17:45 〜 18:00
[HGG21-P03_PG] 和歌山県串本町におけるサンゴの価値とその変遷
ポスター講演3分口頭発表枠
キーワード:サンゴ, 自然資源利用, 海洋環境保全, 串本町
亜熱帯・熱帯域の海洋環境を考える上で,サンゴは象徴的な生物の一種として重要な地位を与えられている.資源利用の文脈においてサンゴといえば,もっぱら漁業資源としてのサンゴ礁生態系を育む地形的要素として捉えられることが多く,サンゴそのものの利用についてはあまり論の俎上に載せられてこなかった.そこで本発表では,歴史的にサンゴの直接採集とその利用が行われてきた地域を事例として,サンゴと人・地域の関係性とその変遷について,新たな側面から検討することを目的とする.
紀伊半島の南端に位置する和歌山県串本町の沿岸域は,潮岬を境として東西に湾形を成しており,このうち,黒潮の影響を強く受ける西側の沿岸域では,卓越するサンゴ群集に代表される亜熱帯性生態系が形成されている.こうした海洋環境に面して,串本町西部の一部沿岸は錆浦(サビウラ・サンビラ,錆はサンゴの意)とも称され,そこでは古くから地先に生息するサンゴが資源として利用されてきた.用途の第一が,漆喰の原料となる消石灰の生産である.原料はキクメイシ科(Faviidae spp.)のサンゴが主とされ,通常は磯に打ち上げられた死骸を拾い集めたものが用いられたが,時には船を出して,素潜りによってまとめて採集することもあった.また,その他の原料としては,地先の磯で採集されたフノリや,当地で捕鯨が行われていた時代には鯨油なども用いられていたほか,焼成の際には古材や間伐材などが燃料として利用されていた.こうして生産された消石灰は熊野灰と称され,今でも漆喰として灯台や寺院の壁面にみることができる.第二に挙げられるのが,土産物としての加工・販売である.高度成長期以降,交通網の整備などによって串本を訪れる観光客が増加する中,土産物として串本のサンゴが販売されていた.この場合はサンゴの形状や大きさが重要となるため,採集はもっぱら素潜りによって行われ,採集されたサンゴは,港で塩酸をかけたり煮詰めたりして肉を落とした上で加工業者に引き渡していた.いずれの場合も生産規模や従事人数は小規模にとどまっていたものの,歴史的に串本では地域漁業がサンゴ由来の生態系に依存しない代わりに,サンゴの採集・利用という直接的な働きかけを通じて,サンゴと人・地域の関係性が形成され,また維持されてきた.
こうしたサンゴの採集・利用は1970年代までは行われていたとされるが,現在ではこれらの営為は完全に途絶えている.その要因としては,熊野灰であれば他の原料への転換や需要の減少などが挙げられるが,こと串本において最終的に決め手となったのは,サンゴの多く生息する沿岸域が1970年に海中公園(現:海域公園)へと指定されたことにあったといえる.その時点ですでにサンゴ採集の従事者数は僅かとなっていたようであるが,上記指定によって当該沿岸域に生息するサンゴ及びその生息環境は新たに保全の対象となり,したがって採集は基本的に禁止されることとなった.その後,串本におけるサンゴの生息状況が国際的にも評価され,2005年には複数沿岸域がラムサール条約登録地に指定されており,こうしたサンゴに対する評価の高まりを追い風に,串本では観光資源としてのサンゴの価値に期待が寄せられるようにもなっていった.こうした潮流の中で,串本においてサンゴにかかわる主体は,地域住民から行政・研究機関・観光業者などへと移行していき,サンゴの価値もまた,希少性や特殊性,集客性などといったように,主として地域外部との関係性において見出されるものとなっていった.加えて近年,串本の沿岸域では海水温の上昇が顕著にみられ,串本沿岸域に生息するサンゴもまた,種数・被度ともに増加傾向にある.サンゴの増加が地域漁業に対して悪影響を及ぼす一方で,2000年代以降にオニヒトデ(Acanthaster planci)やシロレイシガイダマシ類(Drupella spp.)といったサンゴ食害生物の大量発生が問題となってからは,当地の研究所とダイビング組合が中心となって,食害生物の駆除やサンゴのモニタリングを実施している.
