日本地球惑星科学連合2015年大会

講演情報

口頭発表

セッション記号 B (地球生命科学) » B-PT 古生物学・古生態学

[B-PT27] 原生代末/顕生代生物多様性変遷:絶滅と多様化

2015年5月24日(日) 09:00 〜 10:45 104 (1F)

コンビーナ:*磯崎 行雄(東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系)、澤木 佑介(東京工業大学大学院 理工学研究科 地球惑星科学専攻)、座長:澤木 佑介(東京工業大学大学院 理工学研究科 地球惑星科学専攻)

09:15 〜 09:30

[BPT27-02] 「カンブリア紀の農耕革命」はいつ始まったのか?

*矢田 圭吾1大路 樹生2ドーンボス スティーブ3長谷川 精2ゴンチグドルジュ セルスマ4望月 貴史5高柳 栄子4井龍 康文6 (1.名古屋大学大学院環境学研究科、2.名古屋大学博物館、3.ウィスコンシン大学、4.モンゴル科学技術大学、5.岩手県立博物館、6.東北大学大学院理学研究科)

キーワード:エディアカラ紀, カンブリア紀, 生痕化石, カンブリア爆発, カンブリア紀の農耕革命

カンブリア紀に多様な底生生物が出現し、海底の堆積物は撹拌され始め、エディアカラ紀に広く海底を覆っていた微生物マットが衰退した。この現象は「カンブリア紀の農耕革命」 (Seilacher and Pfluger, 1994) と呼ばれ、エディアカラ紀からカンブリア紀に入る際に起きた、底質、底生動物活動の大きな変化と捉えられている。従来の研究ではエディアカラ紀に農耕革命が始まっていた明確な証拠は見出されていない。しかし我々はモンゴル西部のエディアカラ系から、海底下に深く潜入した動物活動の証拠を得ることができ、当時活発な底生動物活動が明瞭に始まっていたことが明らかになったので、ここに報告する。
 モンゴル西部のGovi Altay地域には原生代後期~カンブリア紀の地層が広く分布する。その中でBayan Gol渓谷南部に発達するエディアカラ系上部の層状石灰岩中の11の層準から垂直かつ大型の穿孔痕Arenicolites isp.を多数確認することができた。Arenicolites isp.は最深で約4 cm垂直方向に潜入している。同地域において2 m間隔で資料サンプルを採集し、炭素同位体比の測定を行い、他地域との対比を行った。
 Arenicolites isp.が含まれる層準はTsagaan Oloom Formation上部にあり、カンブリア紀の基底を示す生痕化石Treptichnus pedumが初産出する層準よりも190‐140 m下位に位置する。炭素同位体比測定の結果から、Arenicolites isp.が含まれる層準はPc/C境界付近に対比されるBACE eventより120‐70m下位に位置すると判断される。したがってArenicolites isp.を産する層準はエディアカラ系上部と考えられる。これらの結果から、「カンブリア紀の農耕革命」が地域によってはエディアカラ紀にすでに始まっていたということが考えられる。モンゴル西部で他地域より早く「カンブリア紀の農耕革命」が始まったのはおそらく地理的な理由、すなわち当時モンゴルが低緯度に位置していたことと関係していたと推察される。