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[MZZ45-03] プレートテクトニクス理論の「パズル解き」の例
キーワード:プレートテクトニクス, パズル解き, 科学史, 地質学
プレートテクトニクス理論は固体地球科学の世界でパラダイムになっているとされる(たとえば都城,1998など).実際,著者が大学院時代に房総半島の地質の記載的研究に従事していたとき,観察事実の解釈にプレートテクトニクス理論のサブ理論である付加体理論の用語を用いていたし,フィールド調査の最中にも,目の前の露頭について,「これは付加体でいうと,どの部分に当たるのか?」と自問していることがあった.これは新たな観察事実を付加体理論の枠組みに納める作業で,ある意味トーマス・クーンの言うところの通常科学における「パズル解き」であったと言える. プレートテクトニクス理論の日本地球科学界への受容について,当事者の回顧録以外のものとしては泊(2008)がある.泊は,地球物理学・地震学界が比較的スムーズにプレートテクトニクス理論を受容したのに対して,地質学の世界は10年遅れたとし,これを「失われた10年」と表現した.その原因として泊は,地質学者が物理学・化学の応用(現在主義)よりも造山運動理論による個々の地域地質の記述に興味を持っていたということ(歴史法則主義),当時地質学会においてマジョリティであった地学団体研究会の指導的立場にある地質学者が強硬にプレートテクトニクス理論を批判していたことなどを挙げた.これに対し,芝崎(2011)は,1970年代後期~1980年代初期には,特に放散虫化石を用いて生層序学の研究をしていた地質学者は,付加体理論で地域地質の問題点-特にブロック・イン・マトリックス構造の年代決定の問題点を説明することに成功するなど(放散虫革命),プレートテクトニクス理論の地質学界への受容を牽引しており,地域地質の研究に従事しているからこそグローバルな変動に関する理論に寄与できたと述べ,日本の地質学界のプレートテクトニクス理論の受容は決して遅くなかった,と反論した.また,この放散虫革命に寄与した多くの若手研究者は地学団体研究会に所属していたことから,地学団体研究会の指導的立場の研究者が反プレートテクトニクス理論であったことには間違いないものの,その影響力は限定的であったとした.その上で芝崎は,より統合的な科学史研究が必要であるとした. 著者はこの問題に関して,地質学の各分野(地域地質学のほか,構造地質学,層序学,火山岩岩石学,変成岩岩石学,鉱物学等)において,プレートテクトニクスの「パズル解き」に当たる研究がいつ頃から始まっているか,をレビューすることが有効であろうと考える.ある研究成果がプレートテクトニクスの「パズル解き」であるかどうかは,論理構造からある程度決定することが可能であるし,それこそがプレートテクトニクスがパラダイムとして機能をしていることを示すものだからである.本発表では地質学分野で,プレートテクトニクス理論の「パズル解き」を行っている研究のいくつかの例を紹介する.引用文献 都城秋穂,『科学革命とは何か』,岩波書店,1998年 泊 次郎,『プレートテクトニクスの拒絶と受容-戦後日本の地球科学史』,東京大学出版会,2008年 芝崎美世子『日本におけるプレートテクトニクス受容の「空白の十年」と地質維新:転換期の技術革新と学会批判 の構造』,地球惑星科学連合2011年大会予稿集,2011年