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[MIS23-P01] 日本の大陸移動説はウェゲナーのそれより1200年以上も前に語られていた
キーワード:出雲国風土記, くにびき神話, 島根半島, 初期中新世, 大陸移動説
島根半島は褶曲と断層を伴って地層がはげしく変形・変位をしている所として,よく知られている。Otuka(1939)は,島根半島を「宍道褶曲帯」と称して,複雑な地質構造を持つ地域として紹介した。多井(1952)は,松江市北西部の地質図の作成し,岩相層序の確立と複雑な地質構造を論じた。その後,金属探鉱促進事業団の広域調査,山内ほか(1980)の半島東部,野村(1986)の半島中央部の調査が進められ,さらに鹿野らによって1/5万図幅(大社,出雲今市,恵曇,境港,松江)にまとめられている。
733年に記録された出雲国風土記には,島根半島が新羅の三崎と珠洲の三崎から引きちぎられ,今の島根半島ができあがったことを詩歌風に述べた文章がある。これは「国引き神話」としてよく知られている。引きちぎられた陸塊は,太い綱で島根半島まで引かれてきた。あたかも船を川上の方へ綱で引き寄せる姿で語られている。寺田寅彦の「神話と地球物理学」というエッセイには,出雲国風土記にある神様が陸地の一片を綱で引き寄せるこの様子をウェゲナーの大陸移動説にたとえている。「新羅の三崎」は,現在その場所の特定について議論されたことはないが,朝鮮半島の一部であることは明らかである。また,この物語自体,民俗学にあるダイダラボウ的な世界が含まれているが,一笑に付すことができない地質学的側面をもっている。それは,1980年代中頃より明らかになってきた西南日本の時計回り回転説(Otofuji et al., 1985)や日本海拡大説とみかけのうえで一致しているためである。このような背景のものと,我々は島根半島と「新羅の三崎」に相当すると考えられる韓国・ポハン地域との岩相層序的な比較を行った。
島根半島の中新統標準層序は,下位より古浦層,成相寺層,牛切層,古江層,松江層に区分され,初期中新世から中期中新世に及ぶ。このなかで古浦層は,淡水成-汽水成の堆積物で,流紋岩質~安山岩質の凝灰質砂岩・礫岩,頁岩を主体とした地層よりなる。半島東部に広く分布するほか,半島中央部北東部の日本海側,また半島西部の南西側に分布する。成相寺層から松江層に相当する地層はポハン地域ではYeonil Groupに対比されるが,岩相的には類似性が乏しい。しかし,韓国ポハン地域の中新統との層序比較において,初期中新世の古浦層が九龍浦半島に分布するBeomgogni GroupとJanggi Groupの岩相と極めて類似していることが判明した。Janggi Groupに発達する石英安山岩質の火砕岩および頁岩は,Corbiculaが発見された半島西部大社湾の古浦層と類似している。したがって,Janggi Groupの一部の頁岩層も淡水成~汽水成と推定される。Janggi Group の溶岩および火砕岩の年代が22~17Maと報告(Kim et al., 1986)されているほか,Beomgogni Groupのデイサイト質凝灰岩の年代は22Maとされている。古浦層は~20Maであることから,地質年代比較においても似た時代に形成されたと見なすことができる。
以上の結果は,たいへん驚くべきことに1200年以上も前の風土記時代の人々の地球観が現在と変わらないということを示している。出雲国風土記ではどのような地質学的な根拠のもとに「新羅の三崎」との関係を示したのか明らかでない。しかし,7世紀から8世紀にかけて新羅との交流が活発化していくなかで記述された「国引き詞章」には,地質学という学問が生まれる以前に,現在に通じる地質学的観察眼が「国引きの地」で生まれていたと信じさせてくれる。
733年に記録された出雲国風土記には,島根半島が新羅の三崎と珠洲の三崎から引きちぎられ,今の島根半島ができあがったことを詩歌風に述べた文章がある。これは「国引き神話」としてよく知られている。引きちぎられた陸塊は,太い綱で島根半島まで引かれてきた。あたかも船を川上の方へ綱で引き寄せる姿で語られている。寺田寅彦の「神話と地球物理学」というエッセイには,出雲国風土記にある神様が陸地の一片を綱で引き寄せるこの様子をウェゲナーの大陸移動説にたとえている。「新羅の三崎」は,現在その場所の特定について議論されたことはないが,朝鮮半島の一部であることは明らかである。また,この物語自体,民俗学にあるダイダラボウ的な世界が含まれているが,一笑に付すことができない地質学的側面をもっている。それは,1980年代中頃より明らかになってきた西南日本の時計回り回転説(Otofuji et al., 1985)や日本海拡大説とみかけのうえで一致しているためである。このような背景のものと,我々は島根半島と「新羅の三崎」に相当すると考えられる韓国・ポハン地域との岩相層序的な比較を行った。
島根半島の中新統標準層序は,下位より古浦層,成相寺層,牛切層,古江層,松江層に区分され,初期中新世から中期中新世に及ぶ。このなかで古浦層は,淡水成-汽水成の堆積物で,流紋岩質~安山岩質の凝灰質砂岩・礫岩,頁岩を主体とした地層よりなる。半島東部に広く分布するほか,半島中央部北東部の日本海側,また半島西部の南西側に分布する。成相寺層から松江層に相当する地層はポハン地域ではYeonil Groupに対比されるが,岩相的には類似性が乏しい。しかし,韓国ポハン地域の中新統との層序比較において,初期中新世の古浦層が九龍浦半島に分布するBeomgogni GroupとJanggi Groupの岩相と極めて類似していることが判明した。Janggi Groupに発達する石英安山岩質の火砕岩および頁岩は,Corbiculaが発見された半島西部大社湾の古浦層と類似している。したがって,Janggi Groupの一部の頁岩層も淡水成~汽水成と推定される。Janggi Group の溶岩および火砕岩の年代が22~17Maと報告(Kim et al., 1986)されているほか,Beomgogni Groupのデイサイト質凝灰岩の年代は22Maとされている。古浦層は~20Maであることから,地質年代比較においても似た時代に形成されたと見なすことができる。
以上の結果は,たいへん驚くべきことに1200年以上も前の風土記時代の人々の地球観が現在と変わらないということを示している。出雲国風土記ではどのような地質学的な根拠のもとに「新羅の三崎」との関係を示したのか明らかでない。しかし,7世紀から8世紀にかけて新羅との交流が活発化していくなかで記述された「国引き詞章」には,地質学という学問が生まれる以前に,現在に通じる地質学的観察眼が「国引きの地」で生まれていたと信じさせてくれる。