[SK3-1] 看護の価値をいかに可視化するか
【抄録】
コロナ禍を経て、私たちは3 つの価値を学んだ。まず、『健康』の価値。医学が進歩し、ともすれば手放しで得られるかのように錯覚していた『健康』も、やはり自らの手で守らなければならないと気づかされた。次に、『家族』の価値。移動や面会が制限される中、『家族』でなければ埋められない社会的距離があると気づかされた。そして、『看護』の価値。治療法や予防法が確立されるまでの間、頼りになるのは患者自身の治癒力、免疫力、回復力であり、それを最大限引き出すことができたのは他ならぬ『看護』であった。看護師は、患者と家族、そして彼らを取り巻く環境を心地よく調整することで、患者に安心、安楽、尊厳をもたらし、間接的に患者自身の力を引き出している。それだけに看護行為の意図や本質は目に見えにくい。私たちの課題はこの目に見えない看護をいかに可視化するかである。看護に関わるより正確なデータが大量に蓄積されれば、交絡因子を丁寧に調整し、「目に見える行為」はプロセスとアウトカムの関連として、「目に見えぬ意図」はストラクチャーとアウトカムの関連として、必ずや浮かび上がってくると確信する。
コロナ禍を経て、私たちは3 つの価値を学んだ。まず、『健康』の価値。医学が進歩し、ともすれば手放しで得られるかのように錯覚していた『健康』も、やはり自らの手で守らなければならないと気づかされた。次に、『家族』の価値。移動や面会が制限される中、『家族』でなければ埋められない社会的距離があると気づかされた。そして、『看護』の価値。治療法や予防法が確立されるまでの間、頼りになるのは患者自身の治癒力、免疫力、回復力であり、それを最大限引き出すことができたのは他ならぬ『看護』であった。看護師は、患者と家族、そして彼らを取り巻く環境を心地よく調整することで、患者に安心、安楽、尊厳をもたらし、間接的に患者自身の力を引き出している。それだけに看護行為の意図や本質は目に見えにくい。私たちの課題はこの目に見えない看護をいかに可視化するかである。看護に関わるより正確なデータが大量に蓄積されれば、交絡因子を丁寧に調整し、「目に見える行為」はプロセスとアウトカムの関連として、「目に見えぬ意図」はストラクチャーとアウトカムの関連として、必ずや浮かび上がってくると確信する。