[OF-2-5] 伝統の凧つくりを通した作業中心の実践
【はじめに】 腎細胞がん・多発骨転移により,対麻痺を呈し臥床傾向となったクライエント(以下,CL)に対して作業療法士(以下,OTR)はCLの島伝統の凧つくりを行った.その後,ひ孫が生まれたことにより凧つくりの意味が変容し,生命予後宣告された後も生きがいを見出すことが出来,離島にある自宅に退院した.本報告の目的は,がんターミナル期における作業中心の実践の重要さを報告することである.
【事例】 A氏.80代男性.診断名:右腎細胞がん(StageⅣ),多発骨転移(Th8,L3).第8胸髄節以下完全麻痺・感覚脱失.右腎摘除術施行後40日目に作業療法介入(X日).離島で妻と2人暮らし.介護保険:未申請. FIM:49点(運動24点,認知25点).HDS-R:20点.なお,本報告は対象者と家族に対し口頭及び文書にて説明を行い,文書にて同意を得ている.
【経過】
第1期:絶望感が強いA氏に,OTRに凧つくりを教える作業を導入した時期(~X+118日).
対麻痺を呈し,絶望感が強く臥床傾向となっていたA氏に,OTRは介入当初より意味ある作業の特定を試みた.当初はセルフケアや漁師への復帰が挙げられたが,島伝統の凧を幼少期につくっていたことがわかった.OTRは凧つくりを教えてもらう事を依頼し,A氏はしぶしぶ離床し凧つくりを教える作業を開始した.離床は促進されたが体調不良を訴える事も多くなった.医師が化学療法の効果がなく,生命予後をA氏と家族に告知した(X+71日).関わりの中で,A氏はOTRに凧のつくり方だけでなく,子が生まれると非常に大きな凧を島民が集まり,つくって揚げる伝統があることも教えた.X+118日に大量吐血し,医師が家族に抗がん剤終了とターミナルケアに移行することを説明した.
第2期:ひ孫に贈る為に凧をつくる作業が促進され,生きがいを見出した時期(~X+418日).
OTRは家族より聴いたひ孫の誕生をA氏に伝えたところ,A氏はベッド上でひ孫に贈る為に凧をつくる作業を自発的に開始した.OTRは凧つくりが出来る環境を整える為に,スタッフ・家族と情報共有や協働し,良質な作業となるよう黒子に徹した.A氏は家族に凧やビデオレターを届け,家族はA氏に凧つくりに必要な物品やひ孫の写真を届ける等,家族間の繋がりが促進された.作成した凧をスタッフや他患に披露したところ称賛を浴び,次々と凧をつくって贈る等,他者との交流も広がった.凧つくりは,A氏の生きがいとなり日々欠かせない作業となった.画像所見より,骨硬化像・腫瘍の脊髄減圧を認め,介助下での歩行や排泄も可能となってきた.カンファレンス・訪問指導・環境調整を経て,離島への自宅退院を果たした(X+418日).
【結果】 FIM:101点(運動68点,認知33点).介護保険:要介護4.1期と2期の凧つくりの意味の変容を,作業の意味を考える為の枠組み(吉川,2009)で整理した.1期の凧つくりは,快ではない感情を引き起こし,教える目的,人のみの繋がり,OT時間のみ,健康との関連は低く,義務的な作業であった.2期では,快の感情を引き起こし,目的でもあり家族と繋がる手段でもある,人‐場所‐時間と繋がる影響をもたらし,習慣化,健康増進,遊びが仕事となる作業へと変容した.活動の質評価法(A-QOA)にて,1期は3.13probit(良い活動,活動とA氏は強い結びつき),2期は4.37probit(非常に良い活動,活動とA氏は極めて強い結びつき)となった.
【考察】 OTRは環境を整え,良質な作業となるよう支援した.凧つくりは,ひ孫が生まれたことをきっかけに,人(A氏と家族・ひ孫)‐場所(病院と離島)‐時間(伝統と伝承)を繋げる作業へ変容し,がんターミナル期の生きがいに貢献したと考える.
【事例】 A氏.80代男性.診断名:右腎細胞がん(StageⅣ),多発骨転移(Th8,L3).第8胸髄節以下完全麻痺・感覚脱失.右腎摘除術施行後40日目に作業療法介入(X日).離島で妻と2人暮らし.介護保険:未申請. FIM:49点(運動24点,認知25点).HDS-R:20点.なお,本報告は対象者と家族に対し口頭及び文書にて説明を行い,文書にて同意を得ている.
【経過】
第1期:絶望感が強いA氏に,OTRに凧つくりを教える作業を導入した時期(~X+118日).
対麻痺を呈し,絶望感が強く臥床傾向となっていたA氏に,OTRは介入当初より意味ある作業の特定を試みた.当初はセルフケアや漁師への復帰が挙げられたが,島伝統の凧を幼少期につくっていたことがわかった.OTRは凧つくりを教えてもらう事を依頼し,A氏はしぶしぶ離床し凧つくりを教える作業を開始した.離床は促進されたが体調不良を訴える事も多くなった.医師が化学療法の効果がなく,生命予後をA氏と家族に告知した(X+71日).関わりの中で,A氏はOTRに凧のつくり方だけでなく,子が生まれると非常に大きな凧を島民が集まり,つくって揚げる伝統があることも教えた.X+118日に大量吐血し,医師が家族に抗がん剤終了とターミナルケアに移行することを説明した.
第2期:ひ孫に贈る為に凧をつくる作業が促進され,生きがいを見出した時期(~X+418日).
OTRは家族より聴いたひ孫の誕生をA氏に伝えたところ,A氏はベッド上でひ孫に贈る為に凧をつくる作業を自発的に開始した.OTRは凧つくりが出来る環境を整える為に,スタッフ・家族と情報共有や協働し,良質な作業となるよう黒子に徹した.A氏は家族に凧やビデオレターを届け,家族はA氏に凧つくりに必要な物品やひ孫の写真を届ける等,家族間の繋がりが促進された.作成した凧をスタッフや他患に披露したところ称賛を浴び,次々と凧をつくって贈る等,他者との交流も広がった.凧つくりは,A氏の生きがいとなり日々欠かせない作業となった.画像所見より,骨硬化像・腫瘍の脊髄減圧を認め,介助下での歩行や排泄も可能となってきた.カンファレンス・訪問指導・環境調整を経て,離島への自宅退院を果たした(X+418日).
【結果】 FIM:101点(運動68点,認知33点).介護保険:要介護4.1期と2期の凧つくりの意味の変容を,作業の意味を考える為の枠組み(吉川,2009)で整理した.1期の凧つくりは,快ではない感情を引き起こし,教える目的,人のみの繋がり,OT時間のみ,健康との関連は低く,義務的な作業であった.2期では,快の感情を引き起こし,目的でもあり家族と繋がる手段でもある,人‐場所‐時間と繋がる影響をもたらし,習慣化,健康増進,遊びが仕事となる作業へと変容した.活動の質評価法(A-QOA)にて,1期は3.13probit(良い活動,活動とA氏は強い結びつき),2期は4.37probit(非常に良い活動,活動とA氏は極めて強い結びつき)となった.
【考察】 OTRは環境を整え,良質な作業となるよう支援した.凧つくりは,ひ孫が生まれたことをきっかけに,人(A氏と家族・ひ孫)‐場所(病院と離島)‐時間(伝統と伝承)を繋げる作業へ変容し,がんターミナル期の生きがいに貢献したと考える.