18:15 〜 19:30
[MIS25-P11] 岩手県野田村の圃場整備工事に伴い観察された津波堆積物
キーワード:津波堆積物, 歴史津波, 貞観津波, 慶長奥州(三陸)津波, 岩手県野田村
はじめに
岩手県では、津波新法に基づく津波浸水想定にむけて、過去に岩手県沿岸を襲った津波の履歴や来襲状況を把握するために津波痕跡調査を実施している。
岩手県野田村において水田の圃場整備工事に伴い仮設水路が開削され、この水路壁面に複数の津波イベントを示唆する堆積物が連続的に観察された。県では、2014年夏に、延べ約1,600mの水路壁面の写真撮影および壁面記載とサンプリングおよび代表断面のジオスライサーによる掘削(長さ約4m×幅約0.4mおよび長さ約2m×幅約1m)を実施したので、その概要を報告する。
調査位置
調査箇所は、三陸鉄道北リアス線 陸中野田駅の東側、宇部川河口部の防潮堤(高さTP+12.0m)の背後に位置する水田である。当地の標高はTP+2m~4m程度であり、付近の住民の話では、昭和初期に耕地化されるまでは沼地(湿地)であった。2011年東北地方太平洋沖地震の際は、防潮堤を越流した津波により海岸から約1km内陸まで浸水している。
水路はもとの地割に基づき格子状に開削され、おおむね海岸線と平行/直交方向の地層が連続断面として観察された。水路はほぼ鉛直に掘られ、深さは1m~1.5m程度である。なお、その後の工事の進捗により仮設水路は埋め戻され、現在この地層を観察することはできない。
水路壁面の地層およびイベント堆積物
水路壁面で観察される地層は、湿地環境を反映した泥炭または有機質シルトを主体とする。イベント堆積物は、淘汰のよい砂または砂礫からなり、少なくとも4層が連続的に認められた。ここでは、水路壁面で連続的に対比されるイベント堆積物を上位からイベント層I~IVとする。
イベント堆積物は、いずれも海岸側から内陸に向けて細粒化する傾向がみられる。また、層厚は内陸側に向けて薄くなり、分布深度は浅くなるため、上位のイベント層から徐々に表土に取り込まれて不明瞭となる。
海岸線と平行方向にみると、イベント層I~IIIは調査地の北(北東)側に分布するが、南(南西)側では分布が途絶え、イベント層IVより下位の地層が露出している。イベント層は所々で不陸に富んだ分布を示し、イベント発生時の地形起伏を覆うように堆積したことを示唆する。
なお、いずれのイベント堆積物も下位の地層との境界は明瞭である。上位の地層との境界は明瞭なものが多いものの漸移的に細粒分や泥炭と混じるケースがみられた。また、イベント層Iでは逆級化傾向がみられるものの、他のイベント層は無層理で偽礫の混入もほとんど認められない単一のユニットからなり、明確なラミナ等は認められなかった。
イベント層が示す特徴は、各地で報告されている津波堆積物と共通する点が多く、特にその分布状況からみて津波により形成された可能性が高いと考えられる。
イベント堆積物の形成時期
イベント層IIの直上には、黄灰色を呈す細粒なテフラがパッチ状に分布し、地層対比の指標となる。テフラは、1枚のみ確認されることが多いが、数地点で2枚認められた。火山ガラスの屈折率に基づくと上位のテフラが白頭山苫小牧火山灰(B-Tm:10 世紀)、下位のテフラが十和田a 火山灰(To-a:AD915 年)に対比される(東北大学 石村氏 私信)。
14C年代測定の結果が示すイベント層上下の年代値(2σ暦年代範囲)は、【イベント層I】直上:西暦1436~1615年、直下:西暦1315~1427年、【イベント層II】直上:西暦695~884年、直下:西暦772~941年、【イベント層III】直上:西暦566~647年、直下:西暦427~570年、【イベント層IV】直上:西暦138~326年、直下:西暦53~209年である。
イベント層Iの年代値は中近世を示しており、この時期に東北沿岸各地に被害記録が残されている歴史津波としては1611年慶長奥州(三陸)地震津波が挙げられる。また,具体的な被害の記録は残されていないものの,1454年享徳地震は東北地方太平洋岸に津波をもたらした可能性があるとされている(行谷・矢田,2014)。イベント層IIはテフラとの層位関係と14C年代測定結果から、西暦869年の貞観津波に対応する可能性がある。イベント層IIIは5~6世紀頃、イベント層IVは1~3世紀頃の年代値を示しており、当地には約2000年の間に4回(2011年東北地方太平洋沖津波を含めると5回)の大規模な津波イベントを示唆する堆積物が保存されていると考えられる。
