第22回日本救急看護学会学術集会

講演情報

パネルディスカッション

[PD4] パネルディスカッション4

『救命のその後』

座長 松月 みどり(東京医療保健大学 和歌山看護学部 教授)
   杉元 佐知子(奈良県総合医療センター 看護部 副院長・看護部長)

[PD4-03] 社会的救命:救命はしたけれど課題を残したケアの体験

○太田 裕子1 (1. 独立行政法人国立病院機構大阪医療センター 医療福祉相談室 医療社会事業専門職)

キーワード:救命のその後

1.はじめに

救急医療現場では、突然の傷病により、救急医療の対象者(患者や家族)が、これまで抱えていた生活課題や心理社会的問題を「傷病と伴に持ち込まれる」状況がある。その対象者の年齢層は幅広く、「傷病と伴に持ち込まれる」生活課題や心理社会的問題は、疾病の重症度に関係なく多種多様である。救急医療現場のソーシャルワーカー(SW)は、①適切なアセスメントと随時支援、②経済的な問題を解決し治療や療養ができる体制づくり、③社会的生活基盤の弱い患者へ療養環境の整備、④継続的支援を行い課題に患者や家族が取組めるような助力、⑤地域との連携により、患者の生活の再構築や新たなライフステージのサポートを行ってきた。これにはSWのみならずキーパーソン(KP)が機能し続けることが必須であり、本発表では重症後遺症をかかえた患者の約10年の経過から、『KPとなる家族が機能し続けるポイントは何か』家族と伴に振り返った。

2.倫理的配慮

本発表対象者に対して、「公益社団法人日本社会福祉士会 正会員及び正会員に所属する社会福祉士が実践研究等において 事例を取り扱う際のガイドライン 」に沿って事例報告の承諾を得た。

3.事例概要と経過 

40代後半、男性。X年交通事故。頭部外傷(脳挫傷、硬膜下血腫、側頭蓋骨骨折)。救命救急センター入院、一般病棟転棟を経て回復期リハビリテーション病棟を有する医療機関へ転院、その後自宅退院となった。高次脳機能障害による性格変化、行動障害が残った。時間順序の混乱する記憶障害があるため、準備や段取りができなかった。行動が遅く、易怒的で、怒ると暴言がひどいといった、脱抑制による社会的行動障害を認めた。発動性低下があり、入浴、服薬も促す必要があった。妻と口論が絶えず。警察が介入することも認められた。X+2年後別居。随時、利用できる社会制度や障害福祉サービス等社会資源をフル活用した。問題行動への対応に追われる日々が続く中、X+10年、交通外傷を受傷し救命救急センターに搬送された。多発外傷、膀胱損傷等、感染を繰り返し、X+10年9ヶ月に他界された。

4.約10年を振り返って

「急性期病院入院中は、しんどかったけれど、病院のスタッフの皆さんが面倒みてくれていたから、休めないながらも休めた。一番しんどかった時は、回復期リハビリテーション病棟からの繰り返しの外泊訓練だった。動きまわるし、外泊中にケガをさせないようにするのに、緊張の連続だった。人をケアするということは大変なこと。在宅への移行の時期は、身体も安定しているようで安定してない中、介護をすることになるので、慣れるまでしんどい状況だった。退院後、本人が動きまわるので、問題ばかりおきた。警察、弁護士、障害福祉サービス関連事業所スタッフ、医療機関スタッフ、親族、職場等に、散々迷惑をかけた。はずかしいことばかりだったが、相談にのってくれた。一緒に悩み、支えてくれたこと、愚痴が言えたこと、誰かにわかってもらえていることは大きい。いつも誰かに相談できる関係や体制を作っておくことは、日々を乗り切る秘訣かもしれない。看取りも最後までしんどかったけど、医療スタッフが最後まで頑張りを認め、ねぎらい、肯定してくれた。」(KPの言葉より)

5.最後に

重症後遺症を残すケースでは、KPの悲観反応を十分に理解しながら、必要な手続きや情報提供が随時行われるように支援することが求められる。命を救うということのその後には、壮絶なケアがいる療養生活が続くことがあり、社会的に破綻・孤立してしまうことも多い。KPの意思決定能力やセルフケア能力(問題解決能力)を高め、家族の成長・発達を支援することは重要であり、“社会的救命”と考えて対応している。