18:15 〜 19:30
[SSS28-P09] 三浦半島南部,最近4回の関東地震の発生履歴と地殻変動
キーワード:関東地震, 発生間隔, 残留変位, 古地震
三浦半島南端付近の水準測量と潮位観測によれば,同半島は1923年の関東地震の時に約1.2 m~1.5 m隆起し,地震間では約3.7 mm/年の速度で沈降している.本研究は,歴史時代における関東地震の発生履歴と変位累積過程を解明するものである.調査地は半島南端の毘沙門湾に面した谷底低地の下流部であり,空襲写真判読による地形分析とボーリング調査による地質調査を実施した.その結果,平安時代以降の4回の関東地震による地殻変動が明らかとなった(図1).さらに本研究は,発生間隔と地殻変動量から地震の発生過程を考察した.
1.1946年の空中写真を用いた地形判読から,標高0~10 mに,高さ1~2 mの低崖で画された5段の海成段丘が認められる.現在,海岸低地は嵩上げされているが,後述のボーリング調査から最低位の段丘は標高+2m前後に分布し,その1つ上は+3.6~+3.9 mに分布する.本研究は,最低位の段丘をL段丘とその1つ上をH段丘とする.これらの段丘は,さらに小さい低崖に画された段丘に細分することができ,最低位の段丘は5段に分けられる.後述する年代調査から,最低位段丘の形成年代の古い順にL1,L2,L3,L4,L5とした.
2.深度5mまでの掘削調査をL2面で2地点,L3面で1地点,L4面で1地点,L5面で2地点,またL4又はL5の境界付近および+3.6~3.9面でもそれぞれ1地点実施した.掘削地の標高はVRS-GPSにより測量し,誤差は0.1 m未満である.
3.堆積物は全ての地点の掘削コアから,上位より下位に,①潮上帯よりも標高の高い陸上の堆積物,②潮間帯の堆積物および③潮下帯よりも深い内湾の堆積物の3つユニットからなる.①陸上の堆積物は,盛り土の厚さが1~2 mあり,また土壌層ならびに河成の砂礫層,塩生湿地,崩落堆積物が盛土の下に分布する.②潮間帯の堆積物は,L2およびL5の貝殻を多量に含む河口干潟の砂礫層やL3の木片や貝殻が混じり有機質の砂泥層で,泥層と砂層が互層となっているラグーン又は河口干潟の波打ちぎわの堆積物からなる.L4面は岩石海岸に位置し,波蝕棚の上に波蝕礫が厚さ約0.1mで堆積している.③内湾の堆積物は,シルト・粘土からなり,粒度は淘汰されている.
4.潮間帯の堆積物の上面の標高は,H面:+3.6~3.9 m,L2面:0.6~2.0 m,L3面:1.2 m,L4面:1.6 m,L5面:0.9~1.6 mである.
5.干潟層の中の木片および貝殻と干潟層を覆う土壌層の放射性炭素年代および堆積物のセシウム137と鉛210による年代測定を実施した結果,H面:2290BC~2060BC,L2:1000AD~1210AD,L3:1260AD,L4:1703年,L5:1923年と見積もられた.
6.干潟層の高度および年代は地形分類の段丘によって異なることから,認定した段丘は海成段丘であることが確認された.海成段丘は,関東地震による急激な隆起によって形成され,またそれらの年代はL2面:平安後期の関東地震,L3面:1293年永仁関東地震,L4面:1703年元禄関東地震,L5面:1923年大正関東地震の発生履歴を示していると考えられる.
なお平安後期の地震の年代は,段丘堆積物の放射性年代からは西暦1210年以前ですが,鎌倉幕府の歴史編纂書である吾妻鏡には西暦1180年~1210年の間に地震の記録がないので1180年以前であり,放射性炭素年代結果と合わせると1000年~1180年の間と推定される.
7.関東地震の発生間隔はばらついており,平安後期の地震と1293年永仁地震との発生間隔は113年~293年,1293年永仁地震と1703年元禄地震との発生間隔は410年,1703年元禄地震と1923年大正地震の発生間隔は220年である.
8. 元禄・大正関東地震によるL4とL5段丘が海岸線に顕著に認められ,さらに内陸側の海岸低地にはL1,L2,L3からなる形成期の古い段丘も分布するものの,L1~L5の標高はほとんど変わらない.これは,現在は元禄・大正関東地震の隆起が顕著に残留しているものの,歴史時代を通してみると隆起の蓄積量は小さいことを示している.三浦半島では関東地震が発生すると,地盤は隆起し,その次の地震までゆっくりと沈降するが,とくに1293年永仁関東地震と1703年元禄関東地震の発生間隔は長く,その間の地盤の沈降量は大きかったため,1293年のL3段丘やそれ以前の地盤の高さは低くなっている.そのため段丘の高さからでは,累積変位量は小さく見積もられる.実際には,三浦半島では,隆起と沈降の大きな変動が繰り返されているので,注意が必要である.
