12:03 〜 12:06
[MIS25-P03] 屋久島,小瀬田海岸に認められる地震によって隆起した4段の完新世波食ベンチと2層の歴史時代に発生した巨大津波痕跡
ポスター講演3分口頭発表枠
キーワード:完新世波食ベンチ, 巨大津波痕跡, 巨大地震, 琉球海溝, 小瀬田海岸, 屋久島
屋久島は種子島と共に琉球列島北東端の外縁隆起帯に位置しており,ここではフィリピン海プレートが北西方向に約5.6cm/年の速度で沈み込んでいる.琉球列島では史料が少なく,これまでも大きな地震被害が知られていないことから,“この地域では巨大な地震は発生しない!”と漠然と理解されていた.しかし,数千年に一度,地殻変動を伴うような超巨大地震が発生する可能性が,2011年以降,地震学者によってたびたび指摘されて来ている.
屋久島の北?東部海岸沿いには隆起地域の地形学的特徴である海成段丘面が明瞭に発達し,4,5段の更新世海成段丘が幅広く分布する(町田,1969).さらに,完新世海成段丘は離水サンゴを伴う波食ベンチ群から構成され,これらは琉球海溝のもたらす地殻変動によって生じているとの指摘が1967?1980年の中田の研究によってなされていた(中田,1980).しかし,その後,変動地形学的視点からの研究はほとんど進んでおらず,屋久島地域の地震痕跡についても,成尾・小林(2002)によって,7250年前の鬼界カルデラ噴火に伴われた2回の噴礫の存在の指摘に留まっている.我々は完新世波食ベンチ群が明瞭に認められる屋久島北東部の小瀬田海岸において,測量調査を予察的に実施した.今回は海岸に直交する3本の測線(Lines 1, 2 and 3)を設定し,GPSスタティックを用いてcmオーダーで標高を高精度に決定し,それを基準点としてレベル測量を行った.
小瀬田海岸は古第三系日向層群が露出する岩礁海岸であり,ステップ状の波食ベンチ群とそれを覆う現成および離水した礫浜堆積物から構成される.小瀬田海岸の礫は,地域の河川の出水時に河口にもたらされ,その後沿岸流によって現成波食棚(WB-0)上に移動し,波浪の作用によって現成の波食棚上を礫が移動し円摩されている.干潮時の現地観測によれば,WB-0は潮間帯(大潮時の潮差約1.5m)?水深2mの砕波帯で現在形成されており,海側に緩く傾斜している.離水した波食ベンチは,現時点で4段確認され,下位からWB-1,WB-2,WB-3,WB-4と仮名した.このうち,最上位のWB-4は,幸屋火砕流堆積物によって被覆されている(森脇,2006)ことから,7250年前以前には既に離水していたと理解される.WB-4の現在の標高は約8.5mであり,正確な離水時期は不確定ながら,この時期の海面高度が現在よりも3m高かったと仮定した場合,5?6mの累積隆起量が見積もられることになる.WB-3の現在の標高は約6mであり,WB-4との比高差2mは,1回あたりの超巨大?地震による隆起量を示すのかも知れない.しかし現時点では,WB-4以外に年代情報が無く,各離水ベンチの露出時期を直定する方法を検討している.
一方,今回の予察調査で,WB-3を覆う斜面崩壊堆積物中に2層のイベント礫層(Cg1, Cg2)を認定した.これらは基質支持の中礫?大礫の円盤状の海浜礫からなり,最大礫径は16cmに達する.この露頭の上面を構成する現斜面の上位には基盤が露出し,礫の供給源は海側であると判断される.また,これらの礫層の上位には,16世紀中葉?17世紀前葉の中世の陶磁器片が多数出土する.Cg1とCg2の間の堆積物から得られた炭質物は,500?600 cal.yrBPとを示すことから,WB-3の離水時期よりも遥かに若い歴史時代に発生した巨大津波の痕跡であった可能性が疑われる.
水理学的に見て,大礫サイズの礫は,転動と跳躍でしか挙動できない.これら2層のイベント礫層の発生時期が17?18世紀と仮定した場合,当時の海面高度や海岸地形は現在とほぼ同じと見て良い.この場合,大礫を標高7m地点までもたらす波動としては,2011年東北地方太平洋沖地震津波によって形成された礫質津波堆積物(仁科ほか,2013)の産状を参照してみても,大規模な津波遡上が最も説明しやすい.今後我々は,2層のイベント礫層が歴史津波痕跡である可能性をさらに詳しく検証する予定である.
