18:15 〜 19:30
[HGG21-P02] 丘陵地・山地における過去の森林伐採指標としての炭窯跡
キーワード:丘陵地, 森林伐採, 炭焼き, 炭窯跡
燃料革命以前、日本の丘陵地や山地では、薪炭林利用の一形態として炭焼きが広く行われていた。こうした炭焼きでは、現場で入手できる土石を材料に炭窯が作られ、周囲の二次林から伐採された樹木が炭材として利用された。つまり、かつて炭焼きが行われていた丘陵地・山地では、炭窯周辺の森林には一定の伐採圧がかかっていたことが推定される。また炭窯は、利用放棄後も特徴的な微地形(炭窯跡)として残存するため、過去の伐採やそれに伴う景観変化を評価するための指標とみなすことが可能である。本発表では、宮城県および長崎県対馬市の事例を中心に、森林伐採指標としての炭窯跡に、どのような有効性と課題があるかを検討する。
対馬市峰町にみられる、現在も稼働中の炭窯の背後斜面には、伐採時期の異なる二次植生が斜面傾斜方向に並走するような景観が認められる。燃料革命以前、炭焼きが行われていた日本の丘陵地・山地には、これと類似した植生景観が広がっていたと考えられる。仙台市北西部に位置する泉ヶ岳(1175m)周辺には、昭和20年代以前に使用されたとみられる炭窯の跡が多数認められる。こうした炭窯跡の周辺の樹木調査を行った結果、炭窯跡の周辺、数10m四方の範囲には、陽樹や耐陰性の低い樹種が多いことが確認できた。こうした事実は、かつての伐採の影響が、数10年経過後も植生景観を特徴づけていることを示している。
泉ヶ岳周辺では、標高790m付近まで炭窯跡が分布する。このことは、炭焼きのための伐採の影響を受けた場所が、少なくとも標高800m付近まで広がっていたことを示している。また対馬市の有明山(558m)では300m付近まで、また同市白嶽(519m)では約250mまで、炭窯跡の分布が確認される。数km四方オーダーの範囲で炭窯跡の分布を把握すると、中地形程度の空間スケールに対応した伐採範囲が、大まかながら推定できるであろう。
炭窯跡は、炭焼きのための伐採の確実な物証であり、その特徴からみて認定はきわめて容易である。またその分布を調べることにより、中地形スケール程度での伐採範囲の推定や、微地形スケールでの植生景観の理解に役立つ。その使用年代を特定することは必ずしも容易ではないが、炭焼きのための森林伐採およびその植生景観への影響を考察する上で、炭窯跡は有効な指標であるといえる。
対馬市峰町にみられる、現在も稼働中の炭窯の背後斜面には、伐採時期の異なる二次植生が斜面傾斜方向に並走するような景観が認められる。燃料革命以前、炭焼きが行われていた日本の丘陵地・山地には、これと類似した植生景観が広がっていたと考えられる。仙台市北西部に位置する泉ヶ岳(1175m)周辺には、昭和20年代以前に使用されたとみられる炭窯の跡が多数認められる。こうした炭窯跡の周辺の樹木調査を行った結果、炭窯跡の周辺、数10m四方の範囲には、陽樹や耐陰性の低い樹種が多いことが確認できた。こうした事実は、かつての伐採の影響が、数10年経過後も植生景観を特徴づけていることを示している。
泉ヶ岳周辺では、標高790m付近まで炭窯跡が分布する。このことは、炭焼きのための伐採の影響を受けた場所が、少なくとも標高800m付近まで広がっていたことを示している。また対馬市の有明山(558m)では300m付近まで、また同市白嶽(519m)では約250mまで、炭窯跡の分布が確認される。数km四方オーダーの範囲で炭窯跡の分布を把握すると、中地形程度の空間スケールに対応した伐採範囲が、大まかながら推定できるであろう。
炭窯跡は、炭焼きのための伐採の確実な物証であり、その特徴からみて認定はきわめて容易である。またその分布を調べることにより、中地形スケール程度での伐採範囲の推定や、微地形スケールでの植生景観の理解に役立つ。その使用年代を特定することは必ずしも容易ではないが、炭焼きのための森林伐採およびその植生景観への影響を考察する上で、炭窯跡は有効な指標であるといえる。