18:15 〜 19:30
[SSS30-P01] 杭の如き応力集中を起こす南海トラフ沿い2つの海山~2004年紀伊半島南東沖の地震の真の意味~
(図面を参照のこと スラブ名・海底地形名等は便宜上命名した)
南海トラフ地震の本質はスラブ内が潰れること、付加体がはがれること、スラブが横ずれ回転し這い上がることにあり、2004年紀伊半島南東沖の地震は1944年東南海地震の後始末の地震であると位置付けた(1)。後始末がなぜ60年後なのかとの指摘を受けたこともあり両地震の真の関係を探求したい。
図1に1944年のすべり量分布コンター(2)(プレート間地震を前提とするが大変参考になる)を、図2に2004年の本震のすべり量分布コンター(3)、前震・本震・大きな余震の震源の位置(4)、発生翌月7日までの余震分布(4)(範囲を点線で囲んだ)を表示した。
(1)~(5)よりほぼ明確な点を整理する。(A):すべり範囲に関し1944年はトラフに届かず、2004年はトラフに絡んだ状態で両者は相補的で重複が少ない。(以下2004年について)(B):北-南方向の圧縮力が原因である。(C):前震・本震・大きな余震はトラフに沿って分布しスラブ内を破壊した逆断層型が主である。(D):北西-南東方向に分布する余震は浅発で横ずれ型が多く、付加体や下盤の上層に大規模な横ずれ断層帯が存在する。(E):全てが亀裂(b)より西方に分布している。(F):亀裂(a)の南端の延長上で本震後2,3日に2つの大きな逆断層型余震が発生した。(G):前震の大すべりは震源近くの深い所で本震のそれは震源から離れた西方の浅い所であった(3)が結局両方の大すべりの位置は近い。
大すべり(G)のほぼ真北は大王崎で南には海山WMがあり圧縮力(B)はこの北-南線上で最大であったと見られる。右回転力(1)に由来する北からの力がトラフ付近の狭い範囲に集中するには、反作用の応力を集中させる杭のような存在がトラフのすぐ南に力学的に不可欠である。海山WMは正に「杭」であろう。直近で余震(F)が発生した海山EMも「杭」であろう。横ずれ断層帯(D)は東西2本の「杭」の間(影響が少ない)を通る。
邪魔な部分や衝突する部分が先々で簡単に潰れてくれるならスラブの右回転も容易である。2本の「杭」はスラブ右回転の前線が出くわす障害物でもある。特に、亀裂(a),亀裂(b)の南端に対面している海山EMはスラブ右回転の半径や外周の位置の決定への関与が大きかろう。
(A)~(F)を考慮すれば1944年に割れ残ったトラフ付近の後始末が2004年になされたとの解釈はやはり妥当である。しかし大すべり(G)が海山WMの前で発生したのはどういう意味か。海山WMから狭い視野で真北を見れば大すべり(G)があり横ずれ断層帯(D)も横切るが、海山EMから同様に北を見ても(G)ほどの大すべりはなく(D)もない。力を伝達していた物質は海山WMの方がより減少したはずだから地震前に大きかった海山WMの応力は激減したことになる。相対的に海山EMが主となろうがこの時点でとにかく北-南圧縮(B)は崩壊した。次に何が起こるか。両「杭」とも図面左斜め上方向の物質はまあ健在であるからその方向(北西)からの応力が急増する。
つまり2004年に、1944年以降の北-南圧縮(B)が北西-南東圧縮主体へ劇的に転換したのではないか。2004年は1944年の仕舞いだけでなく繰り返される東南海地震の「中間点」で圧縮方向を転換させ次回へ向けて実質的に踏み出す重大な役回りの恒例イベントではないか。
(1)間瀬博文(2014)/JpGU2014/SSS29-P10
(2)山中佳子(2004)/1944年東南海地震と1945年三河地震の震源過程/月刊地球/26/11/739-745
(3)八木勇治(2004)/2004年9月5日紀伊半島南東沖で発生した地震について/建築研
