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[O-01] ジオパークへ行こう

2015年5月24日(日) 18:15 〜 19:30 コンベンションホール (2F)

コンビーナ:*渡辺 真人(産業技術総合研究所地質情報研究部門)

18:15 〜 19:30

[O01-P32] 渡島半島はどのようにしてできたのだろうか?~ユーラップジオパーク構想のテーマその2

*大谷 茂之1加藤 孝幸2米島 真由子2高橋 静3赤井 義範3 (1.八雲町教育委員会、2.アースサイエンス株式会社、3.ユーラップジオパーク構想準備会)

キーワード:ユーラップジオパーク構想, 渡島半島

北海道八雲町は、渡島半島のもっともくびれた部分にあり、太平洋(噴火湾)と日本海の2つの海をもつ、酪農と漁業を中心とする町である。ここでは2012年以来、民間ベースのユーラップジオパーク構想準備会が、一部町の支援も受けながら活動を行っている。
 ユーラップジオパーク構想は、八雲町内全域をその範囲としてジオサイトを選定している最中である。前回は考古遺物を通して見る人々の動きをメインテーマの一つとして紹介した。今回は、渡島半島の成り立ちについて学べるジオサイトを紹介する。

1.渡島半島の土台は2億年前の地層からできている
渡島半島の骨組みをつくる地層はアジア大陸に東側から付加した地層(松前層群)からできている。
(ジオサイト)ユーラップ岳の周辺、熊石地域の館平など

2.花崗岩類のマグマが1億年前に発生した
花崗岩は地下深部で、マグマがゆっくり冷え固まってできる。およそ1億年前にマグマが発生して、地下にある周囲の地層を焼いた(接触変成作用)。陸上では恐竜が、海ではアンモナイトなどが栄えていた時代である。館平の2億年前の地層は、この熱で焼かれてホルンフェルスと呼ばれる変成岩になった。黒雲母ができて、太陽の光にキラキラ輝いて見える。館平のピンク色などのさまざまのマンガン鉱物はこの時にできた。
(ジオサイト)館平のホルンフェルス、マンガン鉱物(加納輝石の発見地)、熊石地域平田内川の花崗岩類露頭など

3.渡島半島は3,000万年前に大陸から離れはじめ日本海をつくった
それまで日本海は存在せず、本州から渡島半島にかけては、アジア大陸の東縁に張り付いた付加体と、それに加わった花崗岩類からできていた。これが強い力で引きちぎられた。その理由は、インド大陸がアジア大陸に衝突し、東側からはオホーツク古陸が斜めに衝突したためであるという説がある。日本海ができるときに海底火山活動が激しく起こり、その産物として訓縫層(1,500~1,300万年前)と呼ばれる緑色に変質した火山岩や凝灰岩ができた。
(ジオサイト)新幹線建岩トンネル、ユーラップ川出口予定地周辺(枕状溶岩、水冷破砕岩)

4.粗粒玄武岩(ドレライト)の岩脈はなぜ南北方向に連なるのか?
八雲町の地質図をみると、訓縫層やその上に堆積した八雲層(1,300~500万年前)には粗粒玄武岩が貫入しており、南北方向に連なっている。これは、この当時の渡島半島は東西に引っ張られていたため、南北方向の割れ目ができてマグマが上がって来やすかったためであると考えられ、およそ500万年前であったろうと考えられている。なぜならば、この後、渡島半島は逆に東西に押される場所に変わっていくことが知られているからである。
(ジオサイト)遊楽部川にかかる建岩橋下の粗粒玄武岩など

5.渡島半島は東西に押されて上昇した
立岩公園では花崗岩が八雲断層と呼ばれる2本の活断層に挟まれて上昇している。これらの断層は東西に押されてできた逆断層である。地下深部にあった花崗岩類が、このような断層をつくる巨大な力に押されて、地震を繰り返しながら少しずつ上昇し、今では渡島半島の背骨をなすユーラップ岳などをつくっている。深い熊石沖の海底から見ると、渡島半島は非常に急峻な山脈であるといってよいだろう。この力は太平洋プレートが東から西へ向かって強く押していることによってもたらされた。
また、上八雲の八雲層は硬質頁岩からできているが、南北の褶曲軸をもって褶曲(折れ曲り)している。このような褶曲は東西に圧縮されたことを示している。
(ジオサイト)立岩公園・岡の山の大露頭、上八雲の遊楽部川川岸で見られる褶曲

これまで、これらのジオサイトの見学会を行って多くの参加者を得たが、次回からはここで示したストーリーに沿って、渡島半島を横断するなどのツアーを行う予定である。