<引用文献>中田 高,1980,西村嘉助先生退官記念論文集,105-110.成尾英仁・小林哲夫,2002,第四紀研究,41, 287?299.仁科健二ほか,2013,北海道地質研究所報告,85,27-44.町田 洋,1969,薩南諸島の総合的研究,20-52.森脇 広,2006,南太平洋海域調査研究報告,46,58 -64.
屋久島の北?東部海岸沿いには隆起地域の地形学的特徴である海成段丘面が明瞭に発達し,4,5段の更新世海成段丘が幅広く分布する(町田,1969).さらに,完新世海成段丘は離水サンゴを伴う波食ベンチ群から構成され,これらは琉球海溝のもたらす地殻変動によって生じているとの指摘が1967?1980年の中田の研究によってなされていた(中田,1980).しかし,その後,変動地形学的視点からの研究はほとんど進んでおらず,屋久島地域の地震痕跡についても,成尾・小林(2002)によって,7250年前の鬼界カルデラ噴火に伴われた2回の噴礫の存在の指摘に留まっている.我々は完新世波食ベンチ群が明瞭に認められる屋久島北東部の小瀬田海岸において,測量調査を予察的に実施した.今回は海岸に直交する3本の測線(Lines 1, 2 and 3)を設定し,GPSスタティックを用いてcmオーダーで標高を高精度に決定し,それを基準点としてレベル測量を行った.
小瀬田海岸は古第三系日向層群が露出する岩礁海岸であり,ステップ状の波食ベンチ群とそれを覆う現成および離水した礫浜堆積物から構成される.小瀬田海岸の礫は,地域の河川の出水時に河口にもたらされ,その後沿岸流によって現成波食棚(WB-0)上に移動し,波浪の作用によって現成の波食棚上を礫が移動し円摩されている.干潮時の現地観測によれば,WB-0は潮間帯(大潮時の潮差約1.5m)?水深2mの砕波帯で現在形成されており,海側に緩く傾斜している.離水した波食ベンチは,現時点で4段確認され,下位からWB-1,WB-2,WB-3,WB-4と仮名した.このうち,最上位のWB-4は,幸屋火砕流堆積物によって被覆されている(森脇,2006)ことから,7250年前以前には既に離水していたと理解される.WB-4の現在の標高は約8.5mであり,正確な離水時期は不確定ながら,この時期の海面高度が現在よりも3m高かったと仮定した場合,5?6mの累積隆起量が見積もられることになる.WB-3の現在の標高は約6mであり,WB-4との比高差2mは,1回あたりの超巨大?地震による隆起量を示すのかも知れない.しかし現時点では,WB-4以外に年代情報が無く,各離水ベンチの露出時期を直定する方法を検討している.
一方,今回の予察調査で,WB-3を覆う斜面崩壊堆積物中に2層のイベント礫層(Cg1, Cg2)を認定した.これらは基質支持の中礫?大礫の円盤状の海浜礫からなり,最大礫径は16cmに達する.この露頭の上面を構成する現斜面の上位には基盤が露出し,礫の供給源は海側であると判断される.また,これらの礫層の上位には,16世紀中葉?17世紀前葉の中世の陶磁器片が多数出土する.Cg1とCg2の間の堆積物から得られた炭質物は,500?600 cal.yrBPとを示すことから,WB-3の離水時期よりも遥かに若い歴史時代に発生した巨大津波の痕跡であった可能性が疑われる.
水理学的に見て,大礫サイズの礫は,転動と跳躍でしか挙動できない.これら2層のイベント礫層の発生時期が17?18世紀と仮定した場合,当時の海面高度や海岸地形は現在とほぼ同じと見て良い.この場合,大礫を標高7m地点までもたらす波動としては,2011年東北地方太平洋沖地震津波によって形成された礫質津波堆積物(仁科ほか,2013)の産状を参照してみても,大規模な津波遡上が最も説明しやすい.今後我々は,2層のイベント礫層が歴史津波痕跡である可能性をさらに詳しく検証する予定である.
<引用文献>中田 高,1980,西村嘉助先生退官記念論文集,105-110.成尾英仁・小林哲夫,2002,第四紀研究,41, 287?299.仁科健二ほか,2013,北海道地質研究所報告,85,27-44.町田 洋,1969,薩南諸島の総合的研究,20-52.森脇 広,2006,南太平洋海域調査研究報告,46,58 -64.