日本地球惑星科学連合2015年大会

講演情報

ポスター発表

セッション記号 O (パブリック) » パブリック

[O-01] ジオパークへ行こう

2015年5月24日(日) 18:15 〜 19:30 コンベンションホール (2F)

コンビーナ:*渡辺 真人(産業技術総合研究所地質情報研究部門)

18:15 〜 19:30

[O01-P30] 天草ジオパーク:1億年の大地の記録

*鵜飼 宏明1長谷 義隆2廣瀬 浩司2 (1.天草ジオパーク推進室、2.御所浦白亜紀資料館)

キーワード:ジオパーク, 歴史, 1億年

天草諸島は、1億年という太古の記録をとどめ、生命の不思議を感じさせてくれる。まさに『宝』の島である。その島々で繰り広げられる人の営みによって独自の文化が育まれ、海と島の幸に恵まれた魅力ある天草が誕生した。天草ジオパークでは、大地の遺産(地質・化石・地形)、生態系、そして人の歴史、石を使った文化、産業などの保全と継承に力をいれている。天草ジオパークのコンセプトを5つに纏めている。今回は、まず、天草の1億年の記録を紹介したい。
 天草の基盤となる岩石と恐竜をはじめとする白亜紀に生きた生物を化石として含む地層形成の物語から始まる。中生代白亜紀(約1億年?6600万年前)の天草は海に近接する陸地で、多くの生物が生息していた。天草東海岸と御所浦地域、そして天草西海岸では恐竜をはじめとする多様な化石が見つかっている。恐竜絶滅後の新生代古第三紀始新世(5000?4000万年前)、大地は上下運動に伴う厚さ3500m以上の堆積物が溜まる大変動の物語があった。天草には大型哺乳類の生息もあった。新生代新第三紀は活発なマグマ活動が起きた時代である。この時期には火山活動だけでなく、地殻変動も起き、天草地域の褶曲構造が形成され、これが天草諸島の原型をつくりだした。第四紀、幾度かの海水面の上昇と下降を繰り返し、約9万年前の阿蘇火砕流到達後、最終氷河期(約2万年前)には、現在の有明海と八代海の地域は海ではなく、ゾウやシカの棲む草原や森林が広がっていた。この時代から人々は天草の地で狩猟をおこなって生活するようになった。約5000年前に海水面が上昇したいわゆる縄文海進時代になると海岸周辺に定住するようになる。その後、少し海水面が低下して、現在の天草諸島の姿になる。16世紀末になると東シナ海に面した地理的条件も加わり西洋文化が華開き、特にキリスト教信仰が人々の間に根付いた。天草の乱の後、人々は大地の豊かな資源を掘り当て、石炭産業、石工文化、陶磁器産業などが最盛期を迎える。
 今日、天草は大地の遺産を活用した自然公園であるジオパーク地域として教育、研究開発、地域連携に新たな道を歩き始めた。