このように,串本のサンゴを取り巻く自然的・社会的情勢は常に変化し続けてきた.本発表では,往時の串本におけるサンゴを中心とした資源利用の構造を明らかにするとともに,その衰退と保全理念の導入,外部からの評価の高まりなどに伴うサンゴの価値についてその変遷を追うことで,地域の自然資源における価値や利用主体が変転する中での保全・管理のあり方,および今後望まれる地域と自然資源との関係について検討する.
紀伊半島の南端に位置する和歌山県串本町の沿岸域は,潮岬を境として東西に湾形を成しており,このうち,黒潮の影響を強く受ける西側の沿岸域では,卓越するサンゴ群集に代表される亜熱帯性生態系が形成されている.こうした海洋環境に面して,串本町西部の一部沿岸は錆浦(サビウラ・サンビラ,錆はサンゴの意)とも称され,そこでは古くから地先に生息するサンゴが資源として利用されてきた.用途の第一が,漆喰の原料となる消石灰の生産である.原料はキクメイシ科(Faviidae spp.)のサンゴが主とされ,通常は磯に打ち上げられた死骸を拾い集めたものが用いられたが,時には船を出して,素潜りによってまとめて採集することもあった.また,その他の原料としては,地先の磯で採集されたフノリや,当地で捕鯨が行われていた時代には鯨油なども用いられていたほか,焼成の際には古材や間伐材などが燃料として利用されていた.こうして生産された消石灰は熊野灰と称され,今でも漆喰として灯台や寺院の壁面にみることができる.第二に挙げられるのが,土産物としての加工・販売である.高度成長期以降,交通網の整備などによって串本を訪れる観光客が増加する中,土産物として串本のサンゴが販売されていた.この場合はサンゴの形状や大きさが重要となるため,採集はもっぱら素潜りによって行われ,採集されたサンゴは,港で塩酸をかけたり煮詰めたりして肉を落とした上で加工業者に引き渡していた.いずれの場合も生産規模や従事人数は小規模にとどまっていたものの,歴史的に串本では地域漁業がサンゴ由来の生態系に依存しない代わりに,サンゴの採集・利用という直接的な働きかけを通じて,サンゴと人・地域の関係性が形成され,また維持されてきた.
こうしたサンゴの採集・利用は1970年代までは行われていたとされるが,現在ではこれらの営為は完全に途絶えている.その要因としては,熊野灰であれば他の原料への転換や需要の減少などが挙げられるが,こと串本において最終的に決め手となったのは,サンゴの多く生息する沿岸域が1970年に海中公園(現:海域公園)へと指定されたことにあったといえる.その時点ですでにサンゴ採集の従事者数は僅かとなっていたようであるが,上記指定によって当該沿岸域に生息するサンゴ及びその生息環境は新たに保全の対象となり,したがって採集は基本的に禁止されることとなった.その後,串本におけるサンゴの生息状況が国際的にも評価され,2005年には複数沿岸域がラムサール条約登録地に指定されており,こうしたサンゴに対する評価の高まりを追い風に,串本では観光資源としてのサンゴの価値に期待が寄せられるようにもなっていった.こうした潮流の中で,串本においてサンゴにかかわる主体は,地域住民から行政・研究機関・観光業者などへと移行していき,サンゴの価値もまた,希少性や特殊性,集客性などといったように,主として地域外部との関係性において見出されるものとなっていった.加えて近年,串本の沿岸域では海水温の上昇が顕著にみられ,串本沿岸域に生息するサンゴもまた,種数・被度ともに増加傾向にある.サンゴの増加が地域漁業に対して悪影響を及ぼす一方で,2000年代以降にオニヒトデ(Acanthaster planci)やシロレイシガイダマシ類(Drupella spp.)といったサンゴ食害生物の大量発生が問題となってからは,当地の研究所とダイビング組合が中心となって,食害生物の駆除やサンゴのモニタリングを実施している.
このように,串本のサンゴを取り巻く自然的・社会的情勢は常に変化し続けてきた.本発表では,往時の串本におけるサンゴを中心とした資源利用の構造を明らかにするとともに,その衰退と保全理念の導入,外部からの評価の高まりなどに伴うサンゴの価値についてその変遷を追うことで,地域の自然資源における価値や利用主体が変転する中での保全・管理のあり方,および今後望まれる地域と自然資源との関係について検討する.