日本地球惑星科学連合2014年大会

講演情報

口頭発表

セッション記号 O (パブリック) » パブリック

[O-06_30AM1] 日本のジオパーク

2014年4月30日(水) 09:00 〜 10:45 メインホール (1F)

コンビーナ:*渡辺 真人(産業技術総合研究所地質情報研究部門)、住田 達哉(産業技術総合研究所)、座長:渡辺 真人(産業技術総合研究所地質情報研究部門)

09:26 〜 09:51

[O06-02] 地域自立のツールとしての自然公園

*松田 裕之1 (1.横浜国立大学環境情報研究院)

キーワード:UNESCO, MAB, biosphere reserve

ユネスコ「人間と生物圏」計画(以下、MAB計画)は1970年に発足した。生物圏保存地域(日本での通称ユネスコエコパーク)はMAB計画が定める自然公園である。ユネスコエコパークは翌1971年に発足したユネスコ世界自然遺産と異なり、世界に二つとない貴重な手付かずの自然を守るというより、持続可能な人間活動と自然保護の両立を図る取り組みである。初期には学術活動としての利用が主目的で、厳重に保護された核心地域とその周囲の緩衝地域だけだった。日本の森林生態系保護地域はユネスコエコパークをモデルにしたと言われている。 そのユネスコエコパークも1995年に変貌し、自然の恵みの持続的利用を図る移行地域が緩衝地域の周囲に設定されるようになり、地域振興の手段となりえるものになった(図1)。原生自然の保護(Protection)から持続的利用を図るための生態系保全(Conservation)への変貌は、世界の自然保護思想の変遷の歴史である。 ユネスコエコパークは上意下達型よりも利害関係者の参加型の運営を推奨する。日本では白山、大台ケ原・大峯山、屋久島、志賀高原が1980年に政府主導で登録されて以来、2012年に綾が32年ぶりに登録された。綾の登録に際しては国内の審査基準や申請手続きも未整備な中で、文字通り参加型の手探りの取り組みを続けた。この取り組みはユネスコ本部でも高く評価された。 綾は、ユネスコエコパーク登録のために特別なことをしたというよりは、地域の持続可能な自然資源の活用の取り組みが先にあった。それをMAB計画の文脈で説明したに過ぎない。地域の取り組みが世界の手本となるという価値を見出し、実感していただくことが、ユネスコエコパークの意義とも言える。 既存の上記4つの登録地では、国立公園の自然保護事務所が公式の連絡先となっていたが、地元自治体からは登録自体が忘れ去られ、形骸化していた。ユネスコの取り組みということで、当初は教育委員会が窓口となっていたが、環境課が対応し、その後は企画課など地域振興に携わる部署が直接乗り出す市町村が増えてきた。 多くの国立公園がそうであるように、自然豊かな核心地域は県境を跨ぐことが多く、県同士や市町村の連携が欠かせない。世界認証を頂くことで、連携の求心力が生まれることもあるだろう。国定公園の管理は県が担うが、参加型の連携が推奨されるユネスコエコパークならば県同士の連携の求心力にもなる。 自然資産を持続可能に生かす地域振興の取り組みはさまざまある。共通点を持ちつつも、それぞれが異なる体制、価値、歴史、担い手、経済事情を持っている。どれが最善ということはない。世界認証にも良いところと煩わしいところがある。専門家の役割は、その地域の特徴と目標にあった制度を紹介することである。自然資産を生かす地域振興の拡大とともに、それにかかわる専門家の多角的な取り組みの発展が期待される。図1 ユネスコエコパークの核心・緩衝・以降地域の役割 Role of core, buffer and transition areas in biosphere reserves