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[SSS34-16] 吉野ヶ里遺跡周辺の活断層
キーワード:正断層帯, 佐賀平野, 吉野ヶ里遺跡, DEM, 極浅層反射法地震探査
佐賀平野と背振山地との境界には,活断層が存在することが知られている(九州活構造研究会編,1989など).下山ほか(2010)は,ボーリング資料から阿蘇4火砕流堆積物とそれを覆う三田川層(約 1.8-9万年前)の境界が,断層を挟んで南側に大きく沈み込んでいることを明らかにし,本断層の変位を相対的な北側隆起とした.そして地震調査研究推進本部の活断層の地域評価(九州)では,重力異常の特徴も踏まえ,佐賀平野北縁の活断層(佐賀平野北縁断層帯)が,小城市から吉野ヶ里町までの東西約22kmにわたる正断層帯であると評価された.しかし,詳細な活断層の分布やそれらの活動性に関しては不明な点が多い. 一方,この断層帯沿いには,阿蘇4火砕流堆積物からなる小高い段丘面上に吉野ヶ里遺跡がみられる.吉野ヶ里遺跡は我が国のクニの成立を伺い知ることのできる遺跡として学術的価値の高い遺跡である.ここでは旧石器から近世までの遺物が出土するが,特に,弥生時代の環濠集落遺跡として注目されている.この地でクニとして栄えた環濠集落の終焉は3世紀後半と言われている.その後,奈良時代には吉野ヶ里遺跡を含む佐賀平野北縁に大宰府から肥前の国(現在の佐賀県・長崎県)に延びる官道や官衙などが置かれた.このように,吉野ヶ里遺跡およびその周辺地域は,幾重もの時代の文明が残る地域である.すなわち,人間の活動を長期間記録するこの地域では,活断層と人間・文明との関わりを知ることができると期待される. そこで本研究では佐賀平野北縁断層帯の分布と活動性を明らかにし,地震や変動地形が文明にどう影響したのかについて明らかにすることを目的とした調査研究を行った.まず,(故)長岡氏が遺した地形判読図を参考にしつつ,吉野ヶ里遺跡周辺において,大縮尺図,空中写真,5mDEMを用いた地形判読と地表踏査を行った.その結果を考古学的資料と比較することにより,段丘面,活断層,官道・官衙等の分布を捉えた.また,明瞭な崖を横断する測線を設定し,ランドストリーマーと稠密発震による極浅層反射法地震探査を行った.本発表では地表と地下構造から推定される吉野ヶ里遺跡周辺の活断層の特徴と分布,遺跡との関係について議論する.