第58回日本作業療法学会

講演情報

ポスター

脳血管疾患等

[PA-3] ポスター:脳血管疾患等 3

2024年11月9日(土) 12:30 〜 13:30 ポスター会場 (大ホール)

[PA-3-14] 急性期から母としての役割再獲得に向けて作業展開が行えた一事例

上島 裕貴1, 蔵垣内 明里1, 稲岡 秀陽2 (1.医療法人同仁会(社団) 京都九条病院 リハビリテーション部, 2.医療法人同仁会(社団) 京都九条病院)

【はじめに】急性期の患者は混乱から始まり,本人の希望が不明瞭な事が多い.脳卒中治療や心身機能改善も重要であるが,今回「その人らしい生活」に焦点を当て,退院後の生活の見通しが難しい患者と協働し,35病日目,役割を再獲得し自宅退院が行えた事例を経験した為,以下に報告する.尚,本報告にあたり本人に説明し同意を得ている.
【事例紹介】50歳代女性(以下A氏),右利き,Y月Z日左延髄出血を発症,Z+5日にOT開始,病前は家事全般を担い,夫の経営する会社の経理として週1回勤務.夫,受験生の息子,娘の4人暮らしであり主婦,事務員,妻,母としての役割があった.家族全員,家に帰って来てくれたらそれで良いという希望であり,本人の希望ははっきりしていなかった.
【初期評価】右不全麻痺,感覚障害,構音障害,複視を認め,座位や立位は軽介助,移動は車いす.右手の分離運動は可能だが協調性低下,左手を使用していた.(FIM58点,SIAS63点,MMSE30点)
【経過】(発症1週~2週)右不全麻痺は軽度, Z+4日MRI検査の移乗時に転倒する事があり「動けると思ったら動けなくて」と,自己身体の曖昧さあり,「家に帰ってからのイメージはつかないですね」と,まだ今の自分を全く承認出来ていない印象を受けた. 家族は家に帰ってきてくれたら,と希望をしていたが,A氏は自分の存在意義についても理解が困難であった.よって,早く今の自分を認識し,妻,母として自己覚知をして頂けるように介入した.
生活の中では右手の不使用があり,右手で右目を洗うという簡単な動作から始め,食事は左手でスプーンを使用していた為,自助具箸を使用し,右手の使用が可能である事を作業を通じて実感してもらった.結果,ADL動作では「思った以上にできます」と笑顔で返答されるところから変化が出てきた.
(発症3週)病室内の歩行やトイレ動作等も自立.役割に焦点を置き,掃除や調理動作を実施,書字練習も兼ねて病前に行っていた徒然日記を再開「手の痺れはあるけど字は上手くなっています」と自己承認できた. また複視が改善した為,自宅のパソコンを持参してもらい,事務会計ソフトを利用,自分のペースで入力等を開始した.家族との会話では「こんな事ができるようになった」と作業遂行の向上は認めていたが,A氏はまだ家に帰れるという自信はない様子であった.
(発症4週~退院前)本来の生活空間で作業活動を行う事と,自分の存在意義を自覚する必要もあると考え,主治医へ外泊を相談し許可を得た.調理もできる能力がある事を伝え,A氏は不安げな様子であったが,外泊後「ピーマンを塩昆布で和えた物を作れました」家族からも「9割出来ているね」と賞賛され自信がつき,この外泊を機にA氏の退院後のイメージが持てた.
【結果】外泊時には2品調理ができ,「8割程度できるようになったと思います」と,35病日目に自宅退院(FIM126点SIAS76点)となった.
【考察】前野(2022)は幸せの4因子として「やってみよう」「なんとかなる」「ありのままに」「ありがとう」をあげている.今回のA氏との協働で「とりあえずやってみる,失敗しても大丈夫」と前進し続けられるよう伴走し,また一日も早く母として家族の一員に戻れる事を念頭におき作業療法を展開した. この度,参加レベルからのアプローチを急性期から行った.何も考える事ができなかったA氏と存在が大事という家族の希望.当たり前のようだが,発症直後のアプローチでは活動レベルを目標にしがちになる中,うまくA氏に寄り添い,能力を認識させ,幸せの4因子をつなげる事ができた結果,早期退院が可能になったと考える.