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[SSS27-P05] 1946年南海地震前の紀伊半島沿岸部における目撃証言
キーワード:1946年南海地震, 目撃証言, 井戸水, 海水位変化, 地盤沈下
1.調査の目的
1946年南海地震(以下では本震と呼ぶ)の前に起こったことを可能な限り詳しく調べている.これまでに四国沿岸部においては,本震直前までの地殻の上下変動,地下水(主に井戸水)や海水位の変化に関する目撃証言を収集してきた.今回は紀伊半島における本震前の異常現象に関する目撃証言の調査結果を報告する.また四国における調査結果とも比較議論する.
2.調査の方法
文献調査が主である.紀伊半島の全体的な報告としては,本震直後に調査が行われた以下の3点による.
A.中央気象台(1947)「 昭和21年12月21日南海道大地震調査概報」.
B.水路局(1948)水路要報201号「地変・被害編」
C.同胞援護会和歌山県支部(1948)「昭和紀伊洪浪の記」
その他は各地における体験談などの資料による.これらを収集し,まとめた資料としては「D.和歌山県災害史,和歌山県(1963)」など,他にもいくつかある.証言は,地盤や海面に関するものの他,発光現象,生物と漁獲,天候など多岐にわたるが,本稿では地殻の上下変動に関連すると思われる現象として,井戸水の変化,地盤・海面変動などを取り上げる.
3.井戸水の減少
本震前に井戸水が減少したのは7カ所で9件の証言がある.東海岸の尾鷲から串本,紀伊由良を経て淡路由良まで分布している.水位低下の証言数は四国の18カ所に比べると多くは無いが,地震前に水位が低下した井戸があったことは確かなようである.逆に,四国ではほとんどなかった井戸水の濁りは紀伊半島では7カ所ある.本震前に水位が上昇したという証言は,四国の場合と同様に無い.
4.地盤・海面変動など
鳥羽市から那智勝浦にかけて地盤沈下が報告されているが,本震前の現象か,2年前の1944年東南海地震あるいはその余効変動によるものかはわからない.串本では「地盤が次第に沈下し東海岸にあっては砂浜が殆ど無くなり,満潮のときは波が県道(現在の国道42号)まで達していた」との証言もある.
海面変動に関するは3か所あるが,四国での38カ所に比べるとわずかである.目撃されるような大きな海水位の変化は無かったらしい.海鳴りや振動(地震か)も2か所で3件の証言があるが,東南海地震の余震とも考えられる.
5.異常なしについて
海南市役所と塩屋村役場(現在の御坊市塩屋)では「異常らしいものを認めなかった」と証言されている.特に塩屋村役場では「・・・強震の起こる前には地響き海鳴りなぞの徴候があると昔から言ひ伝へられてゐるがか様な前兆は全然感じられず,・・・」とあり,地震前の異常に関する言い伝えがあることは興味深い.
6.議論と結果
紀伊半島全体としては四国に比べて本震前の異常現象に関する証言数は少ない.高知県の須崎湾や宇佐港で目撃された2m~3mもの海水位低下は紀伊半島ではない.直前の異常現象はあったとしても僅かだったか,気付かれない程度だったと思われる.
地盤地下に関しては,水路要報201号「地変・被害編」によれば,紀伊半島の東海岸では1944年東南海地震時に0.6m程度の沈降があったと報告されている.小林・ほか(2002)は那智勝浦町浦神の潮位記録を解析し,本震の2,3日前から10cm程度の沈降があった可能性を指摘している.4節に記した串本の証言「地盤が次第に沈下し,・・・」は,東南海地震時あるいはそれ以降の余効変動なのか,それとは別に本震直前に起きた現象なのかはわからないが,小林・ほかの指摘を考えると,直前の地盤沈下も含まれている可能性がある.
四国で井戸水が減少した領域は,本震前の隆起域に対応していたが,串本での証言は,当地が本震前の沈下域に相当することから,四国の場合とは逆である.しかし,すぐ近くの潮岬では伝聞として土地の隆起も証言されており,さらに精査が必要である.