(4)気象庁/地震・火山月報(防災編)/平成16年9月/特集2/図6-5(P64)等
(5)金沢敏彦/紀伊半島沖〔三重県南東沖〕の地震/東大震研
南海トラフ地震の本質はスラブ内が潰れること、付加体がはがれること、スラブが横ずれ回転し這い上がることにあり、2004年紀伊半島南東沖の地震は1944年東南海地震の後始末の地震であると位置付けた(1)。後始末がなぜ60年後なのかとの指摘を受けたこともあり両地震の真の関係を探求したい。
図1に1944年のすべり量分布コンター(2)(プレート間地震を前提とするが大変参考になる)を、図2に2004年の本震のすべり量分布コンター(3)、前震・本震・大きな余震の震源の位置(4)、発生翌月7日までの余震分布(4)(範囲を点線で囲んだ)を表示した。
(1)~(5)よりほぼ明確な点を整理する。(A):すべり範囲に関し1944年はトラフに届かず、2004年はトラフに絡んだ状態で両者は相補的で重複が少ない。(以下2004年について)(B):北-南方向の圧縮力が原因である。(C):前震・本震・大きな余震はトラフに沿って分布しスラブ内を破壊した逆断層型が主である。(D):北西-南東方向に分布する余震は浅発で横ずれ型が多く、付加体や下盤の上層に大規模な横ずれ断層帯が存在する。(E):全てが亀裂(b)より西方に分布している。(F):亀裂(a)の南端の延長上で本震後2,3日に2つの大きな逆断層型余震が発生した。(G):前震の大すべりは震源近くの深い所で本震のそれは震源から離れた西方の浅い所であった(3)が結局両方の大すべりの位置は近い。
大すべり(G)のほぼ真北は大王崎で南には海山WMがあり圧縮力(B)はこの北-南線上で最大であったと見られる。右回転力(1)に由来する北からの力がトラフ付近の狭い範囲に集中するには、反作用の応力を集中させる杭のような存在がトラフのすぐ南に力学的に不可欠である。海山WMは正に「杭」であろう。直近で余震(F)が発生した海山EMも「杭」であろう。横ずれ断層帯(D)は東西2本の「杭」の間(影響が少ない)を通る。
邪魔な部分や衝突する部分が先々で簡単に潰れてくれるならスラブの右回転も容易である。2本の「杭」はスラブ右回転の前線が出くわす障害物でもある。特に、亀裂(a),亀裂(b)の南端に対面している海山EMはスラブ右回転の半径や外周の位置の決定への関与が大きかろう。
(A)~(F)を考慮すれば1944年に割れ残ったトラフ付近の後始末が2004年になされたとの解釈はやはり妥当である。しかし大すべり(G)が海山WMの前で発生したのはどういう意味か。海山WMから狭い視野で真北を見れば大すべり(G)があり横ずれ断層帯(D)も横切るが、海山EMから同様に北を見ても(G)ほどの大すべりはなく(D)もない。力を伝達していた物質は海山WMの方がより減少したはずだから地震前に大きかった海山WMの応力は激減したことになる。相対的に海山EMが主となろうがこの時点でとにかく北-南圧縮(B)は崩壊した。次に何が起こるか。両「杭」とも図面左斜め上方向の物質はまあ健在であるからその方向(北西)からの応力が急増する。
つまり2004年に、1944年以降の北-南圧縮(B)が北西-南東圧縮主体へ劇的に転換したのではないか。2004年は1944年の仕舞いだけでなく繰り返される東南海地震の「中間点」で圧縮方向を転換させ次回へ向けて実質的に踏み出す重大な役回りの恒例イベントではないか。
(1)間瀬博文(2014)/JpGU2014/SSS29-P10
(2)山中佳子(2004)/1944年東南海地震と1945年三河地震の震源過程/月刊地球/26/11/739-745
(3)八木勇治(2004)/2004年9月5日紀伊半島南東沖で発生した地震について/建築研
(4)気象庁/地震・火山月報(防災編)/平成16年9月/特集2/図6-5(P64)等
(5)金沢敏彦/紀伊半島沖〔三重県南東沖〕の地震/東大震研