日本地球惑星科学連合2014年大会

講演情報

口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-IS ジョイント

[M-IS35_2PM2] ジオパーク

2014年5月2日(金) 16:15 〜 17:30 211 (2F)

コンビーナ:*目代 邦康(自然保護助成基金)、有馬 貴之(首都大学東京都市環境科学研究科)、大野 希一(島原半島ジオパーク推進連絡協議会)、平松 良浩(金沢大学理工研究域自然システム学系)、尾方 隆幸(琉球大学教育学部)、渡辺 真人(産業技術総合研究所地質情報研究部門)、座長:大野 希一(島原半島ジオパーク推進連絡協議会)

17:15 〜 17:30

[MIS35-19] 東日本大震災の被災遺産を活用して地域の復興と活性化を図る ― 山元町ジオサイトの例 ―

*谷口 宏充1田代 侃2宮原 育子3相原 淳一4田中 倫久5南三陸海岸ジオパーク 準備委員会 1 (1.東北大、2.東北工大、3.宮城大、4.東北歴史博、5.アジア航測)

キーワード:ジオパーク, 南三陸海岸, 被災遺産, 復興, 山元町

南三陸海岸ジオパーク構想 多くの犠牲者をもたらしたあの東日本大震災から3年が過ぎた。しかし復興状況ははかばかしくない。とりわけ将来への明るい展望が見いだせず、地域産業の衰退や人口流出のため、地域によっては更なる過疎化が危惧されている。私たちは震災の半年後、“南三陸海岸ジオパーク”を宮城県の被災沿岸部に実現することを考えた。目指すのは地域の復興であり、震災以前よりも豊かな社会の実現である。そのためにはジオパークの実現を足掛かりとして、ビジターズ産業を活性化させ、被災地へ県内外からの訪問者を増やすことを目標とした。 本構想では、当面、宮城県沿岸部を地形の特徴にもとづき次の3つのエリアにわける:リアス海岸の宮城三陸GP(ジオパーク)、多島海の松島湾GP、そして広大な海岸平野が特徴の仙台湾GPであり、これらを併せて南三陸海岸ジオパークとよぶ。地形の違いによる区分は地質の違いばかりでなく今回の3.11津波の挙動や地場産業などとも密接に関係している。各GPは複数の市町にまたがり、各市町の名称をとって仮のジオサイト名とする。 震災半年後からこれらの自治体と協議を進めた。しかし自治体の多くは期限の限られた復興事業で多忙であり、ジオパーク設立など将来にわたる事業については踏み出すことが困難であった。そのため私たちはジオパークの設立は後にまわし、現在可能なことで将来必ず必要になることとして、被災遺産の調査・整理とそれらを活用した学習会や教育ツアーの実施を行うことにした。これらを優先した他の大きな理由は、復興事業の進行に伴う被災遺産の急速な消滅という現実があるからである。現在では約40ヶ所の調査を終えている。山元町の概要 山元町は2010年人口が約16,700人の、福島県との県境にある小さな町である。年齢別構成は65歳以上が約14%の高齢社会であり、3.11津波によって町全体で635人もの犠牲者を出した。人口は1995年のピークの後、減り続け、2014年1月には約13,000人までになっている。産業としては農業と水産業が主力であり、イチゴやホッキ貝などを特産品としているが津波によって大被害を受け、まだ回復には至っていない。今後の町の復興や活性化を図るためには、従来からの産業と同時に、地元に深い知識をもつ高齢者による取組が可能な、教育や観光を目的としたツアーによる新たな町興しが重要である。山元町ジオサイトの特徴、ガイドのフレームワークと課題 山元町は太平洋に沿って約11kmの海岸線を有し、海側から未固結の砂や泥層からなる標高10m以下の平地、新第三紀堆積岩からなる~100mの丘陵地、そして白亜紀の火成岩などからなる200~300mの山地より構成されている。総面積は約65km2であるが、このうち3.11津波によって37%もの土地が浸水した。この地域には縄文時代以降の遺跡が平地から丘陵地にかけて点在している。遺跡調査や津波堆積物調査などにもとづくと、当ジオサイトには3.11津波ばかりでなく、少なくとも1611年の慶長津波、そして869年の貞観津波が押し寄せていたことがわかっている。これらの津波による痕跡は、3.11津波による被災遺産(中浜小学校、津波湾群、海岸沿いの住居跡群、体験談、動画、写真など)はもとより、水神沼などの地質調査による津波砂層で、そして熊の作遺跡で最近見出された奈良時代~平安時代の役所跡で確認される。熊の作遺跡の理解が正しいとすれば、これは貞観津波による被災遺構が初めて発見された例になる。このように、本ジオサイトには津波災害の歴史的経緯はもとより、中浜小学校に残された防災教育上の重要な教訓、中浜小津波湾に代表される津波のダイナミックスを知る手がかりを与える景観など、学習と観光の様々な素材が残されている。私たちは国の特別天然記念物や重要文化財に指定されても不思議でないと考えている。従って、このような特徴を生かす形でジオサイトとツアーを準備したい。 しかし深刻な課題もある。それは“復興”の進展に伴い、津波湾は巨大防潮堤によって破壊され、貞観津波遺構は常磐線の下になるということである。東日本大震災に関してどこでも共通することであるが、被災遺産について情緒的な視点のみではなく、防災教育、科学教育や歴史教育など多様な視点、とりわけ将来の真の地域振興の観点での検討が切に望まれる。このことは行政や報道関係者ばかりでなく研究者に対しても望みたいことである。