1946年南海地震(以下では本震と呼ぶ)の前に起こったことを可能な限り詳しく調べている.これまでに四国沿岸部においては,本震直前までの地殻の上下変動,地下水(主に井戸水)や海水位の変化に関する目撃証言を収集してきた.今回は紀伊半島における本震前の異常現象に関する目撃証言の調査結果を報告する.また四国における調査結果とも比較議論する.
2.調査の方法
文献調査が主である.紀伊半島の全体的な報告としては,本震直後に調査が行われた以下の3点による.
A.中央気象台(1947)「 昭和21年12月21日南海道大地震調査概報」.
B.水路局(1948)水路要報201号「地変・被害編」
C.同胞援護会和歌山県支部(1948)「昭和紀伊洪浪の記」
その他は各地における体験談などの資料による.これらを収集し,まとめた資料としては「D.和歌山県災害史,和歌山県(1963)」など,他にもいくつかある.証言は,地盤や海面に関するものの他,発光現象,生物と漁獲,天候など多岐にわたるが,本稿では地殻の上下変動に関連すると思われる現象として,井戸水の変化,地盤・海面変動などを取り上げる.
3.井戸水の減少
本震前に井戸水が減少したのは7カ所で9件の証言がある.東海岸の尾鷲から串本,紀伊由良を経て淡路由良まで分布している.水位低下の証言数は四国の18カ所に比べると多くは無いが,地震前に水位が低下した井戸があったことは確かなようである.逆に,四国ではほとんどなかった井戸水の濁りは紀伊半島では7カ所ある.本震前に水位が上昇したという証言は,四国の場合と同様に無い.
4.地盤・海面変動など
鳥羽市から那智勝浦にかけて地盤沈下が報告されているが,本震前の現象か,2年前の1944年東南海地震あるいはその余効変動によるものかはわからない.串本では「地盤が次第に沈下し東海岸にあっては砂浜が殆ど無くなり,満潮のときは波が県道(現在の国道42号)まで達していた」との証言もある.
海面変動に関するは3か所あるが,四国での38カ所に比べるとわずかである.目撃されるような大きな海水位の変化は無かったらしい.海鳴りや振動(地震か)も2か所で3件の証言があるが,東南海地震の余震とも考えられる.
5.異常なしについて
海南市役所と塩屋村役場(現在の御坊市塩屋)では「異常らしいものを認めなかった」と証言されている.特に塩屋村役場では「・・・強震の起こる前には地響き海鳴りなぞの徴候があると昔から言ひ伝へられてゐるがか様な前兆は全然感じられず,・・・」とあり,地震前の異常に関する言い伝えがあることは興味深い.
6.議論と結果
紀伊半島全体としては四国に比べて本震前の異常現象に関する証言数は少ない.高知県の須崎湾や宇佐港で目撃された2m~3mもの海水位低下は紀伊半島ではない.直前の異常現象はあったとしても僅かだったか,気付かれない程度だったと思われる.
地盤地下に関しては,水路要報201号「地変・被害編」によれば,紀伊半島の東海岸では1944年東南海地震時に0.6m程度の沈降があったと報告されている.小林・ほか(2002)は那智勝浦町浦神の潮位記録を解析し,本震の2,3日前から10cm程度の沈降があった可能性を指摘している.4節に記した串本の証言「地盤が次第に沈下し,・・・」は,東南海地震時あるいはそれ以降の余効変動なのか,それとは別に本震直前に起きた現象なのかはわからないが,小林・ほかの指摘を考えると,直前の地盤沈下も含まれている可能性がある.
四国で井戸水が減少した領域は,本震前の隆起域に対応していたが,串本での証言は,当地が本震前の沈下域に相当することから,四国の場合とは逆である.しかし,すぐ近くの潮岬では伝聞として土地の隆起も証言されており,さらに精査が必要である.