[PA-9-20] 妊娠高血圧症による脳出血患者への母親役割獲得に向けた作業療法アプローチ
【はじめに】産褥期の円滑な母親役割の獲得には,妊娠期から継続的な「その人なりの母親像の確立」を支援することが重要である.妊産婦は稀に脳卒中を発症し,そのプロセスを阻害する場合があるが,妊産婦の脳卒中に対する作業療法の報告は非常に少ない.今回,妊娠高血圧症による脳出血で重度の身体機能障害を呈し,育児に対して悲観的になった症例を経験した.母親役割獲得に焦点を当てた介入により,作業適応に至った事例を通して,母親役割獲得に向けた妊産婦の脳卒中後の作業療法アプローチの有効性について報告する.尚,発表に際して事例より書面にて同意を得た.
【事例紹介】A氏,30歳代前半女性.夫と2人暮らし.妊娠25週で妊娠高血圧の診断を受け,A病院にて周産期管理を受けていた.X年Y月Z日に左被殻出血でB病院に救急搬送,同日に開頭血腫除去術を施行した.Z+40日(妊娠31週1日)に胎児機能不全で緊急帝王切開施行し,Z+54日に当院回復期病棟へ転院となった. 児はB病院で保育器管理中であった.
【初期評価】運動麻痺は上田式12段階グレードで上肢1,手指0,下肢4.感覚は重度鈍麻~脱失レベル,注意障害と失語症を呈していた.FIM48点(運動30点,認知18点)で食事以外のセルフケアは介助必要であった.人間作業モデルスクリーニングモデル(以下:MOHOST)では55点であった.
【経過】第Ⅰ期:身体機能とADL訓練を中心に介入した.A氏は「早く帰りたい」と焦りの発言が多かったが,ADL能力の改善につれ「6ヶ月はここで頑張る」と前向きな発言が聞かれるようになった.
第Ⅱ期:Z+103日,児が退院し夫との生活が始まった.A氏は「何で児のそばにいられないのか」と不安を表出するようになった.OTはA氏の母親としての重要な作業を聞きとると,「片手で抱っこをして母乳をあげる」が挙がった.そこで, 助産師と連携しA氏の能力で行える作業の練習を実施した.「本格的な練習になってきたね」と笑顔で積極的に練習に取り組む様子が観察されるようになった.
第Ⅲ期:退院前訪問実施し,児と対面の場面を作った.A氏は「可愛い」「帰りたくない」など触れ合いを喜んだが,退院が近づくと「全て投げ捨てたい」「今の私では児のことで家族に迷惑をかける」と悲観的な様子が多く観察されるようになった.OTはA氏の話を傾聴しながら,「すべてできなくても,児のそばにいてあげることこそが最大の母の役割ですよ」とA氏の存在としての母親の役割に気付きを促しつづけた.A氏は徐々に落ち着いていき,Z+177日にA氏の実家に退院となった.
【結果】退院時, FIMは97点(運動71点,認知26点),MOHOSTは80点に改善した.自宅では,四点杖歩行で入浴以外のセルフケアは自立となり,実母や妹の援助を受けながら児との入浴や着替えなどの役割も遂行可能になった. A氏から「児と毎日一緒にいれることが楽しい」と前向きな発言が聞かれた.X+2年,OTの「児のそばにいてあげることこそが最大の母の役割」との声かけに対してA氏から「児にとっての母親は私しかいないと思った」との内省報告が得られた.
【考察】吉川(2000)らは役割には作業的側面と認識的側面があると述べている.重度の運動麻痺による役割の作業的側面の阻害は,A氏の思い浮かべる認識的側面としての「母親像」との乖離を生み,葛藤状態に繋がっていたと考えられる.大平(2000)は「その人なりの母親像」の獲得の中で,現実的な母親役割モデル探索の促しが重要と述べており,「児のそばにいることこそが最大の母の役割」と伝えたことは,役割の認識的側面としてのA氏の現実的な母親像形成の契機となった可能性がある.脳卒中後の妊産婦の母親役割獲得の支援には,役割の作業的側面と認識的側面を同時に働きかける重要性が示唆された.
【事例紹介】A氏,30歳代前半女性.夫と2人暮らし.妊娠25週で妊娠高血圧の診断を受け,A病院にて周産期管理を受けていた.X年Y月Z日に左被殻出血でB病院に救急搬送,同日に開頭血腫除去術を施行した.Z+40日(妊娠31週1日)に胎児機能不全で緊急帝王切開施行し,Z+54日に当院回復期病棟へ転院となった. 児はB病院で保育器管理中であった.
【初期評価】運動麻痺は上田式12段階グレードで上肢1,手指0,下肢4.感覚は重度鈍麻~脱失レベル,注意障害と失語症を呈していた.FIM48点(運動30点,認知18点)で食事以外のセルフケアは介助必要であった.人間作業モデルスクリーニングモデル(以下:MOHOST)では55点であった.
【経過】第Ⅰ期:身体機能とADL訓練を中心に介入した.A氏は「早く帰りたい」と焦りの発言が多かったが,ADL能力の改善につれ「6ヶ月はここで頑張る」と前向きな発言が聞かれるようになった.
第Ⅱ期:Z+103日,児が退院し夫との生活が始まった.A氏は「何で児のそばにいられないのか」と不安を表出するようになった.OTはA氏の母親としての重要な作業を聞きとると,「片手で抱っこをして母乳をあげる」が挙がった.そこで, 助産師と連携しA氏の能力で行える作業の練習を実施した.「本格的な練習になってきたね」と笑顔で積極的に練習に取り組む様子が観察されるようになった.
第Ⅲ期:退院前訪問実施し,児と対面の場面を作った.A氏は「可愛い」「帰りたくない」など触れ合いを喜んだが,退院が近づくと「全て投げ捨てたい」「今の私では児のことで家族に迷惑をかける」と悲観的な様子が多く観察されるようになった.OTはA氏の話を傾聴しながら,「すべてできなくても,児のそばにいてあげることこそが最大の母の役割ですよ」とA氏の存在としての母親の役割に気付きを促しつづけた.A氏は徐々に落ち着いていき,Z+177日にA氏の実家に退院となった.
【結果】退院時, FIMは97点(運動71点,認知26点),MOHOSTは80点に改善した.自宅では,四点杖歩行で入浴以外のセルフケアは自立となり,実母や妹の援助を受けながら児との入浴や着替えなどの役割も遂行可能になった. A氏から「児と毎日一緒にいれることが楽しい」と前向きな発言が聞かれた.X+2年,OTの「児のそばにいてあげることこそが最大の母の役割」との声かけに対してA氏から「児にとっての母親は私しかいないと思った」との内省報告が得られた.
【考察】吉川(2000)らは役割には作業的側面と認識的側面があると述べている.重度の運動麻痺による役割の作業的側面の阻害は,A氏の思い浮かべる認識的側面としての「母親像」との乖離を生み,葛藤状態に繋がっていたと考えられる.大平(2000)は「その人なりの母親像」の獲得の中で,現実的な母親役割モデル探索の促しが重要と述べており,「児のそばにいることこそが最大の母の役割」と伝えたことは,役割の認識的側面としてのA氏の現実的な母親像形成の契機となった可能性がある.脳卒中後の妊産婦の母親役割獲得の支援には,役割の作業的側面と認識的側面を同時に働きかける重要性が示唆された.