10:00 〜 10:15
[HDS29-P03_PG] 大規模崩壊で生じた赤石山脈・仙丈ケ岳北麓の薮沢礫層:成因と年代の再検討
ポスター講演3分口頭発表枠
キーワード:四万十帯, 岩石なだれ, 宇宙線生成核種, 完新世
赤石山脈北部の仙丈ヶ岳(標高3033 m)には複数の圏谷が存在する.とくに,北面の薮沢圏谷から流下する薮沢沿いでは,約100 mに達する層厚を持つ礫層が標高1500-2000 m付近の両岸において段丘状の地形をなす.式(1974第四紀研究)は,この礫層を最終氷期の融氷流や周氷河作用に関係した河成堆積物と判断した.のちに,神澤・平川(2000 地理評)は,この礫層を再調査し,薮沢礫層と命名したうえで,山岳永久凍土の融解に関係した完新世初頭の崩壊堆積物(1.5×107 m3)とした.しかし薮沢礫層の成因・年代を決定づけるには詳細な記載や議論がまだ足りない.本研究では薮沢礫層の分布,地形・地質学的特徴,年代について多角的な検討を加えた.
調査対象地は,薮沢大滝と薮沢-赤河原合流点との間の薮沢両岸と,その周囲の山地斜面全域である.この範囲の約半分は四万十帯砂岩泥岩互層から,残りはホルンフェルスからなる.踏査や空中写真判読により地形学図を作成し,露頭記載を行った.また地表の砂岩礫に生じた宇宙線生成核種を東京大学の加速器で定量し,年代を算出した.
北沢峠の西北西約0.6 kmから西約1 kmの範囲では,礫層堆積面に不明瞭なハンモックや段状地形が生じていることが確認された.また同峠の北北西0.6-1.2 kmの範囲では,薮沢礫層が薮沢右岸の山腹斜面にのりあげるような分布を示すことが新たに判明した.薮沢礫層の下流側分布限界は旧丹渓山荘付近の薮沢左岸であることが改めて確認された.薮沢礫層はほぼ全量が角礫からなるが,淘汰は非常に悪く,露頭間で粒径変化が激しい.礫は砂岩・泥岩・ホルンフェルスが混合せず,露頭によっては単一の礫種しか認められないこともある.また基質支持・礫支持の双方が出現する.多くの地点では,礫にジグソークラックが発達する.一方,流水運搬・堆積を示唆する葉理や覆瓦構造は,礫層上面を薄く覆う土石流堆積物を除き全く認められない.従来,丹渓山荘直上の八丁坂付近に堅固な基盤岩が分布し,薮沢礫層の堆積に対して局地的基準面の効果を及ぼしたことも議論されたが,筆者らの観察では基盤岩は存在せず,全面が薮沢礫層からなることが判明した.目下,地下の状況が不明なため体積の再計算には至っていないが,薮沢礫層の面的・量的規模が従来説を上まわるのは確実である.なお,薮沢右岸の互いに離れた3地点で得た砂岩礫の年代は10.3-8.4 ka,10.0-8.1 ka,9.4-7.6 ka(10Be尺度)であった.これらは従来の14C年代と合致する.
以上の地形・地質的特徴からみて,薮沢礫層は単なる崩壊堆積物ではなく,岩盤内部にすべり面をもつ岩石なだれの性質を帯びた深層崩壊堆積物と判断される.年代の範囲からみて,崩壊は短期間で終始し,シングル・イベントだったことも考えられる.筆者らも,神澤・平川の主張を基本的に支持する.ただし,礫層の量的規模からみて,これほどの崩壊が岩盤深部まで形成されることのない山岳永久凍土の融解のみで生じるとは考えにくい.周辺の活断層やプレート収束による古地震,晩氷期から完新世初頭にかけての多雨化,岩盤の重力変形,物質移動のプロセス・破砕過程など,素因・誘因・運動にまたがる多面的な検討がさらに必要である.
(本研究には科研費24300321を使用した)
調査対象地は,薮沢大滝と薮沢-赤河原合流点との間の薮沢両岸と,その周囲の山地斜面全域である.この範囲の約半分は四万十帯砂岩泥岩互層から,残りはホルンフェルスからなる.踏査や空中写真判読により地形学図を作成し,露頭記載を行った.また地表の砂岩礫に生じた宇宙線生成核種を東京大学の加速器で定量し,年代を算出した.
北沢峠の西北西約0.6 kmから西約1 kmの範囲では,礫層堆積面に不明瞭なハンモックや段状地形が生じていることが確認された.また同峠の北北西0.6-1.2 kmの範囲では,薮沢礫層が薮沢右岸の山腹斜面にのりあげるような分布を示すことが新たに判明した.薮沢礫層の下流側分布限界は旧丹渓山荘付近の薮沢左岸であることが改めて確認された.薮沢礫層はほぼ全量が角礫からなるが,淘汰は非常に悪く,露頭間で粒径変化が激しい.礫は砂岩・泥岩・ホルンフェルスが混合せず,露頭によっては単一の礫種しか認められないこともある.また基質支持・礫支持の双方が出現する.多くの地点では,礫にジグソークラックが発達する.一方,流水運搬・堆積を示唆する葉理や覆瓦構造は,礫層上面を薄く覆う土石流堆積物を除き全く認められない.従来,丹渓山荘直上の八丁坂付近に堅固な基盤岩が分布し,薮沢礫層の堆積に対して局地的基準面の効果を及ぼしたことも議論されたが,筆者らの観察では基盤岩は存在せず,全面が薮沢礫層からなることが判明した.目下,地下の状況が不明なため体積の再計算には至っていないが,薮沢礫層の面的・量的規模が従来説を上まわるのは確実である.なお,薮沢右岸の互いに離れた3地点で得た砂岩礫の年代は10.3-8.4 ka,10.0-8.1 ka,9.4-7.6 ka(10Be尺度)であった.これらは従来の14C年代と合致する.
以上の地形・地質的特徴からみて,薮沢礫層は単なる崩壊堆積物ではなく,岩盤内部にすべり面をもつ岩石なだれの性質を帯びた深層崩壊堆積物と判断される.年代の範囲からみて,崩壊は短期間で終始し,シングル・イベントだったことも考えられる.筆者らも,神澤・平川の主張を基本的に支持する.ただし,礫層の量的規模からみて,これほどの崩壊が岩盤深部まで形成されることのない山岳永久凍土の融解のみで生じるとは考えにくい.周辺の活断層やプレート収束による古地震,晩氷期から完新世初頭にかけての多雨化,岩盤の重力変形,物質移動のプロセス・破砕過程など,素因・誘因・運動にまたがる多面的な検討がさらに必要である.
(本研究には科研費24300321を使用した)