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[SVC54-04] 浅間前掛火山の降下火砕堆積物からみた噴火推移の復元精度
浅間前掛火山の降下火砕堆積物に着目して、過去の噴火事例の噴火推移を検討し、その復元精度や火山活動の長期予測の可能性について考える。前掛火山の降下火砕堆積物のうち、A(天明噴火・18世紀),B’およびB(大治および天仁・12世紀),C(4世紀)などと呼ばれるものは軽石層を主体とする。時代の古いものでは、六合軽石や、藤岡軽石といった名称のものもある。一方、最近の2009年や2004年噴火は規模が小さく、個々の噴火の痕跡は地質単位としては残されていない。2009年や2004年噴火の堆積直後に採取された火山灰は、主に角張った石質岩片から構成される。天明噴火以降では特に20世紀前半にブルカノ式噴火が頻発したが、A降下火砕堆積物の上位の土壌には石質岩片の粒子が豊富に含まれている。つまり、天明噴火以降、浅間山麓では火山灰・土壌の混合層が形成されつつある。同様の火山灰・土壌混合層はA,B,C,Dの各降下火砕堆積物の下位にも認められるため、過去の大規模噴火のない期間にも、天明噴火以降のようなブルカノ式噴火の活動があったことが示される。一方、大規模噴火の降下火砕堆積物は多数の降下単位から成る場合が多く、主に軽石層から成るが、B’,B,E降下火砕堆積物には石質岩片から成る火山灰層も挟まれる。前掛火山の大規模噴火ではブルカノ式噴火とサブプリニ―式噴火が断続的に起こる場合もあるらしい。天明噴火については、A降下火砕堆積物と火口壁層序、それらと火砕流や溶岩流との層位関係、噴出物の層序と豊富な古記録との対応から、細かい時間軸に沿った噴火推移の全体像の議論が可能である(Yasui and Koyaguchi,2004など)。しかしながら、天明以前の噴火事例になると極端に情報量が減る。B’では火砕流堆積物との層位関係はおさえられるが、B降下火砕堆積物の場合は多数の流下単位から成る火砕流堆積物と降下火砕堆積物の分布方向が異なるために、層位関係が不明である。ただしB降下火砕堆積物には火砕流の灰かぐら由来とみられる火山灰の層が挟在することから、火砕流流出が示される層準が一つある。山頂部の地形やアグルチネートの存在は、天明、大治、天仁の各噴火事例で火砕丘が形成されたことを示唆するが、大規模な火砕成溶岩の流出は天明噴火のみらしい。以上を考慮すると天明、大治、天仁の噴火事例はそれぞれ異なる噴火推移をたどったようである。山体近くでは12世紀以降の堆積物が厚いために、それ以前の堆積物の露出が限定される。CおよびD降下火砕堆積物は大まかな分布がつかめる程度であるが、降下単位は複数あるらしい。C降下火砕堆積物は、火砕流堆積物との境界が認められる地点があるが、分布や層序の全体像はわからない。E降下火砕堆積物は、前掛火山の最近の堆積物が分布していない北西山麓においてよく観察でき、降下単位が多いことや火砕流を伴ったらしいことがわかるが、その他の情報に乏しい。噴火の規模に関して、本研究ではA,A’,B’,B,C,およびE降下火砕堆積物の等層厚線図を作成した。さらにA,B’,Bについては可能な限り降下単位毎の等層厚線図を作成した。これらの図から64cm、16cm、4cmの等層厚線を抽出して異なる噴火や降下単位間で比較した。全層厚の図の64cmの場合は、B, B’, C, Aの順に等層厚線の囲む面積が減り、Eが最少である。降下単位別にみると、16cmの場合では、天仁噴火のB-4, B-6, 大治噴火のB’-4は、天明噴火の最盛期のA-21p(0.01km3 DRE, Yasui and Koyaguchi,2004)より規模が大きいが、B’-1やA’はA-19p(0.003km3 DRE)より規模が小さいらしい。同様に4cmの場合では、B-2,B-3はA-NNWやNE(0.001km3 DRE)よりも規模が大きいとみられる。厳密には、風の強さの等層厚線の形状に与える影響や、噴煙の拡大における噴出率の違いの影響、時間経過に伴う堆積密度変化による層厚減少の影響を考慮する必要があるが、64cmの等層厚線が描ける噴火と、最大でも16cmの等層厚線しか描けない噴火あるいは降下単位とでは、噴出量のオーダーが違うということはできるだろう。 現時点では、前掛火山の大規模噴火のうち噴火様式や噴出量の時間変化まで議論できるのは天明噴火のみで、それ以前については同様の精度での議論は難しい。また階段ダイヤグラムを作成する場合、特に12世紀以前の噴火事例の総噴出量の見積り精度が極端に落ちることになる。したがって浅間前掛火山の場合は、高頻度で小規模噴火を繰り返す火山に比べて長期的な活動予測が難しいといえる。