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[SIT07-10] 西南日本の15Ma 以降の火成活動史とテクトニクスに関する新たな制約:四国海盆のIODP EXP.322の結果から
キーワード:西南日本, フィリピン海プレート, テクトニクス, 火成活動, IODP
中期中新世以降の西南日本とフィリピン海プレートのテクトニックモデルと火成活動の起源については、「プレート三重点固定仮説」と「プレート三重点移動仮説」との間で論争が続いている(Kimura et al., 2014)。本研究は、IODP NanTroSEIZE地震発生帯掘削の第322次航海により四国海盆で行われた二つの掘削坑の凝灰岩と砂岩の挟在、鉱物組成及びフィッション・トラック年代測定の結果から15 Ma以降の西南日本の火成活動史とテクトニクスに新たな制約を与えることを目的とする。掘削地点では、15-14.5 Maに様々な鉱物組成の多量の凝灰岩が堆積したが、フィリピン海プレートの急速な沈み込みに起因した可能性がある。14.5-10.5 Maには凝灰岩の堆積が減少する一方、 12 Ma頃までは四国海盆には広大な海底扇状地砂岩が堆積した。砂岩の鉱物組成と砕屑性ジルコンのフィッション・トラック年代測定の結果は、砂岩の起源が熊野酸性岩とその他の西南日本であることを示唆した。10.5-8 Maには凝灰岩とタービダイトの堆積が停止し、半遠洋性堆積物の堆積速度が減少したことから、西南日本の火成活動とテクトニクスが静穏であったことを示唆する。8-7 Maには伊豆弧起源とみられる安山岩質∼玄武岩質の凝灰岩・スコリアが増加し、チャネル状の火山砕屑性砂岩とシート状の凝灰質砂岩が堆積した。 7-5.5 Maに再び火成活動が静穏化した後、5.5 Maから凝灰岩の挟在は増加した。本研究の結果は、「プレート三重点移動仮説」とは不調和で、むしろ「プレート三重点固定仮説」を支持する。すなわち若い四国海盆の急速な沈み込みにより中期中新世の西南日本外弧の火成活動が生じたとともに、伊豆弧が中部日本に15 Ma頃までには衝突を開始したとする説である。また本研究は10.5-6 Maの間はフィリピン海プレートが沈み込みを停止し、その後沈み込みが再開したことを示唆する。