第22回日本救急看護学会学術集会

講演情報

パネルディスカッション

[PD4] パネルディスカッション4

『救命のその後』

座長 松月 みどり(東京医療保健大学 和歌山看護学部 教授)
   杉元 佐知子(奈良県総合医療センター 看護部 副院長・看護部長)

[PD4-04] 命を救う行為の意味~救命救急センター搬入事例の検討を通じて

○阿部 美佐子1 (1. 大阪市立大学医学部附属病院 看護部)

キーワード:救命、救急医療

「自殺企図で救命救急センターに搬送されることを繰り返したが、数回目で既遂した。」

このような患者Aに遭遇し、ある救急看護師は、既遂した際に、“今度は本当に死ぬ方法を取ったのだ”と思った。前回搬送された際の自殺手段は致死的と言えないものだったが、今回は死の確実性を持っていたからだ。自殺を既遂したことから、患者Aは前回も恐らく本当に死ぬつもりでいたと考えられた。もともと患者Aは救急医療を受診する意図を有していなかった、と思われる。では、これまで救命したことは余計な手出しだったのだろうか? 

またある救急看護師は、このような患者Bの“自殺企図は周囲の他者の関心を引く方法だったのではないか”と、これまでの搬入で思っていた。致死性の低い手段を用いており、また自殺企図を周囲の人に知らせていたからだ。しかし、既遂した今回は、手段は同じであるものの致死的な域に達していた。“間違えて、本当に死んでしまう程度にしてしまったのではないか”。これまで救命したことが、患者Bに“致死”に関する認識を作り上げさせ、それが元で、患者Bは本当に死に至ってしまったではないか?

救急看護師は、自殺未遂患者の傷の手当てや救命に対しジレンマを感じ、否定や反感など陰性感情を持ちやすく、一方で、推奨されたケアを遂行しようとしてアンビバレントな状態となり、患者へのケア遂行に困難を生じる、と言われている(青木好美、片山はるみ(2017):救急業務に従事する看護師の自殺未遂患者に対するケア遂行の現状、日本看護科学会誌、37、p55‐64.)。

上記の救急看護師たちも、既遂に際して、自殺未遂を繰り返す患者にある種突き放したような感情を持ったことを示している。自殺手段における“致死的でない”という認識や判断は、医療者ならではのものである。患者本人には意識されていないかもしれない。但し、後者は、意図的だった可能性がある。

また、救急看護師たちは、救命が患者にとり必ずしも喜ばしいだけでないかもしれないことに思いを馳せていた。自殺企図の際も、既遂時も、救急搬送されたが故に、救急看護師は、患者が死を完成させる過程を目の当たりにした。救命という行為が、死に自ら向かう者を止められないどころか結果的に死に至らせ、それまでの間、苦悩に満ちた生を送らせたのではないか、と煩悶していた。