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[HSC25-01] 2011東北大震災の2014年頃の復興状況と問題点
キーワード:2011東北大震災, 住宅兼用避難ビル, 若者, 復興
1. まえがき筆者は2011.3月の東北大震災以後、主として津波被害による沿岸、液状化の調査での関東平野方面を歩きまわっていた。最近、地元仙台の街中を歩くことが多くなり、気付くことは、ビルやマンションの補修や解体工事が行われていることが目に付く。2年以上経てようやくそんな段階に来たかという思いである。気付いた点を列挙する。2. 要点 (The main point)(a)阪神大震災でも述べたが、避難場所になっている学校の被害が仙台でも多い。傾いている学校もいくつかあると思う。生徒に健康被害が生ずることを恐れる。関東地方の液状化住宅では、すでに生じている。体育館は広く、柱が無いのであるから、特に建設時はこれに留意すること。 参照 西澤勝:阪神大震災の調査結果の感想、第21回日本環境学会講演集、1995(b)地盤がよいはずの正宗以来の一等地でビルやマンションが傾いている。岩盤まで基礎を打ち込んでないのでは。その他の地区でも傾いているビル、マンション等がある。同じ原因と思われるのが多い。裁判所も傾いているが、各地方裁判所は補強している所が多いように感ずる。(c)団地で崩壊したり、傾いている家もある。宅地造成あるいは販売会社は土地情報を持っているのであるから、何かの交渉、問い合わせは、どこにする場合も一戸、一戸で行なうのでなく、少なくとも町内単位で行うことをお勧めする。一戸(個人)では限界がある。(d)(c)とも関連するが、自分達の被害を他人にしてもらおうというような“悪風”を感ずると言う。金力、権力を恐れてのことと思われるが、それでは解決は“夢のごとし”。個人でなく、町内会単位のような団体で交渉せよ。マンション等も同じ。(e)震災地とは限らぬが、特に震災地は、人心が乱れている点もある。保険屋さんは、当り屋が多いと嘆き、風の便りでは、マンション等の被害の査定にもチョンボがあるとか、ないとかの“悪風”があちこちから吹いてくる。知事さん、市長・町長さんの強力なリーダーシップが要求される。(f)流言蜚語は震災等災害時には、つきもののようである。寺田寅彦は“流言蜚語”で「適当な科学的常識とは、「科学的な省察の機会と余裕」を与え、こういう省察の行なはれるところには、流言蜚語の如きものは弱められる。」と記し、科学的常識の重要性を述べている。佐藤春夫は“サーベル礼賛”で、「今度の変事で最も感心したのは軍人の威力である」と述べ、自然の災害に対して、剣つき銃の出勤を俟たざるかの如きは、最も不泰平の象ではあるまいか。軍隊が無かったら安寧秩序が保てなかったと考えると、礼賛すべきは、サーベルではあるまいかと当時の時代の先駆を自任する、天下の雑誌経営者諸君に語りかけている。金素雲は“真新しい名刺”と題して、日曜世界社長 西阪保治 を30年後に「聖書大辞典」の発行者である西阪氏のお名前を、今年になって新聞の寄稿でお見かけした。その時の名刺は、少しも汚れず、今も私の記憶の中に、真新しいまま保存されていると、記して、感謝と尊敬を示している。芥川龍之介は、“大震雑記”(中央公論)、大正12年10月号で、“僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシェヴィッキと●●●●(不逞鮮人)との陰謀の存在を信ずるものである。万一信じられぬ場合は少なくとも信じている顔つきを装はねばならぬ”と否定する菊池寛を善良なる市民と勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ないと述べる。善良なる市民になることは-兎に角苦心を要するものと述べている。(g)個人的意見を一つ。復興に、土地を嵩上げするという町もあるとか。時間と費用がかなりかかる。私はしっかりしたビルを街中に建設することを勧める。住宅と避難ビルを兼ねたものである。かなり、部屋はゆったり、屋上には緑地庭園など、住宅は高階に、家庭菜園も、港に近く。かなり大きくしっかりしたビルになる。時間も工期も費用も嵩上げよりは相当有利。震災後2年半以上経ちさらに数年(5~6年とか?)の時間は、耐え得るストレスとしては無理では。これだけの大震災では、何か従来とは異なる方策が必要。多数集まれば、100%の意見の一致は絶対にないことも銘記すべし。3. まとめボランティアの若者を見ると、“若者に期待する”。ただ情熱と意気の他に寺田寅彦も言う通り、科学的常識、基礎的学問ももっと積んでほしい。“老いては子に従え”である。年寄は若者に実権を。アドバイスぐらいで。若者が成長しない。