日本地球惑星科学連合2015年大会

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口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS28] 活断層と古地震

2015年5月28日(木) 14:15 〜 15:45 A04 (アパホテル&リゾート 東京ベイ幕張)

コンビーナ:*吾妻 崇(独立行政法人産業技術総合研究所)、杉戸 信彦(法政大学人間環境学部)、藤内 智士(高知大学理学部応用理学科)、吉岡 敏和(独立行政法人産業技術総合研究所活断層・地震研究センター)、座長:藤内 智士(高知大学理学部応用理学科)

14:30 〜 14:45

[SSS28-20] 集落別死者率から推定した安政飛越地震(1858)の震央

*小松原 琢1 (1.産業技術総合研究所)

キーワード:安政飛越地震, 歴史地震, 人的被害, 跡津川断層, 震央

1.はじめに
 歴史史料は古地震の復元の上で極めて重要な資料である.しかし人的被害の状況から震央を推定したり震源過程を推定したりした研究はいまだ多くない.演者は,集落別の死者率を基に,双子地震とされてきた安政飛越地震(1858年:Mj=7.0~7.1:宇佐美ほか,1979)の震央を推定した.

2.安政飛越地震の特徴
 安政飛越地震は西暦1858年4月9日の深夜に発生した.史料によると,この地震は子の刻と丑の刻に2度大きな震動を発生させている(内閣府中央防災会議,2003).この地震による人的・物的被害は高山郡代(幕領)により集落毎に記載されており,飛騨国における被害状況は詳細かつ定量的に検討することができる.それによると,家屋倒壊率は跡津川断層近傍で50~100%と極めて高く同断層から離れると急激に小さくなり,御母衣断層近傍で局所的に20~60%という高い値を示す(宇佐美ほか,2013).また,跡津川断層におけるトレンチ調査(佃ほか,1986)や同断層の露頭の詳細な調査(道家・竹内,2009)などから跡津川断層が活動したことは確実と考えられる.
 
3.岐阜県史 史料編近世八「安政五午年飛州村々地震一件」(新収日本地震史料第5巻別巻4 所収)に記載された人的被害から推定される震央
 この地震は深夜に生じたため,最初の地震発生時には人々の大多数は家の中に居たと考えられる.したがって,第1震の震央近傍では死者率が高い一方で第1震のために人々が避難していた第2震の震央近くでは死者率は低いと予想される.
 上記書に記載された集落別死者率は,跡津川断層中央部(天生~菅沼間)で4~54%(一部で0%)と高く,跡津川断層の東部では低い.また御母衣断層沿いではいずれの集落でも死者率は0%である.
 このことは,跡津川断層中央付近で第1震が発生し,御母衣断層沿いの住家被害は第2震(ないしそれ以降の余震)によるものであることを示すと考えられる.
 
文献
道家涼介・竹内章(2009)第四紀研究,48,11-17.
内閣府中央防災会議(2008)1858飛越地震.http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1858-hietsuJISHIN/
佃為成ほか(1986)活断層研究3,59-64.
宇佐美龍夫ほか(1979)地震予知連絡会会報,21,115-119.
宇佐美龍夫ほか(2013)日本被害地震総覧 599-2012.東京大学出版会.