今後は、県内沿岸各地で現在実施中の調査結果を踏まえ、各イベントの歴史津波との対比等の検討を進める予定である。
岩手県では、津波新法に基づく津波浸水想定にむけて、過去に岩手県沿岸を襲った津波の履歴や来襲状況を把握するために津波痕跡調査を実施している。
岩手県野田村において水田の圃場整備工事に伴い仮設水路が開削され、この水路壁面に複数の津波イベントを示唆する堆積物が連続的に観察された。県では、2014年夏に、延べ約1,600mの水路壁面の写真撮影および壁面記載とサンプリングおよび代表断面のジオスライサーによる掘削(長さ約4m×幅約0.4mおよび長さ約2m×幅約1m)を実施したので、その概要を報告する。
調査位置
調査箇所は、三陸鉄道北リアス線 陸中野田駅の東側、宇部川河口部の防潮堤(高さTP+12.0m)の背後に位置する水田である。当地の標高はTP+2m~4m程度であり、付近の住民の話では、昭和初期に耕地化されるまでは沼地(湿地)であった。2011年東北地方太平洋沖地震の際は、防潮堤を越流した津波により海岸から約1km内陸まで浸水している。
水路はもとの地割に基づき格子状に開削され、おおむね海岸線と平行/直交方向の地層が連続断面として観察された。水路はほぼ鉛直に掘られ、深さは1m~1.5m程度である。なお、その後の工事の進捗により仮設水路は埋め戻され、現在この地層を観察することはできない。
水路壁面の地層およびイベント堆積物
水路壁面で観察される地層は、湿地環境を反映した泥炭または有機質シルトを主体とする。イベント堆積物は、淘汰のよい砂または砂礫からなり、少なくとも4層が連続的に認められた。ここでは、水路壁面で連続的に対比されるイベント堆積物を上位からイベント層I~IVとする。
イベント堆積物は、いずれも海岸側から内陸に向けて細粒化する傾向がみられる。また、層厚は内陸側に向けて薄くなり、分布深度は浅くなるため、上位のイベント層から徐々に表土に取り込まれて不明瞭となる。
海岸線と平行方向にみると、イベント層I~IIIは調査地の北(北東)側に分布するが、南(南西)側では分布が途絶え、イベント層IVより下位の地層が露出している。イベント層は所々で不陸に富んだ分布を示し、イベント発生時の地形起伏を覆うように堆積したことを示唆する。
なお、いずれのイベント堆積物も下位の地層との境界は明瞭である。上位の地層との境界は明瞭なものが多いものの漸移的に細粒分や泥炭と混じるケースがみられた。また、イベント層Iでは逆級化傾向がみられるものの、他のイベント層は無層理で偽礫の混入もほとんど認められない単一のユニットからなり、明確なラミナ等は認められなかった。
イベント層が示す特徴は、各地で報告されている津波堆積物と共通する点が多く、特にその分布状況からみて津波により形成された可能性が高いと考えられる。
イベント堆積物の形成時期
イベント層IIの直上には、黄灰色を呈す細粒なテフラがパッチ状に分布し、地層対比の指標となる。テフラは、1枚のみ確認されることが多いが、数地点で2枚認められた。火山ガラスの屈折率に基づくと上位のテフラが白頭山苫小牧火山灰(B-Tm:10 世紀)、下位のテフラが十和田a 火山灰(To-a:AD915 年)に対比される(東北大学 石村氏 私信)。
14C年代測定の結果が示すイベント層上下の年代値(2σ暦年代範囲)は、【イベント層I】直上:西暦1436~1615年、直下:西暦1315~1427年、【イベント層II】直上:西暦695~884年、直下:西暦772~941年、【イベント層III】直上:西暦566~647年、直下:西暦427~570年、【イベント層IV】直上:西暦138~326年、直下:西暦53~209年である。
イベント層Iの年代値は中近世を示しており、この時期に東北沿岸各地に被害記録が残されている歴史津波としては1611年慶長奥州(三陸)地震津波が挙げられる。また,具体的な被害の記録は残されていないものの,1454年享徳地震は東北地方太平洋岸に津波をもたらした可能性があるとされている(行谷・矢田,2014)。イベント層IIはテフラとの層位関係と14C年代測定結果から、西暦869年の貞観津波に対応する可能性がある。イベント層IIIは5~6世紀頃、イベント層IVは1~3世紀頃の年代値を示しており、当地には約2000年の間に4回(2011年東北地方太平洋沖津波を含めると5回)の大規模な津波イベントを示唆する堆積物が保存されていると考えられる。
今後は、県内沿岸各地で現在実施中の調査結果を踏まえ、各イベントの歴史津波との対比等の検討を進める予定である。