09:30 〜 09:45
[U07-03] 自然史研究の意義―東日本大震災の標本のレスキュー活動に関連して―
キーワード:自然史, 東日本大震災, レスキュー活動, 津波被災, 博物館標本
学術会議は自然史学会連合と共催で、日本古生物学会、日本人類学会、日本植物分類学会、生物多様性2011の後援を得て、2011年6月6日に「緊急集会:被災した自然史標本と博物館の復旧・復興にむけて―学術コミュニティは何をすべきか?」を開催した。その内容は「学術の動向」第16巻第12号の「[特集1]東日本大震災への対応―学術フォーラムの成果の概要―」、に紹介されている。そして、日本古生物学会は、2013年3月の「化石」第93号「特集:東日本大震災における標本レスキュー活動」で、これまで例をみなかった津波被害を受けた博物館の災害復興や自然史標本の修復作業について、途中経過の報告がなされている。日本古生物学会が、学会をあげて自然災害に対応したのは、これが初めての事例であろう。また、2014年12月には、(公財)日本博物館協会とICOM(国際博物館会議)日本委員会の主導のもとに、岩手県立博物館などを中心とした大津波被災文化財保存修復技術連携プロジェクト実行委員会が、まとめの報告書「安定化処理」を刊行した。それでは、地震および津波被害の状況、被災資料の救援活動、岩手県陸前高田市の事例、古文書や美術品や民俗資料などの安定化処理と修理、そして自然史標本の復旧処理などが報告されている。標本の復旧や整理および関連する情報の蓄積といった作業は、いまなお続けられている。
この自然史標本レスキュー活動を進めるなかで、私たちは、いわゆる文化財に比べて自然史標本の重要さが、行政的にも社会的にも認知されていない事実に遭遇することとなった。2011年4月から文化庁による「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業」がはじまったのだが、その活動資金は当初はもっぱら国や地方自治体の指定文化財に集中したといってよい。自然史標本は文化財等の「等」に入っているとされたものの、実際には回収・復旧に遅れをとったことは否めない。人類はあらゆることを自然から学び、自然の仕組みや多様性から科学・文化を発展させ、豊かな社会をつくってきており、自然史資料は科学的な知的財産であって、まさに人類の生きてきた証といってよい。しかしながら、学校や高等教育からの自然史教育の衰退が示唆するように、その意義が科学コミュニティのなかでさえ共有されているわけではない。市場万能主義ともいえる社会では、自然史研究や教育の大事さが認知される余地などないのかもしれないが、とんでもないことである。
では、私たちはどうすべきであろうか。自然を観て、測り、伝える、という素朴で地味ではあっても、自然を知る科学を復権することではないか。防災に向けた自然災害の科学的理解の促進もその一部である。その科学がどんなに魅力的であっても、単発で一過性のイベントのような普及事業ではあまり意味がない。通常教育のなかで広くじっくりと自然の教育を進めることが大事である。日本地球惑星科学連合には、自然史学会連合とともに、自然の研究と教育の復権・復興に中心的役割を果たしていくことを期待する。
この自然史標本レスキュー活動を進めるなかで、私たちは、いわゆる文化財に比べて自然史標本の重要さが、行政的にも社会的にも認知されていない事実に遭遇することとなった。2011年4月から文化庁による「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業」がはじまったのだが、その活動資金は当初はもっぱら国や地方自治体の指定文化財に集中したといってよい。自然史標本は文化財等の「等」に入っているとされたものの、実際には回収・復旧に遅れをとったことは否めない。人類はあらゆることを自然から学び、自然の仕組みや多様性から科学・文化を発展させ、豊かな社会をつくってきており、自然史資料は科学的な知的財産であって、まさに人類の生きてきた証といってよい。しかしながら、学校や高等教育からの自然史教育の衰退が示唆するように、その意義が科学コミュニティのなかでさえ共有されているわけではない。市場万能主義ともいえる社会では、自然史研究や教育の大事さが認知される余地などないのかもしれないが、とんでもないことである。
では、私たちはどうすべきであろうか。自然を観て、測り、伝える、という素朴で地味ではあっても、自然を知る科学を復権することではないか。防災に向けた自然災害の科学的理解の促進もその一部である。その科学がどんなに魅力的であっても、単発で一過性のイベントのような普及事業ではあまり意味がない。通常教育のなかで広くじっくりと自然の教育を進めることが大事である。日本地球惑星科学連合には、自然史学会連合とともに、自然の研究と教育の復権・復興に中心的役割を果たしていくことを期待する。