10:00 〜 10:15
[HDS29-P01_PG] ドンドコ沢岩石なだれ堰き止め湖沼堆積物から得た大径木の年輪年代:AD887五畿七道地震の可能性
ポスター講演3分口頭発表枠
キーワード:年輪年代学, 大規模地すべり, 五畿七道地震, 赤石山地
赤石山地・地蔵ヶ岳東麓のドンドコ沢には大規模岩石なだれ堆積物(DRAD,V =1.9×107 m3)が分布する.DRADの発生年代はDRAD中や同直下の材化石,及びDRADによる堰きとめ湖沼堆積物中(DLD)の材化石を用いてAD780-870とされた(苅谷2012 地形).またDLD中の大径木化石に対する14C-ウィグルマッチング暦年較正に基づき,発生年代がAD778-793に限局される可能性も後に指摘された(苅谷2013 地すべり学会誌).しかしDRADの年代決定過程には不確定要素もあり,引き続き精査が必要とされていた.本研究では,DLD下部に含まれる大量の大径木化石のうち,樹皮付きの1本を試料とし(DDK-A,ヒノキ),その枯死年代を年輪年代法で解析してDRADとの関連を検討した.なお,年輪年代法が適用可能な大径木化石はDLD中からのみ見いだされており,DRAD中からは発見されていない.
DDK-Aの計測年輪数は226層だった.それらの年輪パターンと長野県下のヒノキ材で作成した2705年分(705BC-AD2000)の標準パターンとを照合した結果,DDK-Aの年輪パターンはAD662-887の区間でよく一致した.次に,年輪パターンの照合度を検討(光谷1990「年輪に歴史を読む」)した結果,t =7.9を得た.通常,t ≧3.5であれば標準パターンとの高い同調性が認定される(危険率0.1%).またDDK-Aの最外年輪の木材組織を顕微鏡観察したところ,AD887の年輪の早材はAD886の早材とほぼ同じ幅のものがすでに形成されていたが,晩材はまだ不完全なままであることが確認された.これより,DDK-Aは晩材形成の始まったころ(8月下旬から9月初旬)に枯死したと判断された.以上を総合すると,DDK-Aの枯死年代はAD887秋口と結論づけられる.
「日本三代実録」・「扶桑略記」の記述や地質調査にもとづき,AD887年8月22日(仁和三年七月三十日)に南海-駿河トラフを震源域とする五畿七道地震により八ヶ岳東面で大規模岩屑なだれが発生したことが知られている(石橋1999地学雑,井上ほか2011 日本の天然ダムと対応).この岩屑なだれ堆積物に埋没する大径木は,AD887年秋口に枯死したことが年輪年代法により明らかにされている(光谷2001 日本の美術421). なお,この岩屑なだれ堆積物中の大径木でも晩材様の組織が一部形成されているが,完全には形成されていない状況であった.この形成状況は,DDK-Aの形成状況と酷似している.
現在までに,DLD中から発見された樹皮付きの大径木化石はDDK-Aのみである.しかしDDK-Aと同層準には大量の大径木化石が挟まれることから,ドンドコ沢においてもDRADに対応する斜面変動がAD887五畿七道地震のために発生し,大量の樹木が押し流されたのは確実とみられる.ただし,既往の年代値(解釈)を引き続き有効とすれば,ドンドコ沢では8世紀末から9世紀末にかけて複数の大規模崩壊が発生した可能性も否定できない.それらの誘因として,五畿七道地震の他に,1)AD762美濃・飛騨・信濃地震,2)AD779駿河国豪雨,3)AD841信濃地震,4)AD841伊豆地震,5)AD878関東諸国地震などが想定される.一方,分析試料の質や,IntCalを用いることによる暦年較正値の系統的ずれ(中村ほか2013 月刊地球)など,DRADの年代決定にはなお検討を要する問題が介在する.
(本研究には科研費24300321を使用した)
DDK-Aの計測年輪数は226層だった.それらの年輪パターンと長野県下のヒノキ材で作成した2705年分(705BC-AD2000)の標準パターンとを照合した結果,DDK-Aの年輪パターンはAD662-887の区間でよく一致した.次に,年輪パターンの照合度を検討(光谷1990「年輪に歴史を読む」)した結果,t =7.9を得た.通常,t ≧3.5であれば標準パターンとの高い同調性が認定される(危険率0.1%).またDDK-Aの最外年輪の木材組織を顕微鏡観察したところ,AD887の年輪の早材はAD886の早材とほぼ同じ幅のものがすでに形成されていたが,晩材はまだ不完全なままであることが確認された.これより,DDK-Aは晩材形成の始まったころ(8月下旬から9月初旬)に枯死したと判断された.以上を総合すると,DDK-Aの枯死年代はAD887秋口と結論づけられる.
「日本三代実録」・「扶桑略記」の記述や地質調査にもとづき,AD887年8月22日(仁和三年七月三十日)に南海-駿河トラフを震源域とする五畿七道地震により八ヶ岳東面で大規模岩屑なだれが発生したことが知られている(石橋1999地学雑,井上ほか2011 日本の天然ダムと対応).この岩屑なだれ堆積物に埋没する大径木は,AD887年秋口に枯死したことが年輪年代法により明らかにされている(光谷2001 日本の美術421). なお,この岩屑なだれ堆積物中の大径木でも晩材様の組織が一部形成されているが,完全には形成されていない状況であった.この形成状況は,DDK-Aの形成状況と酷似している.
現在までに,DLD中から発見された樹皮付きの大径木化石はDDK-Aのみである.しかしDDK-Aと同層準には大量の大径木化石が挟まれることから,ドンドコ沢においてもDRADに対応する斜面変動がAD887五畿七道地震のために発生し,大量の樹木が押し流されたのは確実とみられる.ただし,既往の年代値(解釈)を引き続き有効とすれば,ドンドコ沢では8世紀末から9世紀末にかけて複数の大規模崩壊が発生した可能性も否定できない.それらの誘因として,五畿七道地震の他に,1)AD762美濃・飛騨・信濃地震,2)AD779駿河国豪雨,3)AD841信濃地震,4)AD841伊豆地震,5)AD878関東諸国地震などが想定される.一方,分析試料の質や,IntCalを用いることによる暦年較正値の系統的ずれ(中村ほか2013 月刊地球)など,DRADの年代決定にはなお検討を要する問題が介在する.
(本研究には科研費24300321を使用した)