9.1703年元禄関東地震の規模がM8.2と大きかったのは,歪が蓄積する期間が長く,その分,地震時にエネルギーの解放量は大きかったと考える.同地震に続く1923年大正関東地震の規模はM7.9であり,元禄関東地震のそれよりも小さく,破壊領域も三浦半島沖の相模トラフ沿いのみであったが,これは1703年元禄関東地震の滑り遅れに伴う地震と考えれば,大正関東地震と元禄関東地震の発生間隔が短い理由も説明できる.
1.1946年の空中写真を用いた地形判読から,標高0~10 mに,高さ1~2 mの低崖で画された5段の海成段丘が認められる.現在,海岸低地は嵩上げされているが,後述のボーリング調査から最低位の段丘は標高+2m前後に分布し,その1つ上は+3.6~+3.9 mに分布する.本研究は,最低位の段丘をL段丘とその1つ上をH段丘とする.これらの段丘は,さらに小さい低崖に画された段丘に細分することができ,最低位の段丘は5段に分けられる.後述する年代調査から,最低位段丘の形成年代の古い順にL1,L2,L3,L4,L5とした.
2.深度5mまでの掘削調査をL2面で2地点,L3面で1地点,L4面で1地点,L5面で2地点,またL4又はL5の境界付近および+3.6~3.9面でもそれぞれ1地点実施した.掘削地の標高はVRS-GPSにより測量し,誤差は0.1 m未満である.
3.堆積物は全ての地点の掘削コアから,上位より下位に,①潮上帯よりも標高の高い陸上の堆積物,②潮間帯の堆積物および③潮下帯よりも深い内湾の堆積物の3つユニットからなる.①陸上の堆積物は,盛り土の厚さが1~2 mあり,また土壌層ならびに河成の砂礫層,塩生湿地,崩落堆積物が盛土の下に分布する.②潮間帯の堆積物は,L2およびL5の貝殻を多量に含む河口干潟の砂礫層やL3の木片や貝殻が混じり有機質の砂泥層で,泥層と砂層が互層となっているラグーン又は河口干潟の波打ちぎわの堆積物からなる.L4面は岩石海岸に位置し,波蝕棚の上に波蝕礫が厚さ約0.1mで堆積している.③内湾の堆積物は,シルト・粘土からなり,粒度は淘汰されている.
4.潮間帯の堆積物の上面の標高は,H面:+3.6~3.9 m,L2面:0.6~2.0 m,L3面:1.2 m,L4面:1.6 m,L5面:0.9~1.6 mである.
5.干潟層の中の木片および貝殻と干潟層を覆う土壌層の放射性炭素年代および堆積物のセシウム137と鉛210による年代測定を実施した結果,H面:2290BC~2060BC,L2:1000AD~1210AD,L3:1260AD,L4:1703年,L5:1923年と見積もられた.
6.干潟層の高度および年代は地形分類の段丘によって異なることから,認定した段丘は海成段丘であることが確認された.海成段丘は,関東地震による急激な隆起によって形成され,またそれらの年代はL2面:平安後期の関東地震,L3面:1293年永仁関東地震,L4面:1703年元禄関東地震,L5面:1923年大正関東地震の発生履歴を示していると考えられる.
なお平安後期の地震の年代は,段丘堆積物の放射性年代からは西暦1210年以前ですが,鎌倉幕府の歴史編纂書である吾妻鏡には西暦1180年~1210年の間に地震の記録がないので1180年以前であり,放射性炭素年代結果と合わせると1000年~1180年の間と推定される.
7.関東地震の発生間隔はばらついており,平安後期の地震と1293年永仁地震との発生間隔は113年~293年,1293年永仁地震と1703年元禄地震との発生間隔は410年,1703年元禄地震と1923年大正地震の発生間隔は220年である.
8. 元禄・大正関東地震によるL4とL5段丘が海岸線に顕著に認められ,さらに内陸側の海岸低地にはL1,L2,L3からなる形成期の古い段丘も分布するものの,L1~L5の標高はほとんど変わらない.これは,現在は元禄・大正関東地震の隆起が顕著に残留しているものの,歴史時代を通してみると隆起の蓄積量は小さいことを示している.三浦半島では関東地震が発生すると,地盤は隆起し,その次の地震までゆっくりと沈降するが,とくに1293年永仁関東地震と1703年元禄関東地震の発生間隔は長く,その間の地盤の沈降量は大きかったため,1293年のL3段丘やそれ以前の地盤の高さは低くなっている.そのため段丘の高さからでは,累積変位量は小さく見積もられる.実際には,三浦半島では,隆起と沈降の大きな変動が繰り返されているので,注意が必要である.
9.1703年元禄関東地震の規模がM8.2と大きかったのは,歪が蓄積する期間が長く,その分,地震時にエネルギーの解放量は大きかったと考える.同地震に続く1923年大正関東地震の規模はM7.9であり,元禄関東地震のそれよりも小さく,破壊領域も三浦半島沖の相模トラフ沿いのみであったが,これは1703年元禄関東地震の滑り遅れに伴う地震と考えれば,大正関東地震と元禄関東地震の発生間隔が短い理由も説明できる.