護部長)

[PD4-01] 救命医療と倫理

○安田 冬彦1 (1. 医療法人社団 洛和会 洛和会音羽病院 救命救急センター・京都ER 所長)

Keywords:救命医療

最近の内閣府の意識調査では、高齢者の91%の方が、人生の最終段階の医療は自然にまかせてほしいという結果が公表されている。しかし、一方で、明確な意思決定がない場合には、救命処置は必須であり、自己心拍があれば、意識は回復しなくても原則として人工呼吸装着や強心剤の投与は行うことが、医療者として義務付けされている。

 我々は救命に最善を尽くす手技を行いながら、家族にどこまでの医療を提供するかを、短時間で尋ね、およその意思をくみ取りながら、蘇生手技を継続し、一段落した時点で、再度、家族に対しお話し、ご本人のご病気や死生観、最近の健康状態や、予測される予後の説明を行い、最終的な結論を下している。一般には知られていないが、救急車を呼んだ時点で、最低限の蘇生処置は行う意思があるものとみなされる。また、仮に過去に助からないなら無駄な延命処置は行わないという意思決定がなされていても、その時の状況で家族の意思決定は変更可能であるのに加え、そもそも無駄な延命治療かどうかも、救命処置を行ってみないとわからない現実がある。

 我が国の救命医療においては、心肺停止状態で搬送された際に、急な出来事で動揺されて、家族が意思決定できない事例や家族に連絡が取れていないことが多く、本人・家族が人生の最終段階の方針が明確に決められている事例は、未だ少ない。最近では独居で、家族がおられなかったり、遠方で家族に連絡がつかない事例もあり、担当医が患者の状況や背景で判断せざるを得ない場合もある。我々が行っている救命医療は時間のロスが許されないため、家族からの希望と眼前の蘇生治療の狭間で、担当医師の倫理感に基づいて、最善の医療を行えるよう即座に手段を決定しなければならない。

 救急医学会からの終末期に関するガイドラインには、担当医師が医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断するとされている。生命は助かったけれど、蘇生後脳症などでその後、意識が回復せず、気管切開や経鼻栄養などが必要となり、長期にわたり家族に苦労をかけることになれば、救命した医師は、自分が行った行為は最善ではなかったのではないかと自問することになる。年齢や背景から、ある程度の常識的な感覚は、救命医療スタッフ内で、ほぼ共有できているが、救命医療における倫理は、個々の死生観によるところが大きいため、統一することはできず、緊迫した蘇生の最中に、スタッフ同士で意見の相違が出ることもある。ガイドラインでは、チームで最善の方法を共有することが義務付けられているが、結局は担当医の判断に委ねられることになる。最善という答えがない現実の救急医療の中で、我々は残された家族が少しでも満足を与えられるように、どのような倫理観を持つべきなのか、結論はだせていないが、自身の経験を踏まえて、議論に参加したい。